第12話 王の帰還

 下を見た。地面に伏せた黒の騎士、兜の下から噴き出す赤い泡。頬を刺す冷たい空気と、生々しい血の匂いが、これが現実であることを嫌でも訴えかけてくる。

 上を見た。雪凪は足元の黒い甲冑に視線を落とし、目を見開いたままだ。未だ整わない呼吸の舵を取るように、肩を大きく上下させているのが心拍と共に身体越しに伝わる。

「何故だ、何故白蓮が」

 低い声が雪凪の喉を揺らす。満は雪凪の陰に隠れ、震えることしかできなかった。

 目の前で、激しく火花が散った。

「陛下、雪凪とお逃げください。ここは私にお任せを」

 朱雀の刀が襲ってきた騎士の刃と拮抗する。朱雀は黒い切先を押し除け、再び騎士の急所に刃を滑らせた、かと思われた。

「がっ……ッ……」

 騎士の片腕に携える盾が、朱雀の腹を打ち据える。取り落とされた刀が石畳の上に投げ出される。

 朱い髪が満の前を流れ、どさりと地に伏せる音。

「みんな、すまない! よく持ち堪えた!」

 朗々と響く声で騎士が叫び、こちらを真っ直ぐ見据え、兜を外した。体格の良い、精悍な若い男だった。

 足元には絞り出すように咳をする朱雀と、ひしゃげた眼鏡。朱雀への警戒を解いた他の騎士たちがこちらに駆け出してくる。

 雪凪の手が満の腕を強く引く。

「陛下! 突破します、どうか私の側に!」

 そう言うと雪凪は満を抱き寄せ、背の留め具を外し、大剣を握りしめた。

「凍りつけ!」

 鞘に入ったままの氷魔法を纏わせた大剣で黒の騎士たちを薙ぎ払う。すると、鞘の触れた場所からみるみるうちに氷柱が生み出され、騎士たちの足を地に縫い付ける。

 満は震える手を握りしめながら雪凪の方を向き直り、声を振り絞った。

「……朱雀と紫穏を連れて撤退しよう! 早く!」

「そうはさせるか!」

 雪凪の背後から氷の砕かれる音と共に、黒い人影が襲いかかる。先程の若い騎士だ。

「冬将軍! よくも部下たちを氷漬けにしたな! 名に偽りないなら正々堂々勝負したらどうなんだ!」

 振り向きざま咄嗟に腰の鉈を抜き、騎士の剣を防ぐ雪凪。

「モノノ怪と共謀し、奇襲を仕掛けて来た者が何を言うか! 何故白蓮を襲った! 父上が居ながらにして、貴様らの侵入を許すなど……」

 剣の応酬を鉈で防ぎながら、雪凪は半身で満を庇いつつ、いつでも抱えて走れるように肩をしっかりと抱いていた。防ぎ切れなかった切先が腕を撫でても、雪凪は鉈を握りしめ、離さない。

「携行品の鉈では無理があるか……。だが今は……」

「馬鹿にするのもいい加減にしろ! 冬将軍! 武器を取ってちゃんと戦え!」

 若い騎士は鼻の先を真っ赤にしながら何度も剣を振り回している。雪凪の陰から恐る恐る様子を見ると、満ではなく雪凪だけを狙って切り掛かっているようだ。だんだんと息も上がり、消耗しているようにも見える。もう少しでやり過ごせるかもしれない……。

 遠くから馬の足音が聞こえる。雪凪の首が僅かに傾く。僅かな隙に、首に振り下ろされる黒い刃。

 満は咄嗟に雪凪の体を押した。当然満の力ではびくともしない。が、すぐに気付いた雪凪が身体を捻り、満を投げ飛ばす。

 石畳が頬を削り、背中に鈍い痛みが伝わる。

 雪凪。雪凪は。

 起き上がり、顔を上げる。

「動くな」

 頭上から低い声がした。聞き覚えのある声だ。全身の血液が凍りつくような、威圧する気配を背後に感じる。首が錆びた蝶番のように恐怖でかたまり、動かない。

 視線の先で雪凪と若い騎士が、満の背後を見て一瞬静止する。

「もう! 遅いですよ! クーゲル卿!」

「貴様は……ッ!!」

 雪凪がこちらに向かって駆け出してくる。先程とは比にならないような、怒りに打ち震えた顔だ。雪凪がまた氷属性魔法を唱え、拳が氷塊を纏う。

 その瞬間、満は後ろから肩を掴まれ、強く上に引っ張られた。

「動くなと、言ったはずだが」

「貴様……その方が何者か分かっているのか!」

 目の前には雪凪の拳が震えて止まっていた。恐る恐る後ろを見ると、見覚えのある狡猾そうな顔の男が口を歪めて笑っていた。クーゲル卿と呼ばれた黒の騎士。雪凪と満を、崖まで追い詰めた、あの騎士だ。

「その表情を見るに、私のことは覚えておいでのようですね。白蓮満陛下」

「……はな、せ」

 声が震える。クーゲルは満を冷たい眼差しで見下ろしながら、また口を歪める。

「はは、随分と、可愛らしい盾だ。便利便利」

「きっ……貴様ッ陛下に向かって……」

「おっと、犬でも三度命令されれば聞くものだぞ」

 クーゲルは片手で雪凪の拳を自分の顔から逸らせながら、再び口を開いた。

「動くな」

 そう言ってクーゲルは指の先で、小さな薬瓶を割った。薬瓶から零れ落ちた黒い液体は瞬く間に気化し、空中に無数の刀剣を顕現させる。まるで、軍隊に包囲されているかのように、その切先が雪凪たちへと向けられる。

「闇属性魔法は初めて見るだろう。応じないのなら、無限の引力を持つ刃が貴様らを引き裂く。勿論……私の死角で、こっそり刀に手をかけた赤髪の君も例外ではなく、だ」

「ぐっ……」

「朱雀っ!?」

 背後から小さな呻き声と刀を取り落とす金属音が聞こえた。慌てて後ろを振り向くと朱雀が手を押さえ、悔しそうに膝をついていた。

「今すぐに武器を捨てろ。装備を外せ。手を頭の後ろに回し、跪け。貴様らは包囲されている」

 淡々とした、しかし地を震わすような声が満の腹に響く。

「何っ……これっ……俺死んじゃうの?」

「落ち着け……お前は元々無抵抗だろ、殺されやしないよ」

 朱雀は傷を負った手を庇いながら頭の後ろに回し、跪いた。紫穏もその後ろでびくびくと縮こまる。

 雪凪は未だ、射殺すような視線でクーゲルを睨みつけながら、鉈と剣に手をかけた。

「陛下を……離せ……」

「その物騒な物を置いてから口を聞いてもらえるかね、冬将軍。君の友人は従ってくれたよ」

「……ッ……、……陛下、……申し訳ありません」

 ゴト、と重々しい音を立てて、雪凪の大剣が地面に置かれた。クーゲルは満から手を離し、解放する。

 自由になった身体が冷たい地面に落ちる。

「よろしい、良い子だ。だが、先程から貴様は剣を抜いていないな? 魔法薬はどこに仕込んである」

「……」

「白の国の術式は、原始的な発話だそうだな。貴様に渡すつもりが無くても、二度と唱えられないように顎を砕いてしまえば良い。ほら、口を開けろ」

 そう言うと、騎士は地に伏せた雪凪の顎を靴先で小突いた。雪凪は口を一文字に閉じたまま、悔しそうにクーゲルを睨みつけている。

 私のせいだ。

 私に自分の身を守るくらいの力があれば、雪凪や朱雀はもっと力を発揮できた。私のために傷つけられることもなかった。

 黒の騎士が狙っているのは私だ。……いつまでも逃げ続ける訳にはいかない。

「分かった。そちらの要件を聞こう。その代わり、武器を下ろし、彼らを解放してくれ」

 満は立ち上がり、クーゲルを真っ直ぐ見上げた。震える手を押さえるように握りしめる。

「決心がついたようだな」

「陛下! 何を仰いますか!」

 視界の隅で、雪凪が焦った様子で顔を上げた。

 国を守って散るのが、雪の民の戦士のあり方なのは分かっている。だが私のために、あなたを死なせるのは耐えられないのだ。すまない、雪凪。弱く、身勝手な主で。

「良い主君じゃないか。お若いのにしっかりされている。その勇気に免じて、剣は下ろすとしよう。だが、こちらとしては若い冬将軍にも用がある。解放とまではいかないが、それでも良いかね?」

 満が頷くとクーゲルの周りに浮遊していた剣が煙のように消え去った。

「では、簡潔に要件を話そう。我々黒の騎士団は、冬将軍と白蓮の王が持つ力に関心を寄せている」

「待ってくれ、雪凪はともかく、私に何の力が?」

「風に命を乗せる者……と聞いている。なんでも、自由自在に魔獣を生み出し、使役することができるとか」

 魔獣……? モノノ怪を生み出す? この男は一体、何を言っているんだ。

「とんでもない! 私はただの人間だ! モノノ怪に襲われたって何もできなかった!」

「そうだろうな」

 クーゲルは相変わらず冷たい瞳で満を見下ろしながら話を続けた。

「だが今は違う。白蓮の王を覚醒させるための条件はこちらで幾つか、既に満たしているそうだ。現段階で、どれほどの力を発揮できるか、それを確かめるために我々はここへ来た。力を貸してくれるね」

 クーゲルは満の目の前に、手を差し出した。震える手でクーゲルの手を取る。冷たく湿った黒革が満の手から熱を奪った。


 

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