第8話 白々とした花弁に雨雫が伝う⑤

 そのあと閑谷が白砂 朱里について教えてくれた。五歳の頃に子役として芸能界デビューを果たしたものの芽が出ず、学業優先の為の休止期間を挟んだのち前事務所を退所。そして中学生の頃にフリーの身でありながらSNSでの活動が徐々に注目され始め、時を同じくしてアマガミエンターテインメント主催のオーディションでグランプリを獲得。


 受賞による知名度上昇、所属が決まったアマガミエンターテインメントのバックアップもあり、ファッションモデルとしてティーンズ雑誌の専属に就任。それに伴いSNSでの地道な投稿も功を奏し、彼女が高校生になった頃にはティーンズのカリスマモデルの称号を欲しいままにする。


 現在二十歳。ティーンエイジを卒業した年齢を迎えてもなお、彼女は第一線で躍進を続けている……らしい。これら全部が閑谷の受け売りだから、実際のところはオレにも閑谷にも分からない部分もあるだろうけど……意外にも苦労人だったんだなと感じるエピソードだ。


 そんな会話をしていると、里野さんインタビュー場所のセッティングから一時離れたことを謝りながら戻って来た。そして簡単な注意点を述べ、見学の許可を下す。


「あ、吉永君はちょっと待って」

「えっ? はい……」


 閑谷の後ろに付いて行こうとしたら里野さんに止められてしまう。何事かとオレが疑問に思っていると、念の為に、首から吊り下げた名札が本物かどうかのチェックがしたかっただけらしい。


「うん。雫井のモノだね、ごめんね」

「いえいえ、どうも」


 無事にオレも白砂 朱里の撮影スタジオを自由に見学する権利を得る。一足先にスタッフさんたちに紛れている閑谷は何やら質問攻めにあっていて、とてもオレが声を掛けられそうな雰囲気じゃない。中には現役のモデルなんかも居るせいか、常用する化粧水の話題が聴こえて来る。


 ここで髭剃り後のシェービングローションを引き合いに出して割り込んだら、もれなく失笑を買いそうだなと内心で自嘲しつつ、インタビュアーの到着待ち状態の白砂 朱里を流し見て時間が掛かりそうだと悟り、一体ここで何をすればいいのか分からなくて溜息を吐くしかない。


「彼女、大人気やねー」

「えっあっ——」


 そんなタイミングを見計らったかのように、オレは背中を軽く叩かれながら、話しかけられる。彼女とは、閑谷のことを指す。一瞬里野さんかなと思ったけど、彼女は既に白砂 朱里の荷物が置かれてある辺りを整頓しているようだ。いや整頓というよりは、現場のテーブルや台座に放置されたままの、マニキュアを落としたコットンや、軽食の包装を拾って回るなどの方がメインらしい。


 初見で何故そうだと思ったのかというと、隣スタジオでの閑谷の荷物置き場と全く同じ位置だから。恐らくはあそこが主要タレントさんのスペースというしきたりがあるみたいだ。いやそんなことより、ここでオレにわざわざ声を掛ける人は雫井さんくらいしかいないけど、声色が明らかに異なるし、あの人がこんなフランクに接して来る訳もないし想像も出来ないから、本当に誰か見当も付かない。


 おそるおそる、半目で左横を確認する。

 ひらひらと揺さ振る右手と笑顔が見える。


「——君は……あっ、もしかしてタレント探偵のバーターかな?」

「いや……まあ、そんなところですね」

「おーそっかそっか、じゃあうちとおんなじやね」

「へぇー……」


 バーターというのもあながち間違ってもないと首肯しながら、なんの躊躇いも無くオレの左隣に立つ初対面の女性を見据える。ブロンドヘアのショートボブ、真っ黒のヘアピンを二つ前髪のアクセントとして付け、快活そうな面持ちが際立つ丸顔。ノースリーブのネイビーブラウス、ショートジーンズに厚底サンダルというサマースタイルを先取りした服装が良く似合う、おそらくは少し年上くらいの溌剌はつらつけいの女性だ。

 折角声を掛けて貰っておいて申し訳無いけど、オレが苦手な、ノリだけで生きてそうな人だと第一印象で忌避してしまう。


「君……うちのこと分かるー? これでも一応モデルなんやけど、アマガミの所属というか預かりでなー——」

「——あー……いや全然分からないです。普段ファッション誌とか読まないんで」

「んん……それは残念。まあ元々ファンもそんなにいてへんから、仕方ないんやけどね」

「……はい」


 標準語と関西弁らしき言語が混じった言い回しをする彼女は、オレの返答なんてお見通しだと諸手を半分だけ挙げる。


 この人がモデル界隈で有名だろうが、そうでなかろうが、オレはカリスマと呼ばれてるらしい白砂 朱里のことすら知らなかったからどのみち分からない。ただ例えば道端ですれ違えば苦手そうな人だけど、同時にモデルかアイドルかの活動をしていても、別段おかしくはないなと感じた気がする。


「……かわええな、彼女」

「……そうみたいですね」

「ホント……朱里にも言えることやけど、ウチより年下とは思えないわ」

「へぇー……——」


 知名度の有無はさておき。現役のモデルから一目置かれる閑谷の美貌やタレント力を間近で聴くとなんか、もちろん悪い気はしないけど、他人事なのに緊張する。


「せやっ! まず君にウチのこと、宣伝せんとね……泉田いずみだ 美晴みはる、名前だけでも憶えてってなー」

「泉田さん……はい」

「ついでやからこの現場のこと、色々案内しよか? ウチ暇やし……彼女はお取り込み中みたいやし?」

「ああ……」


 名案だと両手を叩いた泉田さんが、どうだろうかと言いたげにオレを見る。正直このスタジオで一人は気まずいし、閑谷は家でのトレーニング法を訊ねられているし、泉田さんは語調が少し強めだけど恐らくこれがスタンダードなんだと思う。


 それにもしかしたら彼女は、独りのオレに配慮して声を掛けてくれたのかもしれない。或いは単純にモデルとしての宣伝目的も考えられるけど、それならオレよりも閑谷の方が影響力があって良いだろうし、ましてや案内まで買って出る道理はない。


「……お願いしても、良いんですか?」

「うん、ウチもやることないから助かるっ」

「じゃあ……宜しく頼みます」

「よしっ、決まりやな!」


 こうしてオレは泉田さんの厚意を受け入れることにする。ちょうどいい時間の穴埋めにはなるだろうと。

 ただ、無遠慮に背中を何度も叩くのはやめて欲しい。普通に痛いから。

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