エコ魔導士
愛餓え男
第一章 旅立ち
第1話『出会い』
緑一色の世界の中――、タークは絶句していた。
彼はぼろぼろの外套から浅黒く日焼けした太い腕をのぞかせると、彫りの深い顔のまぶたをこすった。
一人旅の人恋しさのあまり、幻覚を見せられているのではないか……そう思ったからだった。
タークが見下ろしている円形の盆地の底には……白い壁に緑の切妻屋根をのせた一軒家が建っていた。
家の周りには畑があり、そこで作物が育っている。玄関先の花壇には色とりどりの花が咲いていた。
……これが【石の街 トレログ】や【芸術の街 イルピア】のような都市の中の光景なら、タークは驚かない。
しかし今いるのは人を拒んで寄せ付けない野生の原野――、【ヒカズラ平原】の奥地だ。
周囲に数万レーン(レーンはこの世界の距離の単位。一レーンは約一メートル)に人里はなく、そこら中に危険な
怪しいとは思いつつも、タークはその景色に吸い寄せられるように坂を下り、一軒家へと足を向けていた。人の気配を感じるのは、数週間ぶりだった。
――大きな風が、草原を吹き渡っていた。
枝分かれを繰り返しながら草原を区切るいくつもの川の流れと、競うように生い茂る背の高い草々、そして惜しげもなく降り注ぐ、遮るものの何もない太陽の光。
ここ【ヒカズラ平原】は、人界の外に位置する広大な草原地帯だ。
この恵まれた土地には強く複雑な
だがその頂点に君臨する生物は、“人間”などではなかった。
人に害をなす強大な生物群、通称【魔物】。
その創造主……すなわち【魔導士】と呼ばれる一部の人間たちによって無責任に放逐されたそれらの生き物は、既存の生態系に割り込み、自然界の中に自らの居場所を創り出していた。
【魔物】と呼ばれる生物には様々な種が存在するが、中には農場を荒らすものや、大型の家畜を丸のみにしてしまうような危険な生き物もいる。
タークが驚いた理由は、まさにその点にあった。――こんなに魔物の多い土地で、あんなふうに暮らせるわけがない。
そんなことをすれば瞬く間に家屋が壊され、住民は食われ、畑は跡形もなく
現にタークは、昨夜まで狼のような魔物――【ギズモゥブ・タコリ】につきまとわれていた。火や石を使ってなんとか追い払ったものの、その間は十分に眠ることもゆっくり食事を摂ることも出来ず、旅慣れたタークでさえ何度も死を覚悟したのだ。
この世界において、人間は魔物に劣る卑小な生き物だった。ここ数ヶ月の放浪生活で、タークは嫌というほどその事実を噛み締めている。
魔物の襲撃に遭い、小さな集落がなくなる瞬間もこの目で見たことがある。きちんとした“対策”をしなければ、魔物の被害を避けることはできない。
(あの頑丈な家に籠れば、中型の魔物ていどならやり過ごせるのかもしれない。だが【ヒカズラ平原の人食い魔獣】のような大型の魔物には……)
タークは混乱していたが、足は自然とその家に向かっていた。疑問と好奇心。どうあっても、あの家の正体が知りたかった。
それに、もう何週間もタークは他の人間を目にしていない。どうしても、人の香りのするその場所から遠ざかることは出来なかった。
やがて家の脇に広がる畑までたどり着く。
畑には元気よく野菜が育っている。緑色の屋根に生えた煙突から、食べ物の焼けるいい匂いが漂ってくる。間違いなく人が生活している。
だが、見たところ家の周囲に柵や壁の類は一つもない。あまりにも無防備だった。
タークは頭に巻いたターバンの下で、用心深く左右に目を配った。依然として、危険は感じない……。だがタークは決して気を抜くことなく、慎重に歩みを進めた。
用心のため、腰に差した山刀に手をかける。
玄関に着く。木製の素朴な玄関扉は、無用心にも半開きになっていた。どうしたものかと考えあぐね、ようやく意を決してドアを叩こうとした瞬間――背後から唐突に呼びかけられた。
「こんにちはっ!」
「っ!?」
タークが驚き、反射的に振り返る。
そこにいたのは、みずみずしい鮮緑色の髪を持った十代半ばほどの女の子だった。
オレンジ色の大きな瞳に低い鼻、まだ幼さの残る顔に仔犬のように人懐っこい笑みを浮かべて、タークを見つめている。
「わたしはエコ! あなただれ? ここに人が来たの初めてだよ!」
エコと名乗った女の子は、後頭部で結った髪をリズミカルに左右に揺らしながら、タークのもとへ近寄ってくる。警戒心はまるで感じられなかった。
「お、俺は……、」
タークは向き直った。女の子はもはや手が届くほどの距離まで近づいている。さらに一歩タークの方に踏み出す。
「ねえ、名前は?」
エコと名乗った少女はタークを見上げ、再び尋ねてくる。
「俺は、ターク……ターク・グレーン」
名乗りながら、タークはその少女に不思議な親しみを覚えていた。腰の武器にかけていた手は、知らない内に離れていた。
少女の名はエコ。
男の名はターク。
この二人の出会いは、小さな出来事だったかもしれない。しかしこの世界にとって、二人の出会いは重大な意味を持っていた。
どんなに大きな出来事も、そのはじまりはほんの些細なことに過ぎない。そしていつも、何かと何かが出会うことによってはじまるのだ。
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