20.「だってスリリングな方がロマンチックが増すでしょう?」




 継承の儀当日、身支度を整えたミーシャは、なぜか城の空き部屋でぞろぞろと現れた大臣たちに取り囲まれていた。


 簡素な椅子に座らされた彼女を見下ろすように周囲を囲む古狸たちは、目くじらを立てて唾が飛びそうな勢いでミーシャを責め立てる。


「カージュの守り人は聖職者にとって多大な名誉である。なぜそれがわからんのだ!」


「恩知らずな女狐め、その良く回る舌を引っこ抜いて城門前に捨ててこようか!?」


「我々がせっかく退位後の身の振り方を斡旋してやっているというのに……」


 好き勝手なことばかりいう老翁たちの醜い顔に、ミーシャは怯えきった様子で瞳を潤ませる。その頼りない様子が大臣たちをさらに高圧的な態度へ変貌させた。


 大臣たちの話はこうだ。


 国土を維持する目的で国境から鳥籠で囲むように展開される結界、カージュ。その維持管理業務を退位後のミーシャ一人に押しつけようという算段らしい。


 カージュの管理は知識と技術が問われる。神殿勤めの上級神官が各地に赴いて定期的に作業をするのだが、なにせ国境まで行かないとカージュを目視することすらできない。彼らの年間業務はほぼ遠征で埋め尽くされている。大臣たちはミーシャを遠方へ飛ばし、国民からの信頼も厚い上級神官たちを神殿へ呼び戻して自らの地盤固めに勤しみたいらしい。


「わ、私は聖女を退位する身です。これ以上貴方たちに振り回される理由がありません……!」


「勝手なことを……!そもそも、貴様の力不足を嘆いたパラティンが異世界から新たな聖女を呼び寄せたのだろう!己の責務を果たせないことを棚に上げて、自由の身になった途端我儘放題とは、恥を知れ!」


「国王は、私が故郷に帰ることをあの場でお許しになりました。情けないと嗤われて後ろ指を刺されようと、私はもう貴方たちのお人形遊びに付き合いたくない!」


「このっ!」


「ひっ……!」


 激高して振り上げられた手にミーシャが小さな悲鳴を上げた。しかし周りにいた他の大臣が「儀式の前に傷モノにするのはいささか体裁が悪い」と諫め、なんとかその手を降ろさせる。身体を縮こませて震える無力な女を見下ろし、狡知に染まった笑みを向ける。


「ならば、帰る故郷がなくなれば良いのでは?」


「え……」


「田舎の村一つを地図から消し去ることなど我々には容易いことだ。下民の命よりもカージュが尊いことに変わりはないからな。草木の一本も残るまい」


 無慈悲な脅しに黄土色の瞳が絶望で見開かれる。抵抗が緩んだのを見逃さず、一人が従者から小箱を受け取った。中から取り出したものは薬液がたっぷり入った注射器で、これ見よがしに空押しをして針の先端から薬を飛び散らせる。


「遅行性の睡眠薬だ。継承の儀が終わった頃合いで意識を失い、目が覚めた時には既にどこかの国境だろうな。精神障害と部分麻痺くらいの後遺症は残るかもしれんが、その時は自分で治すと良い。回復術は得意だっただろう?」


「っ、離して……!」


 逃げようとするミーシャの肩を後ろから掴んで椅子に固定させ、末広がりになっているパコダスリーブを捲り腕を無理矢理露出させる。身体を這う皺くちゃな手に少し怯んだ様子を見せると、付け上がった狸たちは金色の前歯や抜け落ちた歯を剥きだしにして下卑た笑みを浮かべた。


「ククッ、最後くらい以前のように泣いて許しを乞うたらどうなんだ?普段の取り澄ましたお前は気に食わんが、あの時の泣きっ面はなかなかクるものがあったぞ」


「ほら、泣け」


「跪け」


こうべを垂れろ」


「許しを乞え」


「無力を詫びろ」


「ローランの災厄め」


 次々と降りかかる罵詈雑言に言葉を失ったミーシャの細腕に注射針が向けられる。先端からぽつりと垂れた薬液が肌を伝い、白いドレスの裾に染みを作った。情けない声を上げそうになる口を引き結んで奥歯を噛みしめる。もう少し、もう少しできっと……――。




「やめんか馬鹿者共!!!」




 突如、薄暗い部屋の扉が開け放たれ、鼓膜を震わすような怒号が轟く。ミーシャを取り囲んでいた大臣たちが一斉に入り口を振り向くと、憤怒を露にするローランの国王と聖女、そしてその護衛騎士が佇んでいた。


 三人の後ろから続々と現れた衛兵たちが狼狽える大臣たちを次々と取り押さえていく。


「国王、いったいこれは何なのですか!?」


「我らはローランの未来のため、この恩知らずな女に施しを、」


「黙れ痴れ者が!全てこの目で見ておったぞ、言い逃れができると思うな!」


 たっぷりとした髭の下から獰猛な牙を剥く国王に、大臣たちは身を竦めて押し黙る。問答無用で次々と錠をかけられていく老翁たちを見てほっと胸を撫で下ろしていたミーシャに、シャルルが駆け寄った。


「ミーシャ、遅くなってすまない」


「毎度のことだけど、もうちょっと早く助けに来れないの?」


「だがノアが……」


「だってスリリングな方がロマンチックが増すでしょう?」


 国王の後ろで美しい顔を引き締めていたノアが、朗らかに微笑んで笑いかける。この世界に現れた時の純粋さが濾過され、強かな女性としてキラリと光っていた。


「お姉様のピンチに颯爽と現れる黒髪護衛騎士、ワンパターンですが何度読んでも高揚する展開、わたし大好きなんです!」


「……ノアちゃん、キャラ変わってない?」


「あぁっ!お姉様に寄り添うシャルル卿のこの画角っ!この世界にカメラがないことが悔やまれます、画家を呼びましょう!」


 恍惚とした表情を浮かべ両手を親指と人差し指で枠を作り、それを二人の前にかざしてはふはふと興奮気味に息を荒上げる美少女に、ミーシャはミーハーの気配を感じて口端を引き攣らせた。


 随分と印象が違うが、これが本来の東堂乃愛の姿なのである。


「あっ、悪いおじ様たち、カージュのことはご安心ください!王都からでもわたしがちょちょいっ

と管理して差し上げますので!」


 規格外聖女は健在らしい。あんぐりと美少女を見上げる大臣たちの間抜け面に、ミーシャは「この国大丈夫かな」と少しだけ心配になった。


 何はともかく、ミーシャを囮に誘き寄せた謀略家たちの一網打尽作戦は無事成功した。狡猾な狸たちだが一度は国のために尽くすと誓い国王の右腕になった者たちだ。現場を押さえないことには納得ができないと言った心根の優しい王の重い腰を上げさせるための囮作戦によって、耄碌した瞳はようやく光を取り戻し、人道を外れた行いをする家臣たちを罰する覚悟ができたらしい。


「牢へ連れて行け。無用な取り計らいは不要だ、一般の囚人と同じ扱いをするよう周知しろ」


「そんな……国王、釈明の余地を!」


「いくらなんでも横暴ですぞ!」


「弁明は継承の儀が終わり次第、然るべき場所で聞こう。今日はローランの新たな船出を祝す国事であるぞ、下世話な話など聞きとうない」


「……国王、少しだけ彼らの時間をいただいてもよろしいですか?」


 シャルルにぴったりと寄り添われていたミーシャが椅子から立ち上がり、王へ進言する。彼女の意思を跳ねのける選択を持たない王は「よしなに」とミーシャに道を譲った。


 ミーシャはシャルルに手を握られながら、捕らえられた大臣たちと対峙する。囮作戦の体裁上気弱なふりをしていてほしいと彼に頼まれていたから耐えていたが、もうその理由は必要ない。十五年で積もり積もった恨みつらみは、天まで届く山と化している。


 深呼吸を一つして、ミーシャはすぅっと瞳を細めた。


「今から大変お聞き苦しいことを申し上げます」


 当然大臣たちからは怪訝な視線が送られる。この期に及んでまだミーシャを田舎の小娘だと思っているらしい。その、人を小馬鹿にした態度がずっと気に食わなかった。




「……牢屋でマズい飯食わされて腹壊して汚い厠から永遠に出てくんな、クソじじい!!!!」




 薄い腹の底から発せられた怒声は、城中に響き渡った。


 あまりの物言いに顎が外れそうなほど口を開いた一人から、入れ歯がすっぽりと抜ける。聖女の慈悲の欠片もありはしない。ミーシャが受けた辱めは、こんな暴言一節では到底拭いきれるものではないのだ。


「ふふ……お姉様、かっこいい……」


「ミーシャよ、婚前の乙女なのだから言葉を選びなさい……」


「全っ然物足りな……え、婚前?」


「あら!式典用のドレスが汚れてしまっています、今すぐ着替えに行きましょう、お姉様!」


「ノアちゃん、今国王が婚前って、」


「それじゃあ国王様、シャルル、また後でお会いしましょうね!」


 有無を言わせないノアにぐいぐいと背中を押されて湿っぽい部屋を後にする。訳が分からずされるがままになっている姉代わりの聖女の腕を愛おし気に組んだ最強美少女聖女が用意したエンドロールが、もうすぐ始まる。



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