第11話『日常』

 4月27日、火曜日。

 目を覚ますと……薄暗い中で見慣れた天井が見える。

 昨日の朝はベッドの中が凄くポカポカしていたけど、今日はいつもと同じくらいの温かさだ。

 体をゆっくりと起こすと……特にだるさやふらつきは感じない。体の力が抜けている感じもない。健康な体調に戻ったのだと実感する。月並みではあるけど、体調を崩すと健康に暮らせることがいかに有り難いことなのかが分かる。

 あと、いつもは思わないけど、健康だと体ってこんなに軽いんだ。こういうことも、体調を崩した直後に実感することだと思う。

 スマホで時刻を確認すると……普段起きる時間の5分前か。


「よし、今日はもう起きるか」


 目覚まし機能をOFFにして、ベッドから降りる。

 普段通りに歩けていることを確認しつつ、両親がいる1階のリビングへ。両親に体調が良くなったと伝えると、2人ともほっとしていた。

 熱を一応測っておきなさい、と母さんから言われたので、熱を測ってみると……36度3分と平熱に戻っていた。デジタル画面を見て俺の体温が確認できたからか、母さんも父さんも、学校に行っても大丈夫だと言ってくれた。

 その後は歯を磨いたり、顔を洗ったり、制服に着替えたり、朝食を食べたりといつも通りの平日の朝の時間を過ごす。

 体調が良くなったし、お腹も空いていたので、朝ご飯がとても美味しい。そのことに幸せを感じた。


「そういえば、まだメッセージを送っていなかったな」


 朝食を食べ終わって、自分の部屋に戻ってきたときにそのことに気付く。

 俺はいつも一緒にいる6人のグループトークと佐藤先生に、体調が良くなったことと今日から学校に行く旨のメッセージを送信する。これで大丈夫かな。


 ――ブルルッ。ブルルッ。

「おっ」


 スマホが何度も鳴る。

 さっそく確認すると……みんなからメッセージが届いている。8時近くになっているのもあってか、すぐに返信してくれたな。

 メッセージを見ると『良かった』とか『学校で待ってる』といったものが多い。心が温かくなっていく。

 ――ガラガラッ。

 東側の方から、窓が開く音が聞こえる。愛実が俺の部屋の方にある窓を開けたのかな。

 俺は愛実の家の方にある東側の窓を開ける。そのことで、こちらを見ている制服姿の愛実が見える。俺と目が合うと、愛実はとても嬉しそうに手を振ってきた。俺も愛実に小さく手を振る。


「リョウ君、おはよう! 元気になったんだね!」

「ああ、おかげさまで。熱も平熱まで下がったし、朝食も普段通りの量をちゃんと食べられたよ」

「良かった。昨日のお見舞いの時点で学校には行けそうだって言っていたけど、こうやって実際にリョウ君の制服姿を見られて安心したよ。いつもの顔になっているし」


 そう言うと、愛実の笑顔が持ち前の優しい笑みに変わる。そんな愛実の笑顔を見ると気持ちが癒やされていく。


「そうか。俺も普段通りに朝の時間を過ごして、こうして愛実と話せて安心できてる」

「ふふっ、そっか。じゃあ、また後でね」

「ああ、またな」


 愛実に再び小さく手を振って、窓を閉めた。

 制服のジャケットを着て、俺は勉強机にある鏡で髪が変にはねていないか、ネクタイが曲がっていないかどうか確認する。


「大丈夫だな」


 これなら、教師から注意されてしまうことはないだろう。

 スクールバッグの中を見て、忘れ物がないことも確認し、俺は自分の部屋を出た。

 1階に降りて、キッチンに置いてある弁当と水筒をバッグに入れる。これで大丈夫かな。


「母さん、いってきます」

「いってらっしゃい。病み上がりだから無理はしないようにね」

「ああ、分かった」


 今日は午前中に体育の授業があるから、激しく体を動かさないように気をつけよう。そのときの体調によっては見学させてもらおう。それ以外はおそらく大丈夫だろう。放課後にバイトもないし。

 玄関の扉を開けると、うちの前でこちらを向いて立っているあおいと愛実の姿が見えた。2人は俺の姿を見るや否や、


「涼我君、おはようございます!」

「おはよう、リョウ君!」


 明るい笑顔でとても元気よく朝の挨拶をしてくれる。あおいに至っては俺の目の前まで駆け寄ってきて、俺の頭を優しく撫でてくれて。そのおかげでより元気になったような気がするよ。


「あおい、愛実、おはよう。元気になったよ」

「良かったです! 愛実ちゃんから元気になったと話を聞いていましたが、実際に涼我君の姿を見ると嬉しい気持ちになりますね」

「その気持ち分かるよ」


 あおいと愛実は嬉しそうに笑い合っている。体調が戻って、いつも通りに登校できることにここまで嬉しそうにしてくれるなんて。そのことが俺は嬉しいよ。


「2人とも、昨日はお見舞いに来たり、スポーツドリンクや桃のゼリーを買ってくれたりしてありがとう。元気になったよ」

「いえいえ! 元気になられて良かったです」

「元気になって良かったよ、リョウ君」

「……ありがとう。じゃあ、学校へ行こうか」


 俺達は調津高校に向かって歩き始める。

 今日も日差しが強いので、歩き始めてすぐに体がポカポカになっていく。最近はそれが熱くて嫌に思えてきていたけど、今日は不思議と心地良く感じられる。


「昨日は愛実ちゃんと初めて2人きりで登校しました」

「そういえば、昨日が初めてだったね」

「ええ。それもなかなか楽しくて良かったのですが、やっぱり涼我君と3人一緒なのが一番いいですね」

「私も同じだな。リョウ君が陸上部に入っていた時期以外はほとんど、リョウ君と一緒に登校していたから」

「……嬉しい言葉だ」


 もし、あおいや愛実が学校を欠席したら……寂しく思うんだろうな。愛実が引っ越してきてから今年の3月まで、俺が中学時代に陸上部に入部していたとき以外は、愛実と2人で登校していた。ただ、今の俺にとっては、あおいと愛実と3人で登校することが日常だから。

 それからは、あおいと愛実から、昨日の学校の話を聞きながら歩いた。それもあって、調津高校まではあっという間だった。徒歩圏内の学校だから、病み上がりの日でも疲れを感じずに登校できるのがいい。

 ただ、あおいと愛実から「病み上がりだからエレベーターで行こう」と言われたので、2年2組の教室がある4階まではエレベーターで上がった。体育の授業から戻るとき以外は基本的に階段なので、ちょっと贅沢な感じがした。

 4階まで上がり、俺達は教室前方の扉から2年2組の中に入る。先週の金曜日以来なのでやけに久しぶりな感じがする。


「おっ、麻丘達が来たな! おはよう!」

「本当だ。おはよう、みんな」

「みんなおはよう!」


 いつも通りに鈴木の席に集まっている彼と道本、海老名さんが元気よく俺達に挨拶してくれる。

 また、鈴木が俺の名前を言ったからか、友人を中心にクラスメイト達が「麻丘元気になったか!」とか「おはよう、麻丘君!」といった声が聞こえてくる。なので、


「みんなおはよう。元気になったよ」


 少し大きめの声でみんなに朝の挨拶をした。そう言うと、クラスメイトの大半が笑顔で「おはよう!」と挨拶してくれた。

 今年のクラスもいいクラスだなぁ……と思いながら、俺は荷物を自分の机に置き、あおいと愛実と一緒に道本達のところへ行く。


「3人ともおはよう。おかげさまで元気になりました。昨日は部活の後にお見舞いに来てくれてありがとう」

「なあに、麻丘の様子を一目見たかったからな! 昨日よりも元気になって良かったぜ!」

「昨日の部活は麻丘のお見舞いに行くのを糧にしていたからな。元気になって良かったよ」

「中学から、体調を崩すと部活後にお見舞いに行くのは恒例だもの。元気になって良かったわ、麻丘君」


 鈴木は元気よく、道本は爽やかに、海老名さんは落ち着いた、それぞれらしさを感じる笑顔を浮かべながらそう言ってくれた。


「あと、今日は3時間目に体育があるけど、激しい運動は控えるようにね。体調に異変を感じたときは、無理はしないですぐに休むこと」

「うん、気をつけるよ、海老名さん。昨日も注意してくれたし、中学では陸上部でマネージャーとして接してくれたから、何だか海老名さんが俺のマネージャーみたいだよ」

「……た、確かに。麻丘君のマネージャーっぽいかも」


 そう言うと、海老名さんは頬を赤くしながら「あははっ」と声に出して楽しそうに笑う。いつも落ち着いていて、声に出して笑うときも「ふふっ」と上品に笑う程度なのに。今のように笑っているのは珍しい。そんな海老名さんがとても可愛らしく見える。


「やあやあやあ。みんな、おはよう。まだチャイムは鳴っていないから自由にしていていいよ」


 気付けば、ジーンズに長袖のブラウス姿の佐藤先生が、出席簿を持って教室の中に入ってきていた。俺達を含め、教室にいる多くの生徒が「おはようございます」と言う。

 佐藤先生は俺と目が合うと、笑顔を浮かべながらこちらにやってくる。


「やあやあやあ、涼我君。君から元気になったっていうメッセージをもらったから、今日は早めに教室に来たんだよ」

「そうだったんですか。昨日はご心配をおかけしました」

「ははっ、いいんだよ。体調が悪いとき、無理をせずに家で休むのは大切なことさ。まあ、心のオアシスの一つになっている君が教室にいなかったのは寂しかったけどね。だから、昨日のお昼は君の席に座ってお昼を食べたよ」

「昨日、愛実が言っていましたね」

「ふふっ、そうかい。今日は君の姿を見られて嬉しいよ」


 落ち着いた口調でそう言うと、佐藤先生は俺の目の前まで来て、頭を撫でてくれる。佐藤先生の顔に優しい笑みが浮かんでいるのもあって、心が安らいでいく。昨日は寂しくて俺の席に座ったり、今日は俺の顔を見るために早く来たりと可愛い先生だ。


「涼我君が女の子だったら抱きしめていたんだけどねぇ」


 そう言う佐藤先生は笑みこそ浮かべているものの、ちょっと残念そうで。

 そういえば、1年の頃……愛実や海老名さんが体調不良で休んで、再び登校したときには先生が2人のことを抱きしめていたな。女性同士だからできることだろう。まあ、教師と生徒なので問題があるのかもしれないけど。


「1年のとき、風邪が治って学校に行ったら、樹理先生が抱きしめてくれたよね」

「そうだったわね」


 そのときのことを思い出したのか、愛実と海老名さんは楽しそうに話している。本人のいい思い出になるのだから、問題にはならないのかな。


「こうして頭を撫でてくれるだけでも俺は嬉しいですよ、佐藤先生」

「そうかい。嬉しい言葉だね」


 そう言って佐藤先生が見せる笑顔はとても温かくて。でも、艶やかさも感じられて。大人の女性だから見せられる表情なのかもしれない。

 それから数分ほどで朝礼のチャイムが鳴り、今日の学校生活が始まる。

 念のため、3時間目の体育は激しく運動することを避けた。ただ、健康な状態で普段通りに学校生活を送れるのは幸せなことだと思うのであった。

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