第28話

 外に出ると、日は落ちて辺りはすっかり暗くなっていた。僕は時計を持っていないので今が何時なのかは分からないが、きっともう七時近くにはなっていることだろう。

 今日は王子の散歩に同行して朝から出かけていた。ただの散歩、すぐに帰ってくるつもりでお父さんには伝えていたのに、思いがけない事件に遭いほぼ一日王宮から姿を消すはめになってしまった。お昼になっても帰ってこず、夜になっても連絡なし。何かよからぬことに巻き込まれたのでは、と感づいた者もいるかもしれない。とりあえず僕たちは王宮に戻ったら、国王様の側近の怖ーい宰相様あたりからきつーいお叱りを受けることになるだろう。そんなことを考えたら少しだけ憂鬱になった。

 誘拐犯たちは、倉庫を出てすぐに僕の視界に入ってきた。ジョンの言ったとおり、本当に全員が縄でぐるぐる巻きにされている。


「あいつら! くそ、姿見たらまた腹立ってきたんだぞ」

「ちょっと。暴れないでくださいよ」


 今にも奴らに飛びかかりそうなほど苛立ちを隠そうともしないヨンを、ジョンが静かに注意する。

 僕たちは恐る恐る彼らに近づいた。気絶している者もいれば意識がある者もいて、意識があるうちの何匹かが僕らの存在に気づいてこちらを睨みつけてきた。


「お前ら、こんな真似しやがって。絶対許さねえ……!」


 許さない? それはどちらかと言えば僕らの台詞なんだけど。


「はぁー!? ラム、てめえ何言ってんだ! それはこっちのセ・リ・フ! マジで許さねえんだぞ、一発殴らせろ!」


 ジョンの背から降りたヨンが、ブンッと拳を振り上げる。しかしその前足をカンさんが掴んだ。


「それはいけない、ヨン。暴力に訴えては駄目だ」

「嫌だ、放せ! 一発……いや、一発じゃ足りねえ。二発、三発……ああもう! 俺の気が済むまで殴らせろ! 同じ目に遭わせてやらなきゃ気が済まねえんだぞ!」


 ヨンは相当怒っていた。でもまあそれは当然だろう。奇跡的に命に別状はなかったからよかったものの、何かが少しでも違っていたら王子もヨンも、それにもしかしたら僕たちも殺されていたかもしれなかったのだから。


「それでどうします? 彼ら、警察に突き出しますか?」


 犯にゃんたちを見下ろしながらサンが言った。それにヨンが間髪入れずに答える。


「そんなの当たり前だぞ! 何なら一生出てくんな! 絶対許さねえ!」


 すると奴らの一匹が反応する。


「警察!? おい、待てよ。頼むからそれだけは! そんなことされたら俺ら一生底辺のままだ!」

「は? そんなことされるようなこと、先にしたのはお前らの方だろ。当然の報いなんだぞ、べーっだ!」

「にゃっ!? こいつ……!」


 ヨンが犯にゃんたちを煽っている間に、ジョンが彼らを縛っている縄を引っ張る。


「じゃ、このまま署までつれて行きますね」

「嫌にゃ、やめろー!」

「放せー!」


 犯にゃんたちが束になって必死に抵抗しようとしても、ジョンの力はびくともしないみたいである。彼は奴らの叫びなんて無視して縄を引っ張っていく。


「痛い! 痛いにゃー!」

「尻の毛が禿げるー!」


 それを見て喜んでいるのは、もちろんヨンだ。彼はついさっきまで怒りをあらわにしていたにも関わらず、自分をひどい目に遭わせた奴らの惨めな姿を前にして、前足を叩いてキャッキャッと嬉しそうに笑っている。


「あっはっは! やーい、ざまあみろ! 尻どころかこのまま全身禿げちまえ!」


 ひ、ひどい……。いやでも、彼らは誘拐犯だし。敵に同情は禁物だよね。ううん……。

 その時だった。


「待つのだ!」


 制止の声がした。王子だった。みんな一斉に彼の方を見る。


「どうかしましたか、王子?」


 僕が聞くと、王子は僕の背から降りて続ける。


「待つのだ。警察につれて行くの、ちょっと待つのだ」

「はい?」


 言っている意味がよく分からなかった。この方は一体何を考えているのだろう。


「何言ってんだぞ、馬鹿王子! ちょっと待てってどういうことだよ!?」

「そうですよ! 彼らがしたことは立派な犯罪。相応の罰を受けるべきです!」


 ヨンとサン、二匹が揃って王子に詰め寄る。しかし王子は動じない。静かな声で続けた。


「確かに彼らのしたことは許されることではない。でもそうなった原因は、吾輩たちにもあると思うのだ」

「そうなった原因……?」


 僕は首を傾げる。王子がこくりと頷いた。


「うむ。彼らがこんな真似をした本当の理由は吾輩には分からない。でも今日、彼らの話を聞いて思ったのだ。ここに住んでる者たちは皆、お腹いっぱいご飯も食べられず、ふかふかのベッドで寝ることもできず、毎日辛い思いをしているのだと。そして吾輩は今までその事実をしっかりと知らなかった。吾輩たちのような何もかも持っている立場の者なら、彼らを助けることができるのに。無知なせいで軽はずみな発言をして、彼らを怒らせ傷つけた。吾輩たちが当たり前のように平和に暮らしている姿でさえ、彼らにとっては苦しむ原因だったのだと。だからこんなことになってしまったのは、吾輩たちが知らず知らずのうちに彼らを追い詰めていたのも理由なのではないか、と思うのだ」


 王子が話している間、僕らは誰も一言も話さなかった。王子が話し終わってからサンが口を開く。


「つまり王子は、こいつらが可哀想だから罪を見逃してあげたいのですか?」

「ううん……。そういうことになる、のか……?」

「甘いですね」


 サンは冷たく言い放った。


「王子、貴方殺されかけたんですよね? 命を狙った相手にどうして情けを掛けるのですか。どんな理由があろうが奴らは加害者、我々は被害者です。王族の命を狙うような野蛮な奴ら、このまま野放しにしておく方がどうかしてます。絶対に罰を与えなくてはなりません」


 一切の感情が読み取れないような、淡々とした口調。しかしその目は静かに燃えていた。ああ、サンは怒っている。それに彼の言い分も間違ってはいないのだ。

 王子は一瞬、サンの鋭い眼差しに怯んだように見えた。しかしすぐに態勢を立て直し、キッとサンの目を見て言った。


「でも……でも! それじゃ根本的な解決にはならないと思うのだ。彼らを処罰したところでスニャムの状況が改善されなければ、きっとまた同じことが繰り返される。サン、お前も吾輩のために言ってくれてるのだろうが……。お前のその決断が、スニャムの者たちの未来を奪うことになるかもしれないのだぞ? お前はこの者たちの苦しみをなかったことにしたいと言うのか!?」

「それは……」


 サンが悔しそうに歯嚙みする。彼が反論できないでいると、犯にゃんの中の一匹が口を開いた。


「もういいよ、王子様。そいつの言うとおりだ。悪いのは俺たちだ。元々こんな計画した時点でこうなることも覚悟の上だったんだから。それにどうせ俺らみたいなのが捕まったところで、迷惑かける奴も悲しむ奴もいねえしな」


 そう言ってそいつは自虐的に笑った。


「ほら。ラムもこう言ってるんだし、続きは警察署でゆっくり吐いてもらえばいいんだぞ」


 ヨンも、犯にゃんたちを警察につれて行くのに乗り気なようである。正直僕も彼らを野放しにしておくのは危ないと思っているし、気乗りしないのは王子だけ、ということか。

 ジョンが再び縄を引っ張って歩みを進めようとする。が、それより早くあのラムというにゃんが再び王子に向かって言った。


「あと! 一つだけ言わせてくれ。王子様。あんたさっき、そこのハイネコの決断が俺らの未来を奪うかもしれないって言ってたけど、俺ら元々将来に期待なんてしてないからさ、余計な心配しなくていいからな」

「どうして、なのだ……?」

「……言っただろ。俺たちはろくに飯も食えないくらい、今を生きるので精一杯なんだよ。絶対に明日が来るかも分からない、いつ死んでもおかしくない環境で未来の心配なんかしてらんねえんだよ。それに……命狙った相手に同情されるとかムカつくから、もう俺らのことは放っといてくれねえか」


 王子を見ると悲しそうな顔をして俯いていた。泣きそうなのを堪えているのか、その肩は小さく震えている。


「もう他に言うことないっスか?」


 ジョンに聞かれ、ラムさんが頷く。それを確認するとジョンは縄を引っ張り歩き出した。

 王子はまだ顔を上げない。心配になった僕は王子の肩に触れ、そっと声をかけた。


「あの、王子……。大丈夫ですか?」

「……嫌なのだ」

「え?」

「やっぱりこのままは嫌なのだ……!」


 僕の前足を振り払い、顔を上げた王子。少しずつ遠くなっていく彼らの後ろ姿に向かって叫んだ。


「お前たち! お前たちのしたことは許されることではない。だが吾輩は、やっぱりお前たちを……スニャムのことをこのまま放っておきたくはないのだ。だから、吾輩がスニャムを助ける! 今まで誰も何もしてくれなかったと言うのなら、吾輩がそれを変えてみせるのだ、約束する! だから……だからお前たちもしっかり反省して、また戻ってくるのだ!」


 王子の言葉が彼らに届いていたかは分からない。彼らは、誰もこちらを振り返ることはなかったから。

 王子は肩を上下させ、呼吸を整えている。変わらず泣きそうな目をしていたが、言いたいことは言い切ったのかその表情はどこか満足げにも見えた。

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