第49話 蓮華の花

「パイロ、大丈夫か?」

 グベルナが、パイロの顔を覗き込む。ノウムに自分の体を貸したパイロの体を気遣ってのことだった。

「……大丈夫」パイロが笑顔で返した。

「パイロ、あなたに訊きたいことがあるの?」

 絢音がパイロに近づく。何ですかとパイロが絢音の顔を見た。

「私たちは、別の世界から来たの。戻りたいの。方法を知ってる?」

「別の世界?私たち?」パイロが眉間にしわを寄せる。

 そう、私たちと言って、真琴たち三人は、パウロの前に来た。

 パウロは、真琴たちを見上げると、「手をここに」と手を差し出した。

 真琴たちは、パウロの掌にゆっくりと自分の手を乗せた。

 パウロは、目をつぶりうつむき、一呼吸おいて顔を上げた。

「あなただけ生きている」パウロは、真琴を見つめる。

「あなたたちは、死んでるけど、もう少しで生まれるところ……」

 絢音と響介を交互に見ながら、掌に乗った手を優しく返してくれた。

「皆さん、大丈夫ですよ。案内します、一緒に行きましょう。ノウムを届けなければいけないので……」

 パウロは、ノウムのメモリが入ったポケットを優しくポンと叩いた。

「場所は、エスピラールの頂上です。そこから、元の世界に戻れます。あなただけです」

 と、言って真琴を見た。


 ”エスピラール”、ウルペースが言っていた、再生の塔。

 相変わらず、青い空に真っすぐに伸びる白い塔を真琴たちは見上げた。

 でも、この塔への入口を見たことがなかった。

「どうやってこの塔に上るの?」

「僕と一緒なら入れるから、心配しないで……ケーキだ」

 パイロが鼻をうさぎのようにピクピクさせて、急に振り返った。

 そこには、ウルペースが何かを持ってオムネ城から帰って来たところだった。

「ケーキだ、ケーキ!」

「そう、ドウルケの弟子が作ったケーキ、お礼に貰ったの。いただきましょう、紅茶でね」

 ウルペースは、嬉しそうなパウロを見て、微笑みながらテーブルの上にケーキを置いた。

 夢中でケーキを食べるパウロを見ていると、絢音は訊きだすのをあきらめた。

 疲れた頭には甘いものが一番と絢音も一緒にケーキを楽しんだ。

 絢音は、パウロの顔を見つめながら、銀の創造主が恐れるパウロの能力とはいったいなんだろうと考えていた。

「パイロ、あなたの能力ってなに?」

 絢音は、パウロがケーキを食べ終わる時を見計らって訊いてみた。

「ノウリョク?」

 首をかしげるパウロ。

 パウロは小さく絢音の腰当たりまでの背の高さだった。

 パウロは歩いて絢音の足元まで来ると、絢音を見上げる。

 両手をいっぱいに伸ばし、絢音の顔を見つめる。

 両手を伸ばしきったら、背伸びをして”抱いて”と絢音を見つめる。

 絢音は、しゃがみ込み、パイロと目を合わせる。

 パイロは、絢音の首に手を巻き付けて、顔を擦り付ける。

 絢音も目を瞑って、パイロを抱きしめる。

 フアフアな感触が、子どもの頃に使っていた毛布を思い出させる。

 柔らかく、じわっと暖かく気持ちいい。

 まるで、母子が抱き合うような光景だ。

 見ているこちらまで、温かい気持ちになる。

 突然、絢音がパイロを突き放し、強烈なキックをお見舞いしていた。

 ゴロゴロと転がるパイロ。やがて、部屋の壁にぶつかり止まった。

「胸を触ったの」と、絢音のこぶしが震える。

 パイロは、すくっと立ち上がり、振り返った。

 鼻血が出ている。

 みんなその光景を、唖然として見守っている。


「ノウムの仮説が正しいとするならば、銀の創造主は、パイロを恐れるでしょうね」

 真琴たちは、その声の方を向いた。ウルペースだ。

「コックやパテシエどころではない、根本的な問題だからだ。

 人間は、五感を備えている。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、全ては知るためにある。

 コンピューターが生まれ、五感が、機械に置き換えられようとしている。

 アナログからデジタルへ、リアルからバーチャルへと移行し、そして、バーチャルがリアルであると信じ込まれようとしている。

 すべて実体のない仮想なのにそれを信じてしまう。

 視覚や聴覚だけでは、相手の存在感が伝わってこない。

 やがて、存在感のない相手に関心がなくなる。

 ゲームの様に、相手が居なくなっても、失っても何も感じなくなる。

 パラレルワールドで起こっていると思い込んでしまう。

 そして、リアルでないのだから、殺し合いを何とも思わなくなる。

 暴力が始まり、殺し合いが始まる。

 戦争が始まる。

 世界大戦が始まる。

 罪のない、力のないものが犠牲となり、この世から亡くなる。

 それは、誰にも止められないかもしれない。

 バーチャルは、人間の根本を覆す。

 つまり、生きていることを忘れてしまう。

 生命があることを忘れてしまう。


 さらに、掌に収まるフレームの登場は、人間をコントロールするには最適だった。

 生き物の中で、好奇心が一番強い人間は、勝手に我先にとそれを手にした。

 掌に収まり持ち運べて、好きな時に情報を得ることができ、自分に都合の良い情報を選んで安心する。

 情報の提供の仕方で、真実か虚偽か、誘導できる。錯覚させることができるのです。

 つまり、コントロールすることができる。

 この試みは、他の人間について無関心になり、孤立化させ、人間が生き残るために作ったシステム、集団脳を破壊する。


 それを阻止できるのは、パウロだ。

 パイロの事を”抱きつきパイロ”と呼んでいるの。

 パイロの能力は、抱きつくこと。触ること、触れ合うことで、大切なことを思い出させてくれる。

 自分は、一人じゃなかったんだと、思い出させてくれるの。

 人間は、生まれてくる時は、一人じゃないのよ。

 大人になると忘れてしまう。一人で生きてきたんだと思ってしまう。

 一人じゃないと思い出させてくれるもの、それが魂の触れ合いだ。


 魂の触れ合いが、この世を救うのではないか。

 相手に触れる。

 相手の体温を知る。

 相手の鼓動を感じる。

 息遣いを感じる。

 それは相手の存在を知ること。

 それを思い出させる力をパウロが持っている。

 相手の存在を知ることを思い出させる行為。

 それは、ハグだ。

 このリアルな感触を、生きている者の感触を貴方の脳へ記憶させる。

 それが、昔から体の中に用意されているスイッチが入る。

 子供を抱いた抱いた時と同じ様に母性のスイッチを入るように。

 これが、戦争をなくするための唯一の方法。

 孤独から解放される方法。

 楽しく生きるために必要な行為なの。

 では、体験してみましょう」


 ウルペースは、一呼吸置くと、響介と絢音の手を引いて、パイロの所に連れて行った。

 そして、響介と絢音の手を繋がせた。

「えっ」絢音が声を上げる。

「じゃ、やってみましょうか、ハグを」パイロが二人を見上げる。

「無茶ブリだな」と、響介。

 ゆっくりと二人は抱き合った。お互いに照れくさい、恥ずかしい。

「目を瞑って」呟くようにパイロ。

 お互いの体温を感じる。

 呼吸、そして鼓動も。

 響介は、前にも絢音を感じたことを思い出した。

 そう、この世界に来た時、この塔を目指して二人で歩いた時、絢音に包まれたことを。


 頭の中に、何処までも続く草原が浮かぶ。

 緩やかな円弧を描く地平線が見えるようだ。

 その草原に白い花が咲いていく。

 白い蓮華だ。

 春が訪れ、淡い白とピンクの花が野原一面に咲き渡っている。

 なぜかミツバチは、他に花には目もくれずに、蓮華の蜜を集めに来る。

 蓮華は、受粉を終えると赤くなってしまう。

 その中に特別な蓮華が現れる。

 百万本に一本の白い蓮華。

 響介にとって特別な蓮華だ。

 その蓮華を大切に両腕で包み込む。

 絢音は、やさしく温かい何かに包み込まれていく。

 いつまでも、このままでいたい。

 そう、いつまでも。


「君にも見せてあげよう」

 パイロは、真琴に手を差し出した。真琴はそっと手を添える。

 真琴の頭の中に、草原が広がる。

 その中に、絢音と響介が抱き合っている。

 その足元から、淡い白とピンクの花が赤く染まる。

 赤い花の中、絢音が透き通るような白いドレスで現れた。

 綺麗だ。

 二人の世界。誰も入り込むことができない。

 真琴は、ずーっと二人から目を話すことが出来ないでいた。

 目頭が熱くなる。


「分かった?」パイロの声が聞こえる。

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