第11話 ソンside

 ミンの家族と朝食を食べていた時だった。おばさんから思い出したように「渡したい物があるのよ」と言われた。何だろう、と頭を傾げていた僕に渡されたのは、僕の毛並みによく似た色をしたセーターだった。


「あの、これって……?」

「背中、今のままだと可哀想かなって思って。毛が生えてくるまでこれを着たら、少しはましになるかしらって思ったんだけど、どうかしら?」


 その時僕は思い出した。ここに来て最初におばさんに会った時、何か編み物をしていたことを。あれはもしかしてこれを編んでいたのだろうか。


「サイズが分からなかったからミンのサイズに合わせて作ったのよ。ソンくんに合ってるといいんだけど……」

「とんでもないです、本当にありがとうございます。嬉しいです!」


 僕はぎゅっとセーターを抱える。ご飯食べたら着てみよう。



 朝食後、部屋に戻った僕は早速おばさんがくれたセーターを着てみた。おばさんはサイズが合うか心配していたが、セーターは無事僕の体にフィットした。


「えへへ。色も体に合ってるし、遠くから見たら着てるなんて分からないんじゃないの?」


 どうなることかと思ったけど、ミンの言うとおりここの家族が優しいおかげで僕も早く溶け込めた。プレゼントまでもらっちゃってなんだか朝から気分がいい。

 精神的にはだいぶ落ち着いたように思う。少なくとも今は。ぐっすり眠れたしご飯も沢山食べられたおかげかな。

 誰かにセーターを着た姿を見せたくなって、隣の部屋にいるミンのところへ向かった。軽くノックをしてから扉を開ける。


「どうしただすか、ソンさ」

「おばさんにもらったセーター、着てみたんだけどどう? なんか誰かに見せたくなって来ちゃった」

「おおー、いいんじゃないだすか? サイズもぴったりみたいだすね。母ちゃんにも見せたら喜ぶだすよ、きっと」

「やっぱりそうだよね。もちろん、後でおばさんにも見せるつもりだよ。後でまたお礼言わなきゃ」


 その時、僕はミンが出かける準備をしていたことに気づいた。ミンは恐らく仕事用であろうカバンに荷物を詰めている最中だったようだ。

 そうだった。僕はお休みだけど、ミンは普通に仕事があるんだった。自分のことしか考えていなかったな、なんてちょっぴり反省。


「もしかして、これからお仕事? 僕タイミング悪かったね?」

「大丈夫だすよー。それよりソンさ、なんだか昨日に比べて顔色がよくなった気がするだす」

「え、そう?」


 そんなの自分じゃよく分からなかった。でも確かに気分はいい。ミンはまるで自分のことのように「よかっただすー」なんてほっとしている。その姿が嬉しかった。


「じゃあ、おいらはそろそろ仕事に行くだす。ソンさはまあ……ゆっくりしてるといいだす。自由にしてくれていいだすからね。それじゃ行ってきまーす」

「うん、いってらっしゃー……」


 ピンポーン


 ん? 誰か来た。こんな朝早くから訪ねてくるにゃんもいるんだな、なんて呑気に考えていたら、ミンがおばさんに呼ばれた。


「ミーン、お客さーん。あんたに用があるってー」

「はーい、今行くだすー! じゃあソンさ、またね」


 そう言うと、ミンは急いで階段を下りていった。大変そうだな。ミンに用事って……もしかして急患とか?

 関係ないし邪魔はしたくないと思ったのでしばらくは自室で大人しくしていた僕だったが、下の騒がしさが増してきているのが気になって、ちょっとだけなら……という好奇心に負けて階段を下りてしまった。でもそれが間違いだった。


 玄関に立っていたにゃんを見た時、僕は自分の目を疑った。見間違いかと思った。だってこんな時間にこんな場所になんて来るはずのないにゃんだと思っていたから。


「サン……? ヨンもいる……?」


 何で。居場所がバレたのかと思った。でもおばさんはミンに用があると言っていたから、そういうわけじゃなさそうだ。じゃあどうして。そう思った時、よく見たらサンがその背に一匹のにゃんをおぶっているのに気がついた。そしてそのにゃんが誰なのか分かった時、僕はひっくり返りそうになってしまった。


「王子……!」


 驚きのあまりか、なんと僕は足を滑らせ階段から落ちてしまった。幸いだったのが床から一段上の段からの落下だったのでそこまで痛くなかったこと。それでも音はそれなりにしたので、当然みんなの視線がこちらに向く。


「いたた……え、えーっと、どうも……?」

「ソンさん……?」


 サンが困惑した目で僕を見る。そりゃそうだ、こんなところに僕がいるのが予想外だったのだろう。あ、それともこんな低い段から落ちたことに驚いているのかな。


「あ、そ、ソンさは部屋に戻るだす! 何もないだすから、大丈夫だすから! ね?」


 そこへミンが慌てたように僕に近寄り、ぐいっと背中を押して僕を二階に戻そうとする。


「待ってよ。でもサンがおぶってるの、王子じゃないの? 何もないなら何でこんな時間にミンの家に来るのさ!?」

「それでもソンさには関係ないだす! 大丈夫だすから、本当に!」


 納得できない。僕だけ何も知らないなんて、そんなの除け者にされているみたいでなんだか嫌だ。それに王子のお世話係は僕なのだから、王子の身に何かあったのだとしたら僕が真っ先に知る必要があるはずだ。


「関係ないわけないでしょ、僕は王子のお世話係なのに! お願いだから教えてよ!」


 すると今まで黙っていたヨンが口を開いた。


「倒れたんだぞ、食事中に。突然バタッと」

「あああ、ヨンさ。何で言っちゃうんだすか……!」

「うるせー! 変に誤魔化すよりはっきり言った方がいいんだぞ。どうせいつかバレるなら、今言ったって同じだぞ!」

「それはそうだすけど、でも……」


 倒れた? 王子が? 食事中って……。


「先に言っておくけど、俺は何もしてないんだぞ。毒見だってサンにやってもらったからな。本当なんだぞ」


 僕が言いたいことが分かったのか、僕が口を開くより先にヨンが答えた。それにはサンも頷く。


「ええ、確かに私が味を見ました。ヨンさんの言っていることは本当ですよ」


 そうなんだ。さすがに二匹で同じことを言うとなると、信じざるをえないだろう。それにしてもまだ離れてから一日しか経ってないというのに、もう王子が大変なことになっていたなんて。もしかしたら、僕が仕事を放棄したせいで罰が当たったのかもしれない。


「これも僕のせいなのかな……」


 誰にも聞こえないように、ぼそりと呟くように言ったつもりだった。しかしサンにばっちり聞こえていたようである。


「どうしてそのような考えになるのですか。ソンさんが責任を感じることはありません、これは王子の異変に気づかなかった私たちの落ち度です」

「私、たち……? それって俺も入ってるのか?」

「ソンさん、自分を責めないでください」

「いや聞けよ」


 自分を責めるな、と言われても、やっぱり責任感じちゃうよ。なるべくみんなに迷惑かけたくなかったのに、結局こんな混乱と騒ぎを引き起こしちゃって……。目の前に倒れた主がいるのに、詳細を知らず力になれない無力さと悔しさで涙が出そうになる。


「あー……とりあえず容態確認してもいいだすか?」


 重くなった空気を壊すように、ミンが一言そう言った。彼は僕から離れると、王子の元へ歩み寄る。


「さてと、脈はどうなっているだすかな……ん?」


 ん? どうしたんだろう。ミンが変な声を出したので、思わず僕は首を傾げる。


「何? 何だというのですか。まさか、何か異常でもあったんです?」

「ちょっと静かにするだす! ……よく聞いて」


 サンの問いかけに強い口調で返すと、ミンはさらに王子の顔あたりに近づき耳を澄ませた。眉間に皺を寄せ、何やら難しい顔をしている。そう思ったら、次の瞬間には盛大に溜息を吐いた。


「寝てるだす」

「へあい?」


 サンが素っ頓狂な声を上げる。目を丸くして口をポカンと開けているその表情は、彼にしては珍しくとんでもなくまぬけな顔になっていた。かくいう僕もきっと似たような顔になっているのだろうけれど。


「ね、寝てるだけ? でも倒れたんですよ、そんなはずは……」

「サンさ一回落ち着いて。ほら、ちゃんと聞いてみるだす。聞こえるでしょ、寝息が」


 気になったので僕も王子に近づいてみる。すると確かに安らかな寝息が聞こえたのだ。これには拍子抜けしてしまった。思いがけない展開だったが、まあ……悪い方向じゃなくてよかった。


「な、何なんだぞ、それ。ふざけんな! サンの馬鹿! 早とちり! アホ! まぬけ! お馬鹿サン!」

「何ですって!? そこまで言わなくてもいいじゃないですか!」

「お前がよく確認もしないで病院連れていくって言ったのが悪いんだぞ! お前のせいだ、お前のせいだ! 俺様を朝から振り回しやがって、許さないんだぞ!」

「はあ!? 私、言いましたよね? 嫌なら無理に付き合わなくてもいいって。ここまでついてきたのは貴方の意志でしょうが!」


 なんか喧嘩始まっちゃったんだけど。僕どうすればいいの。

 言い争うサンとヨンの間で、ミンがあわあわしている。


「やめるだすー。おいらんちで喧嘩なんかしないでよお。王子が起きたらびっくりするだすよー」


 ミンが二匹を止めようと頑張っているのだが、言い方が弱々しいのか全く相手にされていない。これではミンが可哀想なので、僕も二匹の喧嘩を止めに入った。


「あの、二匹とも少し落ち着こうよ。ね?」

「うるせー! 関係ない奴は引っ込んでるんだぞ!」

「はい、ごめんなさい!」


 駄目だった。反射的に謝ってしまった。


「ちょっと、なんて言い方するんです! 何でソンさんが謝るんですか!」

「それはごめん、つい癖で……あ! また謝っちゃった」


 僕はアホなんでしょうか。もう嫌だ、謝る癖ができてしまっている。


「でも本当にもう喧嘩やめてあげて、ミンも可哀想だし」


 そこでようやく二匹はミンの様子に気づいたらしい。ミンは話を聞いてもらえなかったからか、家で騒がれた悲しさからか、口を尖らせすっかり拗ねた表情になっていた。


「おや、すみませんでしたね。私としたことがつい熱くなってしまいました」

「ふん。別にもういいだす」


 サンが謝罪の言葉を述べるも、ミンの表情は変わらずで口を尖らせたまま。別にいい、というような顔には見えないのだが。


「で、いつまで王子をそのままにしておくつもりだすか? 起きるまで一回ちゃんとしたベッドに寝かせた方がいいだすよ」


 その表情のまま、ミンはサンにおぶられた王子を顎で示した。王子は相変わらずよく眠っている。さっきのサンとヨンの争いはけっこう騒がしかったはずなのにそれでも目を覚まさないなんて、よっぽど疲れが溜まっていたのだろうか。……疲れるほど王子何かしてたっけ?


「そんなの分かってるんだぞ。だからお前のベッド貸せ」


 ヨンがそう言うと、ミンは驚きで目を見開き、そして焦りだした。


「え!? でもおいらのより病院とか王宮のベッドの方がちゃんとしてると思うだすよ?」

「嫌だ、今から病院戻るの面倒くさいんだぞ」

「いや、でも、おいらの部屋汚いし、掃除してないから……」

「別にお前のじゃなくても、空いてるベッド他にあればそれでいいんだぞ」

「他、だすか……」


 するとミンは無言で僕の方を見た。なるほど。つまりは僕の部屋のベッドに王子を寝かせろ、と言いたいんだろう。ミンの目がそう訴えているように見えた。まあ確かに僕の部屋は余計な物も見られて困る物もないし、問題ないからいいんだけど。


「……僕が借りてる部屋でよければ空いてるよ」


 さり気なく提案してみたらすごい勢いでミンが賛同してきた。


「おお、それはちょうどいいだす。それじゃあソンさのところに王子を寝かせてきたらいいだすね」


 何が「ちょうどいい」なのだろうか。僕がこう言うのを待っていたような目つきだったくせに、なんと白々しい。別にいいけどね。

 サンはミンの言葉を聞くと、すぐに行動に移していた。ただし部屋の場所を聞いていなかったので、二階まで上がったところで「どちらの部屋ですかー?」と玄関前まではっきり聞こえるほど大きな声で問われたが。


「あいつ、もしかしてけっこう馬鹿?」


 ヨンがぼそりと呟いたのを僕は聞き逃さなかった。

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