第8話『あおいのバイト先へ-前編-』

 6月4日、土曜日。

 季節が夏になっただけあり、日に当たるとかなり暑く思うようになってきた。ただ、空気は蒸しておらず、まだまだ爽やか。例年通りであれば、あと1週間ほどで梅雨入りだけど、今日のような天気がずっと続いてほしい。

 週間予報でも、体育祭のある来週の火曜日あたりまでは、雨の予報はない。それが当たり、当日は無事に開催できることを祈ろう。




「お待たせ、リョウ君。待った?」

「ううん。ついさっき来たところ」

「良かった」

「……そのワンピース似合ってるな。そのくらいの袖の長さってフレンチスリーブって言うんだっけ」

「うん、そうだよ。今日は晴れて暑いからね。似合っているって言ってくれて嬉しいな。リョウ君もそのサマージャケット似合ってるよ」

「ありがとう。じゃあ、行こうか」

「うんっ」


 午前11時過ぎ。

 俺と愛実は待ち合わせ場所である俺の家の前を出発する。これからの行き先はアニメイクだ。

 休日に行くときは愛実とあおいと3人で行くことが多いけど、今は愛実と2人きりである。


 実は、今日はあおいが調津に戻ってきてからの初バイトの日なのだ。


 あおいのバイト先は調津駅の近くにあるファミレス・ドニーズ調津駅前店。あおいはそこのホールスタッフとして採用された。

 ドニーズは全国チェーンであり、京都にもお店があったそう。京都に住んでいた頃は学校帰りや休日に、友達と何度も食べたのだとか。高1のときにバイトしていたファミレスとは違うけど、お店の雰囲気が良く制服が可愛いので、京都時代もバイト候補の一つにしていたという。だから、あおいは採用が決まったことを嬉しそうに報告してくれた。

 初出勤となる今日は、午前10時から午後4時までシフトに入っているとのこと。

 あおいがお昼の時間帯のシフトに入っているため、俺と愛実はドニーズにお昼ご飯を食べに行くことにしたのだ。

 また、佐藤先生も一緒に行くことになっている。あおいから初出勤のシフトの時間を教えられたそう。ドニーズの制服姿のあおいがどんな感じなのか気になるので、俺と愛実に一緒に行かないかと誘ってきたのだ。

 佐藤先生とは正午にレモンブックスで待ち合わせすることになっている。それまでは愛実と2人でアニメイクで買い物することにしたのだ。


「こうして、リョウ君と2人きりでお出かけするのって久しぶりだよね」

「そうだな。2年生になってからは……これが初めてか?」

「たぶんそうじゃないかな。春休みにあおいちゃんが引っ越してきてからは……お出かけするときはあおいちゃんが一緒だったもんね」

「ああ。愛実と2人で家にいることはあったけど、出かけるのは2年になってからは初か」

「そうだね。春休み以来かな。……それまでは、放課後や休日に2人で出かけることは普通にあったのにね。何だか新鮮に感じるよ」

「俺もだ。あと、結構久しぶりにも思う」


 俺がそう言うと、愛実は「そうだね」と言って首肯した。

 最後に出かけたのは春休み以来だから……およそ2ヶ月ぶりか。春休みがもっと昔に思えてくる。それだけ、あおいが調津に戻ってきてからの日々が濃い証拠なのだろう。

 俺達は駅前のショッピングセンター・調津ナルコに行き、4階にあるアニメイクに向かう。


「新刊の漫画やラノベが出てるね」

「ああ。月初めに新刊を出すレーベルがあるからな。昨日はバイトあって来なかったから、今日は漫画やラノベを買いたいな」

「ふふっ。そっか。……あれ、リョウ君の部屋にあった漫画の最新巻じゃない?」

「おっ、そうだな。買おう。……そっちにあるラノベのタイトル、愛実の部屋にあったやつの最新巻じゃないか?」

「……あっ、本当だ。買おうっと」


 愛実と2人でアニメイクに来て、お互いに読んでいる新刊があると、こうした会話をよくしていた。ほんの2ヶ月ほど前まではよくあるやり取りだったのに、今は何だか懐かしく感じられた。

 新刊コーナーを見た後、俺達は既刊コーナーやグッズコーナーなどを廻る。愛実はとても楽しそうにしていて。そういえば、俺と2人でアニメイクに来ると、愛実はいつも笑顔だったな。そんな愛実がとても可愛く思えた。

 店内を一通り見た後、俺達は新刊コーナーで手に取った本をそれぞれ購入した。


「読んでいるラノベの新刊を買えて嬉しいな」

「俺もだ。この週末に読むか」

「私も。この作品好きだから」

「そうか。……今は11時40分過ぎか。そろそろレモンブックスに行こうか」

「正午に待ち合わせだもんね。行こう」


 俺達はアニメイクを後にして、レモンブックスへと向かい始める。

 休日だから、世代や年代問わず多くの人がいる。調津高校だけでなく、世の中的にも衣替えの時期のようで、夏らしい装いをしている人が多い。


「久しぶりにリョウ君と2人でアニメイク行くの楽しかったよ」

「俺も楽しかった」

「……良かった」


 愛実は俺のことを見ながらニッコリと笑う。


「2ヶ月ぶりくらいに2人きりで行ったから、ちょっと懐かしくも思ったな。あおいちゃんが戻ってくるまでは、2人で行くのは恒例だったのに」

「俺もアニメイクにいる間、懐かしいって思ったな」

「リョウ君もだったんだ」

「ああ。それだけ、あおいが戻ってきてからの日々が濃かったんだと思ってる」

「色々なことがあったもんね。3人でアニメイクやレモンブックスに行くことも何度もあるし」

「そうだな」


 特にみんなの予定が空いている放課後は、どちらにも行かない日の方が珍しいくらいだ。たとえ、買いたいものが何もなくても、2人と一緒にお店に来ること自体が楽しいから満足感がある。


「あおいちゃんもいる3人の時間も楽しいけど、リョウ君と2人きりの時間も楽しくていいなって思うよ」


 愛実は可愛らしい笑顔でそう言ってくれる。ただ、先ほどとは違って、彼女の笑顔は頬を中心にほんのりと赤らんでいた。

 これまで数え切れないほどに、放課後や休日に愛実と2人で過ごしてきた。そんな時間を楽しいと言ってくれることが凄く嬉しい。胸が温かくなる。


「……嬉しいよ。俺もあおいと3人との時間が楽しいと思うし、今みたいに愛実と2人の時間も楽しく思っているよ」


 愛実の目を見て、俺はそう言う。

 ただ、その瞬間に「あおいと2人で過ごす時間も楽しい」とも思い、あおいの笑顔が頭をよぎった。その笑顔は今、愛実が向けてくれている笑顔に重なる部分があった。


「リョウ君もそう思ってくれて嬉しいです」


 えへへっ、と愛実は声に出して笑う。そんな愛実を見て、胸に抱いている温もりが体中に広がっていくのが分かった。

 調津ナルコを出て、レモンブックスの入っているビルへ向かう。今も晴れているし、ナルコは空調が効いていて涼しかったのもあり、歩くとなかなか暑い。歩いて2、3分ほどの近さのレモンブックスも、今日は少し遠く感じた。

 レモンブックスに到着し、俺達は1階のフロアを見渡す。


「……佐藤先生、いないな」

「いないね。樹理先生のことだから、2階の成人向けのフロアにいるかもしれないね」

「その可能性はありそうだ。11時50分だし、レモンブックスにいるって先生にメッセージを送っておくか」


 ジャケットのポケットからスマホを取り出し、LIMEの佐藤先生との個別トークに、


『愛実と一緒にレモンブックスにいます』


 とメッセージを送った。これでひとまずは大丈夫かな。

 画面表示を切ろうとしたとき、俺が送ったメッセージに『既読』のマークが付く。


『了解。今、成人向けフロアにいるから、会計を済ませたらそっちに行くね』


 佐藤先生からそんな返信が届いた。俺達の予想通り、先生は成人向けのフロアにいたか。会計を済ませたら、という文言からして気に入った成人向けの同人誌か書籍があるようだ。


「先生、成人向けフロアにいるって」

「やっぱり。リョウ君、何か買いたい同人誌ってある?」

「今日はないな」

「そっか。私もないから、入口近くで待とうか」

「そうだな。先生にも送っとく」


 佐藤先生に入口近くで待っている旨のメッセージを送る。トーク画面を開いているのか、送った瞬間に『既読』マークが付き、『了解』の返信がすぐに届いた。

 俺は愛実と一緒に入口近くまで移動する。2階の成人向けフロアに行ける階段も見えるし、ここにいればすぐに佐藤先生とも会えるだろう。

 それから、アニメイクで買った漫画やラノベの話を愛実としていると、


「やあやあやあ。お待たせしたね。涼我君、愛実ちゃん」


 佐藤先生が俺達のいる1階に姿を現した。先生はスラックスにノースリーブの襟付きブラウスと夏の装いをしている。先生は笑顔で手を振りながらこちらにやってきた。


「いえいえ。ついさっき来ましたから。こんにちは、佐藤先生」

「樹理先生、こんにちは」

「2人ともこんにちは。……もうすぐ正午だね。君達はここで何か買うものはあるかい?」

「いいえ、リョウ君も私も特には。なので、ここで待っていました」

「なるほどね。では、さっそくドニーズへ向かおうか」


 俺は愛実と佐藤先生と一緒にレモンブックスを出て、あおいがバイトしているドニーズ調津駅前店に向かい始める。店名通り駅前にあるので、3、4分ほど歩けば到着すると思う。

 休日のお昼頃なので、人は結構いる。そんな中を愛実と佐藤先生と一緒に歩いているから、男性を中心にこちらに視線を向ける人が何人もいて。当の本人達は全く気にしていないようだけど。


「いやぁ、あおいちゃんのドニーズの制服姿が楽しみだよ。しばらく行っていないから、スマホでドニーズの制服を調べてみたら結構可愛い雰囲気だし」

「高校生になってから何度か行きましたけど、女性のホールスタッフの制服は可愛い雰囲気ですよね」

「だよね。あおいちゃんは似合いそうだしワクワクしてきた」


 興奮気味に語る佐藤先生。一緒に行かないかと俺達に誘ってくるほどだし、あおいのウェイトレス姿が本当に楽しみなんだな。

 あおいは美人で可愛らしい雰囲気も持っているので、ドニーズの制服も似合いそうという佐藤先生の言葉には同意だ。小さく頷き、心の中では大きく頷いた。

 あおいと佐藤先生と話しながら歩いたので、あっという間にドニーズの外観が見えた。休日のお昼時だけど、外で並ぶほどの混雑ではなさそうだ。

 俺達はドニーズ調津駅前店の中に入る。

 あおいには、正午過ぎに3人で来店するとは事前に伝えてあるけど、果たして彼女が接客してくれるかどうか。


「いらっしゃいませ!」


 聞き覚えのある女性の元気な声が聞こえてきた。

 声がした方に顔を向けると、ウェイトレスの制服を着たあおいが、笑顔でこちらに向かって歩いてくる姿が見えた。制服は黒と白を基調としている。夏仕様なのか上は半袖のシャツで、下は女性なので膝丈のスカート。

 制服姿のあおいを見てか、愛実と佐藤先生は『おぉ……』と声を漏らしている。

 あおいは俺達の目の前に来ると、軽く頭を下げて再度「いらっしゃいませ!」と元気良く言った。高1のときにファミレスで接客のバイトをしていただけあって、凄くいい笑顔だなぁ。

 あと、胸元には名札以外にも『研修中』という札も付けられている。


「約束通り来たよ、あおい。あと、ここまで初バイトお疲れ様」

「お疲れ様、あおいちゃん。ウェイトレスの制服似合ってるよ! 可愛いね!」

「いやぁ、想像以上に似合ってるね。可愛いよ。ドニーズに来るのは久しぶりだけど、これからは定期的に来ることになりそうだ」


 愛実も佐藤先生も、ウェイトレス姿のあおいにご満悦の模様。特に先生は「たまらん」と呟いているし。


「ふふっ、ありがとうございます。涼我君は……この制服姿、どう思いますか?」


 あおいは依然として笑顔を見せているけど、ちょっと緊張しい様子に。


「似合ってるよ。可愛いな、あおい」


 俺はあおいの目を見ながら、素直に感想を言う。


「ありがとうございます、涼我君!」


 俺に可愛いと言われて嬉しいのか、あおいはさっき以上に可愛い笑顔でそうお礼を言ってくれた。その声はとても弾んでいて。そんなあおいにドキッとした。


「いつまでもここで話してはいけませんね」


 店員さんモードに切り替わったのか、あおいは明るくも落ち着いた笑顔に。もしかしたら、これも京都にいた頃のバイトで培った技術なのかも。


「いらっしゃいませ。3名様でよろしいでしょうか」


 先ほどまでとは違い、落ち着いた声色であおいは問いかけてきた。ウェイトレスの制服姿なのもあり、とても大人っぽい印象だ。

 あおいの問いかけに、佐藤先生が「はい」と答える。


「喫煙席と禁煙席、どちらにしますか?」

「禁煙席でお願いします」

「かしこまりました。お席までご案内いたします」


 俺達はあおいによって席へと案内されるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る