第74話 地上

 小瓶をポケットにしまい、マンションから出ようとしたその時だった。フロアにエレベーターが到着した音が聞こえてきた。二人は顔を見合わせ、息を潜める。


「住人かしら?」


「分からん」


 最悪を想定した彦根はすぐに部屋の中を見渡した。書斎には椅子と机の他に取り付けられていたクローゼットがあった。ご丁寧に中身は全て外に出されている。

 エレベーターから降りた足音が段々と近づいてきた。音から察するに人数は二人といったところだろう。常にバディで行動するのは警察官だ。片方がヒールなら同棲しているカップルとも予想できるが、どうも違うらしい。

 廊下を歩くその足跡は二人とも革靴だった。

 扉がうっすらと開いているため、廊下の雑音は手を取るように聞こえてきた。


「警察だ、隠れるぞ」


「え? 本当に?」


 戸惑う恵奈をクローゼットの中に押し込んだ。

 予想は的中した。扉が開き、二人の男は家の中に入ってきた。土足でずかずかと上がり込み、衣服などを踏みつけながら奥に進んでくる。

 口を手で覆い、息を潜めた恵奈はクローゼットの中から二人の話声を聞いていた。


「もうここにはないと思いますよ」


「仕方ないだろ。上からの指示だ」


「それにそんなもの自宅に保管してないでしょ」


 どうやら二人の関係性は親しい先輩と後輩と言ったところだろうか。敬語もかなり柔らかく、先輩のほうも気を許しているようだった。


「それに犯人は戻って来るってよく言うだろ」


「それよく言いますけど、俺だったら絶対戻りませんよ。だって飛んで火にいる夏の虫じゃないですか」


「夏の虫だって好きで火に近づくわけじゃねぇよ」


 二人はリビングを抜け、恵奈が隠れている書斎に入ってきた。クローゼットの隙間から覗き込むと、散らばった本を物色している。さらに机の引き出しを開け、中身を漁ったり、壁を叩いて、空間がないかなども調べていった。

 先輩刑事と後輩刑事は息が合った連携で、何かを探しているようだった。だが恵奈からすればどちらもただのロボットにしか見えない。公安なのか、それとも捜査一課なのか、いったいどのくらいの年齢で、どんな見た目の特徴があるのか。ジェンダーから見たヒューノイドはほとんど区別がつかない

 ただし仕草や動きからこの先輩刑事がかなりベテランで現場には慣れていることだけは読み取れた。


「やっぱり何もないですよ」


「らしいな、もう公安の連中が目ぼしいものは全て持っていっただろうからな……」


「帰りますか」


「その前に剝がれたテープを貼り直すぞ」


 二人はこのまま出て行く。恵奈はクローゼットの中でほっと肩をなで下ろした。しかし書斎を出ようと、引き戸のレールを跨いだ時、先輩刑事が足を止めた。


「どうかしたんですか」


 後輩刑事が質問すると、眉間にしわ寄せながら振り返る。


「なぁ、家宅捜索の写真であのデカい書棚って倒さていていなかったか」


「え? さすがにそこまでは覚えてませんよ」


 目を細めた先輩刑事が踵を返して書斎に戻ってくる。部屋の中のかすか変化を読み取り、人の気配を疑っているらしい。


「何か匂うな」


 部屋の中心に立ち、じっくりと見渡した。まるで舐め回すように部屋の隅々を再度、確認していく。クローゼットの中の恵奈は汗が噴き出した。不安と焦りが全身を粟立たせ、生唾を飲み込んだ。

 そしてついにクローゼットを見つめた先輩刑事の目が留まる。

 闇の中から見つめる恵奈と先輩刑事のガラスのような目が合わさった。


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