第6話 信じる心

「ここは……」


 秋は突然襲ってきた浮遊感に閉じていた目をゆっくりと開けた。周りを見回し浮遊感の正体を突き止めようとしたが、それより自分が今いる所を理解し動きを止めた。


 周りにはボールの入った籠、バスケットゴール。奥には大きなステージが広がっている。

 ここは、秋の学校の体育館。今の彼女にとって苦々しい場所だ。


「ここは…………」

「ここは、君の記憶の中だよ」

「えっ」


 いきなり後ろから声が聞こえたため、秋は咄嗟に振り向く。そこに居たのは、先程まで明人と一緒にいた毒舌美少年のカクリだった。だが、一部だけ、見た目が変わっており秋は言葉を失う。

 

 今のカクリは人間とは言えない姿になっていた。頭には狐の耳が生えており、お尻には尻尾があり揺れている。話す度、口から覗き見える八重歯が鋭く尖っており白く光っていた。


 カクリはただの少年ではなく、明人と契約をしている妖。九尾の子供だ。


「えっ、え? 夢?」

「まぁ、夢という捉え方は間違えていない。それより、周りを見てみると良い」


 カクリは言いながら、右側に顔を向けた。

 秋もその視線を追うように顔を向けると、何故か練習をしている先輩達や麗がいた。そして、端で後片付けをしている秋の姿もある。


「なんで……」


 仲間の輪から離れ、一人で作業をしている自分を目にし秋は顔を歪める。

 何で私はあんな所で一人なのか。何で、一人で俯き掃除をしているのか。何で、仲間の輪から弾き飛ばされているのか。


 一人、淡々と作業している自分を見ていると心が締め付けられる感覚が襲い、息苦しさから逃げるように彼女は目を逸らす。


「周りを見る余裕くらい持ったらどうだい」

「──はぁ?」


 秋は何もできない自分や、何も関与しようとしない周りの人。全てを秋に押し付け、自分は楽しく仲間と話している巴。自分にも周りにも苛立ち、その感情を隠さずカクリを睨み怒気が含まれた声質で聞き返す。


「だから、周りを見る事くらいなら出来ると思うのだけれど。何故そのように背けようとするんだい?」


 下唇を強く噛み、込み上げてくる怒りを抑えつける。だが、周りの光景がどうしても目に映り。それだけではなく、頭にこびり付き離れない今までの記憶も重なり様々な感情が溢れる。

 そんな感情を押さえつける事ができず、溜まりに溜まった感情を吐き出すように意味が無いのは分かりつつカクリに叫び散らした。


「だから! それになんの意味があるのよ! 惨めな姿を見せて楽しんでいるんでしょ?! 匣を開けるって口実を使って、ただ楽しんでるだけじゃないの?!」


 喉が切れてしまいそうなほどの甲高い声。顔を赤くし、息は荒く興奮状態だ。今の秋には誰が声をかけても耳に入らないだろう。だが、カクリの声は相手の脳に直接語り掛けるように落ち着いており。まるで、波が立っていない静かで綺麗な海のような声。

 優しく、包み込むような声でカクリは問いかけた。その声は興奮状態の秋にも届き、怒りを抑えこんだ。


「それを私に言ってどうするのかね?」

「──は?」

「それを私に言って、何か解決するのかい?」


 無表情のまま淡々と話すカクリ。秋はその表情を見て、これ以上言葉を繋げる事が出来ていなかった。

 冷静な声の中に、相手を落ち着かせるような温かさがある。相手を思いやる気持ちを感じ取る事ができ、秋は自然と落ちすき始めた。


「私達が意味の無い事をすると思うかい? そもそも、匣を開けるのも楽では無いのだ。そのような事に使うくらいなら、元々そんな力を受け継がないだろうね。明人なら」


 目を細め、なぜか悲しそうに顔を伏せる。頭の中にあるカクリの過去が今、彼の脳を駆け回っており、元々儚いカクリが今にも散ってしまいそうに感じてしまう。

 そんなカクリを目の前に、少し戸惑いの色を見せる秋だったが、まだ微かに残っている怒りが彼女の閉じられている唇を動かした。


「……だったら、こんなの見せてなんになるのよ。何か意味があるっていうの」


 低く、我慢しているような声でカクリに問い掛けた。


「ここからヒントを見つけるんだよ」

「ヒント? ヒントって、何の…………」

「匣を開けるヒント。私達は匣を開ける事なら出来る。だが、その下準備は君にしてもらわなければならない」

「下準備って、なに?」

「君の匣を開けてしまうのは容易い。だが、そのまま開けてしまうと自我を失う可能性があるのだよ。先程みたいにね」


 秋はカクリの言葉にハッとなる。先ほどまでの自身の言動や行動が彼女の頭を過り、咄嗟に口を手で塞いだ。


「見てみなよ、君の友達を。しっかりと」


 右手で仲間と楽しく話している麗を指さした。秋もつられるように同じ方向を見る。


 笑顔を浮かべ、部活仲間と楽しそうに話している麗から目を逸らしそうになるが、ぐっと我慢し耐える。眉を上げ、床に垂らしている手を強く握り真っ直ぐな目で見続けた。すると、仲間達が麗から目を離した時。麗はいきなり笑顔を消し、秋の方へ目線を移した。その表情は悲しそうで、今にも泣き出しそうに瞳が揺れている。


『秋、私は貴方と──』


 何かを言いかけた麗は仲間達が振り向き話しかけると、またいつもの笑顔に戻った。その行動に秋は困惑し、引きつったような顔になる。


「なに。同情、してるの?」


 怒りと困惑。ぐちゃぐちゃな感情が秋の心を占め、どうすればいいのかわからず胸元を強く掴んだ。

 気持ちの悪い感情を押さえつけようとするが、溢れてくる感情はどうする事も出来ない。喉が詰まり、息が浅くなる。


「君にはあれが同情に見えるのかい?」


 息苦しく胸元を抑えている秋に対し、カクリは声色一つ変えず問いかける。冷静な声に秋も落ち着き始め、喉が広がり息をしっかりと吸う事が出来た。


 カクリはチラッと隣に立つ秋を見上げ、また前に目線を戻す。表情一つ変えず、ただただ問いかける。


「君は自分の想いを伝えたかい?」

「自分の、想い?」


 カクリの言葉を彼女は繰り返し、彼の横顔を見つめる。


「人間と言うものは、自分の口で意見を言わなければ通じないだろう。お主は相手に伝えるように、行動を起こしたのかね?」


 カクリの言葉に、秋はハッと目を開く。


「そうだ、私は今まで麗に伝えてなかった。自分の考え、意志。伝えても意味ないと思ってたから……」

「意味が無いって、誰が決めたんだい」


 カクリの抑揚のない質問に、秋は気持ちがすぅっと冷めていき余裕を取り戻した。


「今やるべき事はわかったかね」


 カクリの言葉に秋は大きく頷き、自身を見上げている彼と目を合わせた。


 彼の目は黒く、明人と同じような瞳。その瞳は真っ直ぐ、ただ前だけを見ていた。迷いなどは一切なく、カクリの奥に秘める強い決意が黒い瞳から見え隠れしている。目を離す事が出来ず、秋は見下ろし続けた。


「わかったようだね。今の君なら大丈夫だろう」

「えっ」


 カクリが安心したように呟くと、右手を頭の横に持って行った。人差し指と親指を重ねはじく。


 パチン!! と。体育館が広がる空間に何かを弾く音が鳴り響く。すると、目の前に広がっていた光景が一瞬にして消え、何も見えなくなり真っ暗となった。


「え、ちょっ! なんなの!!」


 秋は隣にいるはずのカクリに手を伸ばすが、いつの間にか姿を消しておりなにも掴めない。

 焦りながら何もない空間に叫ぶが、周りは何も見えない闇の中。叫んだ所で返ってくるのは自分の響いた声だけ。


「こ、怖い……」


 突如一人になり、闇の空間へと投げ出された秋は恐怖で身を縮こませる。薄く涙が浮かび、自身の両肩を掴む。その時、闇の中に男性の声が響いた。


『安心しろ、問題ない。そのまま体の力を抜け』


 甘く澄んだ声。優しく包み込んでくれているような声に、秋は声主を探すが見当たらない。どこから聞こえるのか、誰が話しかけてくれているのか。何もわからないはずなのに、秋は体に入っていた力が自然と抜ける。


 浮かんでいる秋の背中に突如として、白い手が現れ彼女の背中に触れた。その手から徐々に男性の影が現れる。

 手が秋の背中に触れた瞬間、目から涙が溢れ出し宙に浮かんだ。


「……そうだ。私は麗がずっと羨ましかったんだ。羨ましくて仕方がなかった。それがいつしか憎しみへと変わってしまっていたんだ。その想いを口に出してしまえばもう後戻りが出来ないと。だから、蓋をしてしまった。気持ちを出さないように。麗がいなくなってしまったら、私が一人になってしまうからと……」


 秋は両手を自分の胸に持っていき、顔を下げ優しく微笑んだ。


「なんだ、私。自分の事ばっかり」


 目から溢れ出る涙は秋の悲しみや怒り、憎しみなどを洗い流しているように見える。


「麗。私これからちゃんと自分の想い、意志を自分の口で伝えるように努力するよ。だからこれからも一緒にいてくれるかな?」


 誰もいない空間に問いかける秋。その声は優しく、涙声だがすんなりと聞き取れた。


 もう、心につっかえは無い。言葉がすんなりと出てきており、すっきりした顔を浮かべる。


「麗。私の話、聞いてくれるかな」


 その言葉を口にした瞬間、周りの闇は崩れ落ち、真っ白な空間へと変わった。優しい声が、白い空間に響き渡る。


『お前の匣は開けた、もう問題ない。自分の信じる道を進め』

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