第2話『恋人の家でお泊まり』
8月30日、火曜日。
高校2年の夏休みも残り2日。
今日は愛実の家でお泊まりする予定になっている。昨日、愛実から、
『この間、リョウ君の家でお泊まりしたばかりだけど、夏休みの最後にリョウ君に泊まりに来てほしいな。一緒にいたい』
というメッセージが届いたのがきっかけだ。
隣同士の家だし、愛実とは会おうと思えばいつでも会うことができる。ただ、お泊まりという言葉には魅力的な響きがあって。俺も恋人になった愛実と一緒にいたいと思っているので、愛実からのお誘いに快諾した。それに、翌日ゆっくりすることを考えると、今年の夏休みでお泊まりできるのは今夜が最後だからな。
ただ、今日は午前10時から午後6時まで、サリーズという喫茶店でのバイトがある。それを伝えると、
『分かった。じゃあ、夕ご飯を作って待ってるね! チキンカツカレーってどうかな? オープンキャンパスでリョウ君が食べていたし』
というメッセージをくれた。
そういえば、夏休み中に行ったオープンキャンパスでは、食堂でチキンカツカレーを食べたな。愛実に一口食べさせて。それもあって、いつか自分で作ってみたいと言っていたっけ。愛実は料理上手だし、きっと美味しいチキンカツカレーを作ってくれるだろう。
愛実の家でのお泊まりと愛実特製のチキンカツカレーを楽しみに、今日のバイトに勤しんだ。8時間という長めのシフトだけど、あっという間に時間が過ぎていった。
午後6時過ぎ。
シフト通りに今日のバイトが終わった。愛実の家でお泊まりする予定があるので、シフト通りに終えられて何よりだ。
バイトが終わったと愛実にメッセージを送ると、愛実は『お疲れ様!』とすぐに返信してくれて。それだけで、バイトの疲れがちょっと取れた気がした。
お泊まり用の荷物はトートバッグに纏めて自分の部屋に置いてあるので、一旦、自宅に帰ることに。
「いい気候になってきたな……」
明後日から9月になり、季節も夏から秋へと変わるからだろうか。暑さは多少残っているものの、湿気がそこまでではないので、一番暑い時期に比べたらかなり快適だ。
また、日の入りの時間が近いのか、空も結構暗くなってきている。陽の短さや空気の爽やかさから、季節の確かな進みを感じられる。
途中のドラッグストアで、愛実と今夜一緒に食べるためのマシュマロやベビーカステラを買ってから帰宅した。といっても、お泊まり用の荷物を取りに行くためだけなので、すぐに出発することに。
「母さん。愛実の家に行ってくるよ」
「いってらっしゃい。愛実ちゃんと楽しい夜を過ごしてきなさいね」
「ああ。いってきます」
俺は愛実の家に向かって出発する。
お隣さんなので、徒歩で10秒もかからずに愛実の家の前まで到着した。さっそく、インターホンを押す。
――ピンポー。
『はい。あっ、リョウ君!』
インターホンが鳴り終わるより前に愛実が出てくれた。さっき、バイトが終わったときにその旨をメッセージで伝えたし、インターホンが鳴るのを待ち構えていたのかもしれない。愛実の声が弾んでいるのもあり、かなり可愛く思える。
「涼我です。泊まりに来たよ」
『待ってたよ。すぐに行くね!』
「ああ」
早く愛実に会いたいから、すぐに行くと言ってもらえて嬉しい。
耳を澄ますと、家の中から足音が聞こえてくる。愛実がここに向かっているのかな?
それから程なくして、玄関が開き、
「いらっしゃい、リョウ君!」
ニッコリとした笑顔の愛実が出迎えてくれた。ロングスカートにノースリーブのブラウスという服装が似合っているのもあって凄く可愛い。自然と頬が緩んでいくのが分かった。
また、チキンカツカレーを作ってくれたのもあって、玄関が開いた瞬間にカレーの美味しそうな匂いが香ってくる。
「こんばんは、愛実」
「こんばんは。長時間のバイトお疲れ様」
「ありがとう。今日の服も可愛いし、愛実を見たらバイトの疲れが取れてきたよ」
「ふふっ、そっか。あと、可愛いって言ってくれて嬉しい。そのお礼と、私からの今日のバイト代だよ」
可愛い笑顔でそう言うと、愛実は俺をそっと抱きしめてキスしてきた。
愛実の抱擁とキスで、愛実の温もりが全身に伝わって。その温もりは優しくて心地いい。また、唇から伝わる温もりは、柔らかさと一緒に伝わってくるのもありとても気持ち良く感じられる。それに、愛実の甘い匂いや、服越しに愛実のGカップの胸の柔らかさも感じるからな。だから、バイトの疲れがより取れていく感じがする。
5秒ほどで愛実から唇を離す。すると、俺の目の前には持ち前の愛実の優しい笑顔があった。
「ありがとう。最高のバイト代だ」
「いえいえ。……リョウ君。ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも……私にしますか?」
俺を見つめながら、愛実は俺にそう問いかけてきた。
この前泊まりに行ったときにも愛実と同じ質問をされたな。ただ、恋人同士になり、抱きしめられているし、キスしてくれた直後なので物凄くグッとくる。
ご飯にするか。お風呂にするか。それとも愛実にするか。どれも魅力的な選択肢だけど、
「まずは……ご飯がいいな。バイトをした後だからお腹空いてる」
「8時間バイトしたもんね」
「それで、愛実と一緒にお風呂に入って、その後は……愛実と一緒に色々なことをして楽しい時間をいっぱい過ごしたい。それが俺の答えだけど……どうかな?」
今の俺の要求を素直に言ったけど、愛実は受け入れてくれるだろうか。
愛実は俺に視線を向けたままニッコリと笑って、
「うんっ! もちろんいいよ!」
「ありがとう、愛実」
今度は俺の方からキスした。さっきのキスと比べて一瞬だけど、愛実の唇の感触はしっかりと感じられた。
「まずはご飯だね。カレーはできているけど、チキンカツはこれから揚げるの。揚げたてがいいかなと思って」
「そうか。揚げたてを食べてみたいな」
「分かった。お父さんも残業なしで帰ってくるみたいだし、カツが揚がった頃にはちょうどいい時間帯になるんじゃないかな」
「そうか」
「さあ入って、リョウ君」
「ああ。お邪魔します」
俺は愛実の家にお邪魔する。
家の中に入ると、カレーの美味しそうな匂いがさらに濃く香ってきて。食欲をそそられるいい匂いだ。お腹空いてきた。
愛実の母親の
リビングに入ると、そこにはフレアスカートにノースリーブの縦ニット姿の真衣さんがいた。服装の雰囲気が愛実に似ているので、愛実が大人になったらこんな感じになるのかなって思わせてくれる。
「いらっしゃい、涼我君」
「お邪魔します、真衣さん。今夜はお世話になります」
「ゆっくりしていってね。私とお父さんのことは気にせずに愛実とたっぷりイチャイチャしてねっ」
ふふっ、と真衣さんは頬をほんのりと赤くしながら笑う。側にいる愛実も顔が赤くなっているし。2人のこの様子からして、真衣さんが愛実と俺がどこまでしたか知っていそうな気がする。
「は、はい。愛実との時間をたっぷりと楽しみたいと思います」
「楽しもうね、リョウ君。私はこれからチキンカツを揚げるよ。リョウ君は私の部屋でゆっくりしてて」
「それも魅力的だけど、料理をしている姿を見ていてもいいか? 楽しそうに料理している愛実の姿が好きだし」
「ふふっ、そっか。じゃあ、キッチンでゆっくりしてて」
愛実はニコッと笑いながらそう言ってくれた。
その後、俺はお泊まりの荷物が入ったトートバッグを愛実の部屋に置いてから、キッチンに行く。食卓に座って、俺はチキンカツを揚げる愛実を眺めることに。
愛実の近くには真衣さんが立っている。真衣さんも料理好きだからなぁ。
これまで、愛実はチキンカツを全然作ったことがないらしいけど……手際良くチキンカツを揚げている。カツを揚げている音が心地良く、香ばしい匂いもしてくるので食欲をそそられる。あぁ、お腹がより空いてきた。
チキンカツを作っている様子を見ていると、
「ただいま」
『おかえりなさい』
宏明さんが仕事から帰ってきた。
「涼我君、いらっしゃい」
「お、お邪魔しています、宏明さん。今夜はお世話になります」
「ゆっくりしていってね」
宏明さんはいつもの穏やかな笑顔でそう言ってくださった。
宏明さんとはこれまでに数え切れないほどに会っている。だけど、愛実の恋人としてここに泊まるのは初めて。だから緊張もあって。ちゃんと挨拶できて良かった。
「夕ご飯は確か、チキンカツカレーだったか」
「はい。揚げたてを食べようということで、今はチキンカツを揚げているところです」
「そうなんだね。楽しみだ」
「もうすぐ全員分のカツが揚がるから、お父さんは着替えてきて」
「分かったよ、愛実」
そう言い、宏明さんはキッチンを後にした。
愛実の言うように、それから程なくしてチキンカツが揚がる。衣が小麦色になっており、しっかりと揚がっていそうな感じがする。
食べやすくするためか、愛実はチキンカツを包丁で切っていく。その際、
――サクッ。
という衣が切られる音が聞こえてきて。そのことで食欲がそそられて。料理を見たり、匂いがしたりして食欲をそそられることはいっぱいあるけど、音でそそられるのはなかなかない経験だ。切られたチキンカツの断面から肉汁が溢れてきて。
「美味しそうに揚がったなぁ」
「ありがとう。いい感じに揚がったよ。チキンカツは全然作ったことがないから、ネットで調べたり、これまでやった揚げ物の感覚を思い出したりして作ったんだ」
「そうなのか。さすがは愛実」
「お母さんもそう思うわ。勉強になったわ」
「嬉しいな。お父さんも帰ってきたから、さっそくチキンカツカレーをよそうね」
「ありがとう、愛実」
それからは愛実と真衣さんによって夕ご飯の配膳がなされる。
夕ご飯のメニューはチキンカツカレーに生野菜のサラダ。チキンカツカレーは愛実が、生野菜のサラダは真衣さんが置いてくれた。どちらも美味しそう。あと、ご飯の上に乗っているチキンカツが結構大きいな。
また、飲み物の麦茶も愛実が用意してくれて。何から何までしてくれて有り難い限りだ。
4人分の配膳が全て終わり、香川家のみなさんも食卓の椅子に座る。席順は先日、ここで泊まったときと同じで、愛実とは隣同士、食卓を挟んだ正面に宏明さんがいる形だ。
「リョウ君。今日は泊まりに来てくれてありがとう」
「いえいえ。こちらこそ誘ってくれてありがとう」
「いえいえ。じゃあ、いただきます」
『いただきまーす』
愛実の号令で夕ご飯が始まる。
最初に食べるのはもちろんチキンカツカレーだ。チキンカツ自体をあまり食べないから、まずはカツだけで食べてみようかな。
箸でチキンカツを一切れ掴み、一口分食べる。……隣から愛実にじっと見られながら。
「……おっ、美味い」
噛んだ瞬間にチキンの肉汁がたっぷりと出てきて。チキンの柔らかさや、衣のサクサク感や香ばしさがたまらない。
「チキンカツ美味しいよ。オープンキャンパスのときに食べたカツよりも美味しい」
「良かった」
愛実は嬉しそうな笑顔でそう言い、ほっと胸を撫で下ろした。料理上手な愛実だけど、チキンカツは全然作ったことがないから、俺に美味しいと思ってもらえるか不安だったのだろう。
「じゃあ、今度はご飯やルーと一緒に食べてみるよ」
「うんっ、召し上がれ」
チキンカツが美味しかったので、より期待感が膨らむ。
チキンが柔らかいので、スプーンで少し力を入れるだけで、チキンカツを一口大サイズに切り分けることができた。切り分けたカツとご飯をスプーンで掬い、カレールーを付けて口の中に入れた。
「んんっ……!」
物凄く美味しい。なので、チキンカツカレーが口の中に入っている状態で声が出てしまった。
チキンカツがご飯やピリ辛のルーにとても合っている。噛めば噛むほどチキンやルーの旨み、ご飯の甘味が口いっぱいに広がっていって。これを愛実が作ったと思うと幸せな気持ちになる。
「チキンカツカレーも凄く美味しいよ。さすがは愛実だ。大学の食堂で食べたものよりももっと美味しい」
「美味しいと思ってもらえて良かったよ。嬉しい!」
愛実は言葉通りの嬉しそうな笑顔でそう言ってくれる。可愛いな。お礼に愛実の頭をポンポンと優しく叩くと、愛実の笑顔がより可愛らしくなった。
「涼我君の言う通り、凄く美味しいチキンカツカレーだわ」
「そうだな、母さん。チキンカツカレーもいいね。まあ、チキンカレーやカツカレーは定番だし、いいと思えるのは当然なのかもしれないけど」
「そうね。チキンカツカレーってハイブリッドなカレーね」
「ハイブリッドって。意味的には合っていると思うけど、何だか面白い」
ふふっ、と愛実は笑いながらそう言う。そのことで食卓は笑いに包まれる。これまでにも、お泊まりのときなどに香川家のみなさんと笑いながら食事をしてきたけど、愛実の恋人になったから、こういう時間を過ごせて嬉しさや幸せさを強く抱く。
みんなの感想を聞いたからか、愛実もチキンカツカレーを一口食べる。
「うんっ。美味しい」
ニッコリと笑ってそう言うと、愛実はカレーをもう一口。モグモグと食べる姿がとても可愛らしい。
「愛実。一口、カレーを食べさせてあげるよ」
「ありがとう、リョウ君」
嬉しそうに快諾する愛実。可愛いな。
俺はスプーンでチキンカツカレーを一口分掬い、愛実の口元まで持っていく。
「はい、愛実。あ~ん」
「あーん」
俺は愛実にチキンカツカレーを食べさせる。
愛実は幸せそうな笑顔になってモグモグ食べる。自分で食べさせたのもあってかなり可愛くて。守っていきたいな、この笑顔。
「美味しい」
「そうか。愛実が作ったカレーだけど良かったって思うよ」
「ふふっ。じゃあ、私も一口食べさせてあげるね」
そう言うと、愛実は楽しげな様子でスプーンに一口分のチキンカツカレーを掬う。カレーを乗せたスプーンを俺の口元まで持ってくる。
「はい、リョウ君。あ~ん」
「あーん」
愛実にチキンカツカレーを食べさせてもらう。……このカレーは本当に美味しいと改めて思う。
「愛実に食べさせてもらってより美味しくなったよ」
「そう言ってくれて嬉しいな。良かった」
愛実はとても嬉しそうな笑顔でそう言う。その笑顔を見ると、口の中に残っているチキンカツやカレールーの旨みが膨らんだ気がした。
「ふふっ。愛実と涼我君は本当に仲がいいわね」
「そうだな、お母さん。食べさせ合う光景は何度も見ているけど、2人が恋人になったから、心にグッとくるものがあるね」
「そうね、お母さん」
真衣さんと宏明さんは楽しげな様子で俺達のことを話していた。幼馴染として食べさせ合うのと、恋人として食べさせ合うのでは違って見えるのかも。この10年間でたくさん、お二人の前で愛実と食べさせ合ってきたから。
夏休み終盤に恋人として俺が初めて泊まりに来たのもあり、これまでの夏休みの思い出話や、真衣さんと宏明さんが学生時代にお泊まりした話で盛り上がり、とても楽しい夕食の時間になったのであった。
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