第10話『彼女は私だと恋人が言った。』

 それから、流れるプールでの時間をゆったりと過ごす。

 流れるプールをしばらく回った後、愛実と交代して俺が浮き輪に腰を下ろした。浮き輪に座ってゆっくりするのもいいものだ。あと、何も掴まらず、座っているだけで移動できるのはちょっと不思議な感じがした。


「浮き輪に掴まるのも気持ちいいね。全身で水の流れを感じられて」


 と、愛実も浮き輪に掴まって流れることに気持ち良さそうにしていた。

 交代してから何周か回ったところで、俺達は流れるプールから出て、ピンクの浮き輪をレンタルコーナーに返却した。


「流れるプール、気持ち良かったね!」

「気持ち良かったな」

「うんっ。……冷たいプールで遊んだけど、喉渇いてきたな」

「そっか。俺も喉渇いたな。ここは屋内だし、暑くはないけど、水分補給はしっかりした方がいいな。じゃあ、更衣室近くにある自販機でジュースを買って、サマーベッドで休憩するか」

「うん、そうしよう!」

「あと、ジュースは俺に奢らせてくれないか? 昨日、愛実がプールデートをしたいって言ってくれたおかげで、今日はここで楽しい時間を過ごせているんだ。だから、そのお礼に」


 あとは、あおいとプールデートをしたとき、クロールで泳いだことに負けたのが理由とはいえジュースを奢ったからな。恋人の愛実にも奢りたい気持ちがある。


「分かった。そういうことなら、リョウ君に奢ってもらうね。ありがとう、リョウ君」


 愛実はニッコリとした笑顔で快諾してくれた。その反応に嬉しい気持ちになった。


「買いに行く前にお手洗いに行ってくるよ」

「うん、分かった。……俺も行こうかな」

「じゃあ、お手洗いの前まで一緒に行こうか」


 俺達は屋内プールの中に設けられているお手洗いへ向かう。

 お手洗いの前で待ち合わせすることを約束して、俺は男性用にお手洗いに入る。

 お手洗いの中にはそれなりに人がいて、列ができていたけど……男性用なのもあって、すぐに俺の順番が来た。

 用を足して、男性用のお手洗いを出ると……愛実の姿はまだなかった。女性用の方も列ができているのだろうか。理由はどうであれ、ここで愛実のことを待とう。


「そういえば……」


 あおいとプールデートをしたとき、あおいはお手洗いに行ったときにナンパされたんだよな。まあ、今回は俺がここで待っているから、愛実がナンパされることはないだ――。


「うわあっ、すっごいイケメン!」

「かっこいいね! 筋肉も付いてて細マッチョって感じ」

「君、高校生? お姉さん達と一緒に遊ばない?」


 気付けば、俺の目の前に黒髪の女性と茶髪の女性の2人が立っていた。見た感じ、大学生か20代前半の社会人だろうか。2人ともニコニコしながら俺のことを見ていて。

 彼女達の今の言葉からして逆ナンというやつか。いやぁ、俺が逆ナンされるとは思わなかった。


「ごめんなさい。俺、彼女とデートしに来てるので」

「ええ、本当?」

「お姉さん、君と一緒に遊びたいなぁ」


 女性達は引いてはくれず、黒髪の女性は俺の体に軽く触れてきて。ボディータッチをして、ナンパを成功させようとしているのだろう。ただ、断っているのに触ってくるので嫌な感覚だ。


「本当に彼女と来ているんです。彼女がお手洗いから出てくるのを待っているんです」


 語気を強めにしてそう言う。それでも、女性達は引こうとしない。

 そういえば、愛実が海で、あおいがここでナンパされたとき、男性と一緒に来ていると言って断っても引き下がられたって言っていたっけ。あのとき、2人はこういう気持ちだったのかもしれない。2人は女性でナンパしてきたのは男性だったから、嫌な気持ちだけでなく怖さもあったかもしれない。


「その彼女が私です」


 そう言う愛実の声が聞こえた瞬間、俺の左腕が温かくて柔らかい感覚に包まれる。そちらを見てみると、愛実が俺の左腕をしっかりと抱きしめていた。そのことにほっとした気持ちになる。


「こちらの彼とデート中なので、諦めてもらえますか」


 穏やかな口調で愛実は女性達にそう言った。口元は笑っているけど、目つきは真剣そのものだ。

 恋人である愛実の登場と、愛実の今の言葉もあってか、女性達は苦笑いをしながら後ずさりする。


「す、すみませんでした」

「た、楽しいデートをしてくださいね」


 後ずさりしながらそう言うと、女性達は早歩きで俺達の元から立ち去っていった。


「行ってくれたね、リョウ君」

「ああ。ありがとな、愛実。お手洗いを済ませて、ここで愛実を待っていたら逆ナンされて」

「なるほどね。リョウ君はとってもかっこいいし、全体的に細マッチョだから惹かれちゃったのかもね」

「イケメンとか細マッチョって言われたよ」

「ふふっ、そっか。海水浴で私をナンパから助けてくれたから、今度はリョウ君を助けることができて嬉しいよ。本当の彼女だから、彼女だって言えたし」


 嬉しそうに笑いながらそう言うと、愛実は俺の左腕を抱きしめる力が強くなる。そのことで愛実から伝わる温もりが強くなって、柔らかさがより伝わってきて。さっきナンパされたのもあって、この感覚がとても心地いい。

 海水浴で愛実をナンパから助けたときは、俺達はカップルのフリをした。その経験もあって、本当の恋人として彼女だと言えたことが嬉しかったのかもしれない。


「そうか。……ありがとう、愛実。心強かったよ」

「いえいえ。じゃあ、飲み物を買いに行こうか」

「ああ」


 それから、俺達は屋内プールから一旦出る。俺は男子更衣室に小銭入れを取りに戻った。

 屋内プールの入口近くにあるカップの自販機で俺はレモンサイダー、愛実はアイスココアを購入した。さっきの約束通り、愛実のココアは俺が奢った。

 屋内プールに戻って、サマーベッドが置かれているエリアに向かう。

 今もお客さんがたくさん来ている。ただ、サマーベッドもたくさん置かれているので、空いているベッドはいくつもあった。良かった。

 俺達は2台連続で空いているベッドをくっつけ、ベッドに腰を下ろした。

 流れるプールでゆったりとしたけど、今までプールで遊んでいたのもあって、脚を伸ばすだけで体が休まる感じがする。

 隣のベッドに座っている愛実を見ると、愛実も脚を伸ばしてまったりとしていた。流れるプールで浮き輪に座っていたときと同じく大人っぽい。


「じゃあ、リョウ君。アイスココアいただくね」

「どうぞ、召し上がれ」

「うんっ。いただきます!」

「いただきます」


 俺はレモンサイダーを一口飲む。

 炭酸飲料なので、口に入った瞬間にシュワッとした感覚が広がっていって。その後にレモンの酸味とサイダーの甘味が感じられて。レモンのおかげで、ただ甘いだけでなく爽やかさも感じられた。


「あぁ、美味しい」

「アイスココアも美味しい! リョウ君に買ってもらったから、今までで一番美味しいよ」


 愛実はニコッとした笑顔を向けながらそう言ってくれる。ココアの入っているカップを両手で持っているのもあり、今の愛実が本当に可愛く見えて。


「良かった。そう言ってくれて嬉しいな。奢って良かったよ」

「ありがとう、リョウ君」

「いえいえ」


 そう言って、俺はレモンサイダーをもう一口飲む。一口目よりも美味しく感じられる。


「……美味い」

「良かったね。ただ、リョウ君が甘い炭酸飲料を飲むのは珍しいね。小学生の頃はたまに飲んでたけど」

「プールで遊んで体を動かしたからな。それに、あおいとデートしたときはコーラを飲んで、炭酸飲料もいいなって思えたから。それで今回はレモンサイダーにしたんだ」

「なるほどね。秋になったけど、暑い日に飲む炭酸飲料って美味しいよね」

「ああ。愛実も一口飲んでみるか? レモンサイダーだけど、甘味もあって美味しいぞ。愛実はレモンティーとかも飲むから、きっと気に入るんじゃないかな」

「うんっ、ありがとう。一口いただくね。私のアイスココアも一口どうぞ」

「ありがとう」


 ココアも好きな方だし、愛実が美味しいと言うのでどんな感じか気になっていた。

 愛実とコップを交換する。


「じゃあ、アイスココアいただきます」

「レモンサイダーいただきます」


 俺は愛実のアイスココアを一口飲む。

 ココアは秋や冬に温かいものを飲むことが多い。だから、濃くてとても甘いイメージが強いけど、このココアはほどよい甘さで。ちょっと苦味も感じられるので飲みやすい。


「アイスココア美味しいな」

「美味しいよね。レモンサイダーも美味しいね。アイスココアを飲んだ後だから、凄くさっぱりした感じがするよ」

「それなりに酸味があるからな。サイダー美味しいよな。……ココアありがとう、愛実」

「いえいえ。こちらこそサイダーありがとう」


 お互いにコップを戻して、俺は再びレモンサイダーを一口。

 確かに、愛実の言う通り、アイスココアを飲んだ後だと凄くさっぱりした印象だ。それでも、交換する前に飲む前よりも甘味が強く感じられて。愛実が口をつけたからかな。

 飲み物を飲んだ後、俺達は寄り添いながらサマーベッドで横になる。その際、愛実は俺の左腕を軽く抱きしめ、頭を俺の左肩にそっと乗せて。


「あぁ、気持ちいい。サマーベッドで横になって、リョウ君の腕を抱きしめているから」

「そうだな。冷たいものを飲んだ後だから、愛実の温もりが凄く気持ちいいよ」

「嬉しいな。私もリョウ君の温もりが気持ちいい」


 愛実は俺を見上げながら「ふふっ」と笑う。至近距離からだから凄く可愛くて。


「あと、こうしているとドキドキしてくるよ。リョウ君の腕が私の素肌にいっぱい触れているし。これまで……えっちした後はリョウ君の腕を抱きしめて寝たからかな」


 愛実ははにかみながら、俺にしか聞こえないような小さい声でそう言ってくる。ドキドキしてくると言うだけあって、愛実の体から心臓の鼓動が感じられて。それと共に、愛実から伝わる温もりが強くなっていく。


「そうかもしれないな。あと、俺もドキドキしてきた。愛実の肌とか胸が直接触れているし」

「ふふっ、そっか。ただ、リョウ君に直接触れていると、幸せな気持ちにもなるよ」


 そう言う愛実の顔には幸せそうな笑みが浮かんでいて。その笑顔はこれまで肌を重ねた後に見せてくれる笑顔と重なる。


「愛実がそう言ってくれて、愛実と触れられて……俺も幸せだよ」


 愛実の目を見つめながら俺はそう言った。嘘偽りのない幸せな気持ちを。

 俺の気持ちが伝わったようで、愛実は俺にニコッと笑いかけてくれた。俺の恋人は本当に可愛いな。

 それからしばらくの間、俺達は密着した体勢のままサマーベッドでゆっくりと過ごすのであった。

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