第2話 王城隅の野良猫姫

「ようこそシードル侯爵! お会いしたかったですわ。さぁ、どうぞ中へ!」


 ニーナ姫の元を訪れたヴィクターは、玄関のドアを開けた彼女に満面の笑顔で迎えられた。

 歓迎は嬉しいが、明るく楽しそうな彼女の声がヴィクターの二日酔いの頭に響く。

 思わず額を押さえそうになりながら、彼女の後に続いて中へと入っていった。



「ここが姫の居城……?」


 案内されたリビングで、ヴィクターは首を傾げた。

 先ほどヴィクターが王城へ訪れた時、案内の者からここにニーナ姫は居ないと言われた。

 ではどこに、とさらに訊ねると、面倒くさそうな顔で渋々案内されたのが……ヴィクターが今いる、この離れの居城だった。


 居城といっても、王城の敷地の端っこにある小さな一軒家だ。普通なら居るはずの衛兵や侍女もいない。

 彼女自身も平民が着るような粗末なワンピースを身に纏っているし、家の中を覗いてみれば最低限の家具しかなく、随分と質素な暮らしをしているようだ。


 信じられないことに、目の前ではニーナ姫が自らの手で客人にお茶を淹れている。


 所作や見た目の美しさは母譲りなのかもしれないが、それ以外はどう考えても王女のそれではない。


 どうやら事前に聞いていた情報よりも、彼女に対する扱いの酷さは上だったようだ。


「この度は急な訪問をお許しください、殿下」

「そんな殿下だなんて。私のことはニーナと、名前で呼んでください」

「いや、そういうわけには……」


 一般的な貴族の令嬢は、お淑やかさが是とされている。

 そんな風潮の中で、今まで出逢ったことの無いタイプの令嬢に、ヴィクターはやや押され気味になっていた。


 そもそもニーナ姫は虐げられているとはいえ、この国の第二王女である。

 不敬な態度が許されるはずもない。



「あ、ごめんなさい……久しぶりのお客様で、私ったら浮かれちゃって……」

「いえ……はぁ。ニーナ様が良ければ、この場はこれで。私のことも、ヴィクターと」

「嬉しい! ありがとうございます!」


 テーブル越しに手を掴まれ、ヴィクターの腕がブンブンと上下に振られた。

 暗殺対象に気付かれず忍び寄るのは得意な彼だが、ニーナ姫との距離はどうにも掴みきれない。


 だがニーナ姫のその言葉と態度で、彼女がこれまでどういう扱いをされてきたのかを確信することができた。



 ニーナ姫の母は、数年前に逝去した元王妃……国王の第一夫人だった。


 国王には何人かの妾……公妾がおり、一番最初に子を身ごもったのも公妾だった。


 国王は公妾の懐妊を大変喜んだ。

 一方で、王妃であるはずの第一夫人は数年後にニーナ姫を授かったものの、ついぞ男児を産むことはできなかった。


 寵愛を失い、やがて気を病むようになってしまった第一夫人は、離れの居城で静養という名目で捨てられた。

 彼女はさらに体調を悪化させ、まだ幼いニーナ姫を残してこの世を去ってしまった。

 それからというもの、ニーナ姫に対する王城の者たちの態度はあからさまに冷たくなった。


 第一夫人が小国の姫だったこともあり、国内に後ろ盾が居なかったことも災いしたのだろう。

 さらには王が公妾を正妃に据えたことにより、ニーナ姫に対する冷遇は加速する。



 その後のニーナ姫がどうなったのかは……目の前の彼女を見れば分かるだろう。

 だがこの離れの小さな家に住めたのは、彼女にとっては幸運だったのかもしれない。

 少なくとも、悪意のある視線に囲まれながら過ごさなくて済むのだから。


 ここまでの扱いをされておいて彼女が明るい性格をしているのは、もはや奇跡に近いと言っていいだろう。



「……ヴィクター様?」

「え? あ、あぁ。申し訳ない、少しボーッとしていました」


 ヴィクターの考えていることを察したのか、ニーナ姫はシュンと肩を落とす。



「すみません。大したおもてなしもできず……」

「いえ……というより、ここではニーナ様が家事を?」


 王女が身の回りのことを自分でやるなんて、聞いたこともない。

 だが彼女は花の咲いたような笑顔を見せる。



「ふふふ、意外でしたか? 掃除や洗濯、料理なんかも得意なんですよ!……あっ、そうだ。実は今日、アップルパイを焼いたんです。ヴィクター様も良かったら食べてみませんか?」

「姫が……アップルパイを!?」

「はい! 大好きなんです、アップルパイ!」


 信じられないことの連続だ。


 狂った自殺願望者なのかと覚悟してここへやって来たが、とんでもない。実際のニーナ姫は、ヴィクターが今まで見てきたどの令嬢よりも生気にあふれた女性だった。


 それが王族や貴族らしいかといえば間違いなくノーなのだが、少なくとも彼にとっては好ましいとしか思えなかった。


 ヴィクターがポカンとしているうちに、ニーナ姫がキッチンから戻ってきた。

 そして彼の前に、熱々の湯気を上げる茶色のパイを置いた。



「ヴィクター様のお口に合えば良いのですが……」

「これは……」


 見た目はそのまま、アップルパイだ。

 シナモンが使われているのか、湯気と一緒に独特な清涼感と甘みのある香りが漂ってきた。


 手元にあったナイフでザクザクと切り分けていくと、中から熱でトロトロになった林檎が顔を出す。

 それをフォークで丁寧に刺してから口へと運べば、林檎の優しい甘さがジュワっと舌の上に広がった。


 非常に美味しい。

 林檎農園を営むヴィクターにとっても馴染み深く、そして懐かしい味でもあった。



「すみません……林檎のパイなんて、ヴィクター様は食べ飽きてましたよね……?」


 しばし無言で食べていたら、不安げな表情を浮かべたニーナ姫が顔を覗き込んでいた。



「――いえ。とても美味しくて、夢中になっていました。死んだ母上が作ってくれた味に、何だかよく似ています」

「良かった……実はこのパイ、私の母から教えてもらったレシピなんです」

「ニーナ様の母上が……?」


 偶然にも、二人ともすでに母を亡くしている身だ。

 そして互いに似た味のパイを食べて育った者同士。


 ヴィクターとニーナは不思議な共通点もあり、ポンポンと会話が弾んだ。

 そうして暫くの間、二人は楽しいお茶の時間を過ごした。



「そういえば、ヴィクター様はどうして我が家へ?」

「あー……、そういえば」


 ヴィクターはあの暗殺依頼についての真意を尋ねるために、ここへとやって来た。

 だが、どう考えたって目の前の明るい少女が死にたがっているとは思えない。


「実は、ご依頼の林檎に少々お時間が掛かりそうでして。そのご連絡のために伺わせていただきました」

「まぁ、それはご丁寧にありがとうございます! 平気ですよ。ただ、またアップルパイが食べたいので……」

「おっと、それは大変だ。なるべく早くご用意させていただきますね」


 すっかり意気投合した二人はクスクスと笑い合う。


 当然、これはヴィクターが咄嗟に考えた嘘である。

 しかしあのように正式な依頼がなされるのは、あまりにも偶然が過ぎる。


 不審に思ったヴィクターはもう少し、彼女とその周辺について調査する必要があると考えた。


「さて、今日のところはこの辺で……」

「そうですか……」


 寂しそうな表情を浮かべるニーナ姫。


「ヴィクター様……我儘なお願いなのは、重々承知なのですが……」

「……はい。どうしました?」

「私と……お友達になってくれませんでしょうか!?」


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