第8話

 ぱちり、と目を開ける。今、何時だろう。寝起きのぼーっとした頭で考える。窓の外を見れば日が落ちて暗くなっていた。どうやら僕は随分眠っていたらしい。

 その時、グウッとお腹が鳴った。そういえば今日は朝からまともに食べていなかった気がする。だんだんと頭が冴えてきて、そこで僕ははっとなった。


「あ、ご飯……!」


 できたらおばさんが呼びに来るってミンが言ってたのに。さすがにもうできているだろう。時計は見ていないけれど、絶対夕食時だろうし。急いで下に行こうと慌てていたら、控えめなノックの後にミンがそっと顔を出した。


「ソンさ起きた? ご飯できてるだすよ」

「あ、ありがとう! ごめん、寝てて……」

「いいだす、いいだす。よく眠れたなら、それでいいんだすよ」


 住まわせてもらう身でありながら何もせずに寝てしまった。それを申し訳なく思う僕に対し、ミンは本当に穏やかな声音で告げた。


「あの、ユンは?」


 そういえば、と思い出し、気になったので聞いてみる。


「帰っただす」

「あ……そうなんだ」


 それを聞いて、ちょっとほっとした自分がいる。あのテンションのにゃんと食事まで一緒だったら、申し訳ないけれど気が休まらないと思ったから。


「ソンさ、あの……ごめんだす。ユンが失礼なことばかり言って……」


 ミンが静かに僕に謝ってきた。


「悪い子ではないんだすよ。ただ、その、思ったこととかはっきり言っちゃうってだけで……。だからあんまり気にしないでほしいし、ユンのことも悪く思わないであげてほしいだす」


 そう言ったミンの声は少し震えているような気がした。きっと僕がユンの言葉でまた頭を悩ませてしまうんじゃないか、と不安になったのかもしれない。でもユンに悪気がなかったのは僕も何となく分かっていた。だからこそ、悪意なく核心をつく彼が怖かったのだと思うが。だけど、そんな理由で僕がユンを嫌いになるとかそういうのは全くない。


「大丈夫だよ、ちょっとびっくりはしたけど悪い子だなんて思ってないよ。だってミンの友達でしょ? ミンがそう言うなら僕は信じるよ」

「ソンさ……」


 僕が告げると、ミンは少しほっとしたように息を吐いた。それからすぐに、いつものあの穏やかな表情に戻る。


「じゃあ、ご飯食べに行くだす」



 ダイニングルームに向かうと(食堂みたいなところはダイニングルームと言うらしい。ミンが教えてくれた)既に食事の用意ができていて、おばさんがにっこりと微笑んで待っていた。待たせてしまったのにもかかわらず責められることはなかったが、逆にそれが僕の罪悪感を増幅させた。すみません、と軽く頭を下げてから席に着く。


「謝ることなんてないのよ。よく眠れるのは素晴らしいことなんだから」


 親子で似たようなこと言うんだな。でも確かに、こんなにぐっすり眠れたのは久しぶりかもしれない。


「さ、好きなだけ食べてちょうだいね」


 おばさんに促され、僕はテーブルの上の料理に目を移す。大量のチキンや炙りサーモン、デザートにはイチゴやリンゴなどのフルーツが山のように盛られ、テーブルいっぱいに並んでいた。

 うわあ……すごく美味しそう……!

 僕はごくりと唾を呑む。


「あの、本当に好きなだけいいんですか?」

「いいの、いいの。遠慮しないでちょうだい、ほら」

「でも、僕……」


 並べられた料理たちはすごく美味しそうだ。それは間違いない。それでも僕は食べるのをためらってしまう。

 すると僕の正面に座っているミンが不安そうに聞いてきた。


「もしかして、何か食べられない物でもあるんだすか?」

「へ!? いや、ち、違うよ! 寧ろ好物ばっかりでいいのかなー、なんて。あはは……」

「それなら遠慮することないだすよ。母ちゃんが張り切って作ったんだから、どんどん食べてほしいだす!」

「う、うん……」


 そう言われてしまえば、もう覚悟を決めるしかあるまい。じゃあお言葉に甘えて――。


「いただきます」


 僕は前足を合わせた。



「またおかわりいいですか?」

「ソンくん、ごめんなさい。そろそろご飯が終わりそうなの……」

「確かに遠慮するなとは言っただすが……」


 ミンに呆れたように溜息をつかれた。

 言葉どおり好きなだけ食べてしまったら、大皿に盛られたチキンの約半分ほどが僕の胃の中に消えた。サーモンも同様である。ご飯は、これも茶碗に山盛りを三杯食べたらお釜の中が底を突いた。


 お分かりいただけただろう。そう、僕は大食いである。遠慮せず食べてしまったら歯止めが利かなくなると分かっていたので食べるのをためらっていたのだが、一度口にしてしまったが最後、僕の腹が満たされるかそれより早く料理が尽きるかするまで、僕の食事をする前足は止まらない。


「だって朝から食べてなかったから……もぐもぐ。それにおばさんの料理、すっごく美味しくて……あむっ……止まらない。ごくんっ」

「食べるか喋るかどっちかにしてほしいだす。はあ……知らなかったんだすよ、まさかソンさがこんな大食いだったなんて」


 やれやれ、と頭を振り、困り果てるミン。しかしおばさんは少し困りながらもどこか嬉しそうに笑っていた。


「ありがとうねえ。ソンくんが美味しそうに食べてくれて、おばさん嬉しいわ。あ、でもお腹は壊さないようにね」

「はい! 心配ありがとうございます。まだ大丈夫です……もぐもぐ」

「だから、食べる時に喋らないでほしいだす……」


 この後、デザートのフルーツたちもほぼ一匹でぺろりと平らげた僕だった。

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