岐路
隣の高校で死者が出た。事件と事故の両面で捜査に当たると報道されていたが、電車に突っ込んだとなると自殺の線がより濃い。「広川奈緒」、時速にして約百キロ近い速度の電車を身一つで停車させるという離れ業をこなしたその女子生徒に、通勤通学の徒に勤しんでいた大衆はこぞって溜息を漏らしたはずだ。僕は拍手を送りたい。身投げに至るまでのあらゆる苦心を振り払い踏み出した一歩目に敬意を払いたい。僕は知っている。その一歩目がどれほど難しく、悩ましいのかを。
女子生徒を偲ぶのに丁度いい花曇りの向こうに幽世を見れば、空の圧迫感と季節の折に汗をかく。昼間の暑さと比べれば幾ばくか温度は下がっているとはいえ、傾きつつある日差しが家屋の窓を蹴って目に飛び込んでくる様はなかなかに不愉快である。僕は殊更に顔を下げ、暫く道なりに進む。下校時、僕はいつも仮初の好奇心を汲み上げて景色に心を動かす。空が大きく広がる海の方へ足を伸ばすか、人混みの騒々しさを求めて駅前まで歩くのかは、その日の気分で決まる。
街路樹の代わりに植えられた大きな椰子の木が散見し始め、羽を広げた鳥の滑空を上空に捉えると、国道を跨いで渡される歩道橋が現れる。その歩道橋を渡って防風林の隙間を抜ければ、僕が今求めるものに辿り着ける。地面はコンクリートから白い砂に変わり、スニーカーで歩くのに少々やっかいではあったが、人の肩を気にして歩くより遥かに良かった。鼻を抜ける潮の匂いと海の広さに横隔膜が意図せず膨らむ。砂浜の古木に腰かけ、連綿と波を打つ海の満ち引きに伽藍な頭がさらわれる。悲観も楽観もない、息を吸って吐く。その繰り返しはまるで揺り籠の中で寝息を立てるかのような感覚に近い。この時間がどれだけ穏やかな空間であるかを比較するのに、子宮に回帰して臍の緒で繋がる必要がありそうだ。暫くして、実りをつけた稲穂が頭を下げるように太陽は赤く傾き、水平線に浮かぶ船舶の文目があやふやに溶け出した。
定住を望む腰の重さを感じつつ、古木から立ち上がる。玉にして転がせそうな嘆息を夜気に落とすと、息継ぎを始めるように街灯の明かりがつきだした。
事を起こすのに何も心配がいらない人気のなさは、昨日と何一つ変わらない。明日もきっと、同じ景色が待っているはずだ。そんな悠長な心持ちを見透かすかのように、一メートル先にある曲がり角から、甲高い声が上がった。
「きゃ」
喚起するために開かれたであろう口を半ば強制的に遮り、声の出自を有耶無耶にする意図が透けて見えた。目の前に姿を現せば状況は好転するだろうか。逆上した何者かが、被害者に対して更なる仕打ちに走るかもしれない。刹那のうちにあらゆる選択が頭の中で浮かんだ気がしたが、足から立ち上る気焔により、僕はのぼせた。自分に正義感があるとは思っていない。ただ、そこで起きているであろう、理不尽に割り込みたかった。
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