第6話



 風が、やさしく凪いでいた。



 一面に広がるコスモスの花。


 儚いすみれ色の花びらが宙を舞い、少女の乗るブランコを揺らす。


 寂し気な少女の横顔。


 いつだって、咲き誇る花のように微笑んでくれたその顔が、


 いつだって、きらきらと輝いて見つめてくれたその大きな瞳が、


 ただ、ただ、どうする事もできなくて、


 ただ、ただ、悲しくて、


 でも、嘆く事すらも許されなくて、


 足先で揺れるコスモスの花を見つめ続ける鳶色の瞳が、


 長い黒髪が悲しげに揺れていた。


 そして――


 遂に堪らず、ぎゅっ、ときつく閉じられた瞳。


 その瞳から大粒の涙が零れ、少女の頬を伝う。


 ブランコの少女を眼下に置いてコスモスの花びらは世界へと舞い上がる。


 風が、


 風だけが、やさしく凪いでいた。



 と――

 ソコロフは、ゆっくりと瞼を開いた。


(また、この夢か……)


 どうやら待ちくたびれて眠ってしまったらしい。


(やれやれ……)


 手持無沙汰のソコロフは、そっと左右に視線を巡らせ、周囲の様子を窺った。

どれくらい時間が経ったのだろう。

 しん、と冷たく静まり返った廊下の端では、相変わらず衛兵がおもちゃの兵隊のような律義さで、古びたデスクの前に鎮座しており、どうやら、ソコロフ以外に新たにここを訪ねて来た者はいないようだ。

 まだ中で取り込み中なのだろう。

 ソコロフは、ぶるっ、と体を震わせ、目の前の真っ赤に燃えるストーブに手をかざす。

 等間隔に並んだ窓の向こうでは、相変わらず細かな雪が吹雪いていた。

 ひどく寒い。

 窓の外は、相変わらずの氷点下だろう。

 壁に張り付いて窓の外を上下に行き来する全自動雪掻き機のブラシが窓枠に積もった七月の厚い雪を勢いよく跳ね飛ばし、窓の外の景色がくっきりと浮かび上がる。

 横殴りに吹きすさぶ雪とその背後で無言のまま黒く沈み込む石造りの官庁街。


「うーむ……」


 胸のポケットのタバコに手を伸ばしたいのを堪えながらソコロフは大きく伸びをする。


(奴さんが、この窓を登って行くのはこれで何度目だ?)


 固い長椅子の上の尻をもぞもぞと左右に動かしながら、そんなことをぼんやりと脳裏で考え始めたその時だった。

 背後の扉が勢いよく開き、聞き覚えのある声がした。


「おやおや! これは、これは――」


 骨身に沁みて分かっている事ではあるが。

 ここには、その主人である第一七七民生委員会を含めてロクな奴がいない。

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