Magic_and_Sorcery~生活魔法すら使えなかった俺が精霊に魔術を教わって真の勇者となるまで~

篠日記

chapter.001《邂逅》

#001_異世界召喚

 それは一瞬だった。


 黒板を見て、板書をノートに写し、もう一度、黒板に視線を向ける。

 そのあいだに、俺たちは異世界に召喚されていた。


 教室はおおよそそのままだ。

 服装もブレザーのまま。それどころか、椅子や机、床、壁、先生が板書中の黒板も、日常のままだった。


 ただ、天井はなく、代わりに青い空が広がっている。

 窓の外には草原が……そして、ローブを着た魔道士のような人々が、数百という人数で、俺たちを取り囲んでいる。


 そして彼らは、口々に叫びをあげていた。


「召喚が、成功した!」



 ***



 俺……柳幹人やなぎみきひととクラスメイトが召喚された理由は、非常に単純なものだった。


 隣国ベルディアが魔王に滅ぼされた。次はベルディアに面しているガイダン王国か、あるいはここ、クレマリオ王国が標的になるに違いない。だから、魔王に対抗する手立てとして、かつて精霊様に授けられた召喚術式を用い、勇者を召喚するに至った、と。


 そういった話を、俺たち東野高校2年3組と、召喚されたときに教鞭を取っていた先生は聞かされた。


「勇者たちよ、我が国を救ってくれ!」


 でっぷりした腹の王の取ってつけたような嘆願には心打たれなかったが、俺の胸は高鳴っていた。


 異世界召喚。

 いまやありふれたフィクションではあるが、それが現実となったのだ。


 クラスのオタク連中も似たような考えなのだろう。魔法がチートがと騒いでいるのが聞こえてくる。


 これからの流れとして、まず最初にすることになったのは、この世界の常識を知ることだった。召喚特典というやつなのか、こっちの言語は理解できる。言葉が通じるのだから、常識のインプットにはさして時間はかからないだろう。


 そして次に、魔法の実演と適正の確認。一人ずつに指導役をつけての魔法訓練。さらには剣術や武術などの訓練も行うという。


 指導役は綺麗なお姉さんがいいなぁ……などと益体もないことを考える。

 それくらい、俺は浮かれていたのだ。

 なにせ、ファンタジーな世界だ。

 異世界、チート、ハーレム、無双。


 このときの俺は、俺がそんなテンプレートな展開を巻き起こすのだと、信じてやまなかった。



 ***



 手のひらに、炎が灯る。

 野球ボール大の小さな炎だ。

 それを標的に向けて、放つ。


 直線的に飛んでいった火球は、的に当たって弾けて消えた。

 標的は、すこし焦げただけだった。


「はぁ……」


 これ見よがしなため息がこぼされる。


 赤い髪をした青年だ。

 名前は、クレイ・アーデルハイド・フェンサー。俺の指導役となった貴族で、魔法騎士である。

 端正な顔立ちだが、その表情には明らかな苛立ちが見て取れた。


 俺と彼はいま、野外訓練場にいる。大規模な魔法が使えるよう、広い領域が確保された場所だ。ここには、人外の相手を想定しているのか、人間の何倍も大きく分厚い的がいくつもあった。


 しかし俺が相手取っているのは、訓練場の端に設置してある小さな的だ。人の頭程度しかない小さな円。

 俺はいまだ、この小さな標的すら壊せていない。


 ほかのクラスメイトは、もう何日も前に次の訓練へと移ってしまったというのに。

 俺だけだ。俺だけが、まだここで初等魔法の訓練をやらされている。


「どうしてもっと威力が出せない? 真面目にやっているのか?」


 やっている、と口答えをしても意味がないことを、俺はもう知っている。

 何日も繰り返した問答だ。俺にはもう、答える気力さえ残っていなかった。


「どうして俺が、こんなはずれクジを……」


 吐き捨てるようにそう言って、青年は立ち去っていく。


 空はもう夕焼けだ。

 帰って自室……召喚者一人一人に割り当てられた部屋で休みたいが、ここですぐに帰ると青年に嫌味を言われるだろう。

 俺は仕方なく、進歩のない訓練を続けることにする。


 手のひらに、稲妻を生み出す。

 それをまた標的へ放つが、結果は同じだった。焦げを作っただけ。


 初等魔法、あるいは生活魔法。その名の通り、日常生活で使える程度の威力しかない魔法のことだ。

 俺が使える魔法、その威力は、その生活魔法にも及ばなかった。


 クラスメイトたちは、すぐに上等魔法が使えるようになっていた。人間の大きさの倍ほどもある的を消し炭にする稲妻、クレーターを形成する火球、森を薙ぎ倒す暴風……災害のような魔法が、訓練の二日目には当たり前の光景となった。そしてそんなことをやってのけたクラスメイトたちは、一週間と待たずにこの訓練場を去り、次の訓練へと移っていった。


 いまでは、ここに残っているのは俺だけだ。

 どうして俺だけがこうなのだろう。召喚された人間の中で、俺だけが生活魔法すら使えない。

 その原因を、どこかに見出そうとする。しかし、見つからない。


 見限られ、追放。からの下克上……よくある異世界モノの伏線だろうか、などと考える。

 いや、そんなわけない。


 異世界、魔法、まるでフィクションのような世界。

 だが、俺は気づいてしまった。


 ここは、どうしようもなく、現実だ。


 才能がなければ置いていかれ、努力も実らなければ意味がない。

 もといた世界と同じことを、こんなファンタジーで実感することになるとは思わなかった。


「……帰るか」


 壊せなかった的の影が、長く、俺の足元に伸びていた。

 もう日が沈みかけている。


 なんの進歩も得られないまま、また一日が終わろうとしていた。



 ***



 俺たちが宿泊しているのは、この国の旧王城だ。


 召喚の儀には、数百人という大人数の魔法師が必要となるらしい。その都合上、かなり開けた場所が必要だったという。けれど王都の近くにそんな土地があるわけもなく、旧王城からほど近い草原が召喚場所として選ばれた。俺たちが現王城でなく旧王城に連れられたのは、そういった事情があった。

 加えて、現王城には召喚者全員を長期滞在させられるだけの場所がないらしい。勇者召喚については時期を見て公表するつもりであるため、他国からの来客も多い現王城では不自由な生活を強いるかもしれない、という考慮もあるのだとか。


 その点、旧王城には来客がいっさいない。現在は見習い使用人の育成や騎士階級の訓練場として使われているらしく、部屋も空いていて長期滞在も可能だったとか。


 割り当てられた部屋はかなり上層にあった。おかげで絶景を拝むことができる。

 旧王都の歴史的街並みを一望できる大窓が、部屋近くの談話ルームにあるのだ。

 今日もそこで、明かりの灯る街を飽きるまで眺めていようか。


 ……そう考えていたのだが、


「まったく、アイツはどうにかならないのか!?」


 そんな怒号が、廊下を曲がった先から響いてきた。

 この声は、俺の指導役である、赤髪の青年だ。


 その怒りに応えるのは、聞き覚えのある声。


「そんなにひどいんすか、アイツ」


 クラスメイトの一人だろう。声だけでは顔も思い浮かばないが。


「ひどいなんてものではない! いまだに初等魔法すら習得できていないのだ!」

「ふむ……、召喚された勇者は40人もいたのだ。一人くらい、素養のない者が混ざっていても仕方がないだろう」


 もう一人、知らない声。クラスメイトの指導役だろうか。


「……ハズレを引いた俺が悪い、と言うのか?」

「悪いとは言わないっすよ。ただ、運がなかったってことで」


 けたけたと笑う声。


 腹の奥から、なにかが込み上げてくる。


「あまりにも成長が見られないのなら、団長に相談してはどうだ? 魔法の初歩は努力でどうこうなるものではない。いまだに成果がないのなら、期待はないと考えるべきだ」

「そうっすよ。これ以上、できない奴に拘束されんのは割りに合わないでしょ」


 吐き気がしてきた。早く部屋に戻りたい。

 だが、部屋は談話室を通った先にある。声のする方向の向こう側だ。


 遠回りするか。いつ終わるかわからない自分への陰口を聞いて待つよりは、よっぽどいい。


 あまり城内を歩いたことはないが、ちょうどいい機会だ。街を眺める代わりに、城の散策でもしてみよう。すこしは気が紛れるかもしれない。



 ***



「…………」

 当然といえば当然なのだが、道に迷ってしまった。

 旧とは言えど、ここは王城。広さも半端ではない。


 来た道は把握していたつもりだったのだが、どこもかしこも似たような内装……赤い絨毯とワインレッドの壁紙、一定間隔に灯る蝋燭照明で、方向感覚が狂ってしまった。


 気がつけば、与えられた部屋付近とは異なる内装の、どこか古っぽい場所に迷い込んでいた。絨毯も壁紙もくすんで見える。


 どうしたものか、と悩んでいると、廊下の先に使用人の姿が見えた。


「あの!」


 立ち止まってくれたのは、高齢の使用人だった。たしか、見習い使用人の指導をしていたメイド長だったと思う。

 彼女は経験を感じさせる丁寧な所作で一礼し、


「どうなさいましたか?」

「すいません、ちょっと道に迷いまして……」

「自室にお戻りになられるのでしょうか? でしたら、こちらでございます」


 先導してくれるメイド長。俺はそのあとを追う。


「ちょっとだけ、古い感じですよね、このあたり」


 ただ黙ってついていくのが気まずくて、なんとなく話しかけてしまった。


「こちらは旧館でございますので」

「旧館ですか」

「はい。この旧クレマリオ王城は何度も改修・増設が行われております。このあたりは増設以前の、もっとも古い区画となっております」

「へぇ……」


 彼女に続いて廊下を曲がる。

 すると、曲がった正面に、やたら大きな扉が目についた。

 その上には『魔術図書室』と掘られた木製のプレートが掲げられている。


「ここは……」

「こちらは魔術図書室でございます」

「……、ですか? じゃなくて」

「はい、魔術でございます。魔法が使えるようになる以前には、王族や貴族の方々も、魔術を使っておられたようなので」

「魔法が使えるようになる以前……?」


 疑問を含んだ俺の呟きに、メイド長は丁寧に答えてくれた。


 魔術とは、術式を用いて現象を起こす、いわば魔法の下位互換的技術である。


 かつて人間は魔法を使うことのできない種族だった。だから代わりに、魔術を用いて現象を操っていたのだという。


 けれど、いちいち術式を必要とする魔術は取り回しが悪いらしかった。こと、異種族との戦争においては致命的なほどに。


 人間以外の知性ある種族には魔法が使えるものが多い。思い願うだけで手のひらに炎を灯し、電撃を纏い、敵を凍てつかせることができる。


 対して人間種は、術式構築までの時間を稼ぐ必要があった。事前に術式を刻印した武器を用意しても、砕かれればそれで終わり。それに発火の術式は炎を起こすことしかできないが、魔法種族は一人でも複数の属性を操ることができるのが当たり前だ。

 また、生まれながらにして魔法を行使できる種族と、生来の魔法種族でない人間。そのあいだには、魔力の量や質に大きな格差もあった。


 これで戦争を行えば、どちらが勝つかなど、考えずともわかるだろう。


 そこで人間たちは、自分たちにも魔法が扱えるようにしてほしい、と精霊に願ったのだという。


 精霊は異種族に魔法を与えた聖なる存在と言われていて、魔法の使えない人間のあいだでも信仰の対象となっているらしい。


 そしてその祈りが通じ、人間は魔法の扱える種族へと進化を遂げたのだった。


「……にしても、どうして貴族だけ?」


 魔法が使えるようになったのは、王侯貴族とその配下の騎士階級、使用人階級だけらしい。いまでも市井では魔術が使われているのだとか。


「特に信仰心が強い者を選別した結果、王族や貴族の方々が選ばれたのだと伝えられております」


 ……ホントかよ。むしろ宗教とかって民衆とかのほうが信仰してる気がする。それとも俺が知らないだけで、この国って宗教国家なのか?


 いや、それはいい。それより、いまは魔術だ。

 魔術は、魔法より取り回しが悪いらしい。だから、魔法が使えれば魔術は必要がないものだ。


 でも……俺は、魔法が使えない。使いこなせない。

 ならばいっそ、魔術を学んでみるのはどうだろう。

 魔法の陰に廃れた技術ではあるものの、すこし面白そうではないか?


 図書室があるということは、魔法に比べて座学的であると考えられる。

 魔法は感覚感覚と言われるだけで、ロクな指導をしてもらえなかった。

 趣向を変えて、もっと根本的なところから学んでみようか。魔法と似た魔術を一から学ぶことで、なにか進展があるかもしれない。


 ……なんて、ただの逃げるための言い訳であるのだが。


「ちょっと、入ってみてもいいですか?」

「それは……」

「ダメですかね?」


 メイド長は渋い顔だ。無理にとは言わないが……。

 沈黙のあと、メイド長は口にする。


「……この部屋は年に一度、見習い使用人の大掃除の演習にしか使われないのでございます。お時間をいただけるのであれば……明日の午後までには使える状態にすることが可能です」


 時間はかかるが大丈夫ということか。


「じゃあ、それでお願いします。……それと、もう一つ、いいですか」


 ここが使えるのなら、もう指導はいらないだろう。


「俺の指導役の方に……しばらく魔術を勉強するので、指導はいらないとお伝えいただけますか? これ以上、ご迷惑をおかけするわけにはいかないので」

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