第7話『幼馴染の母親に看病される件』

 午前9時頃。

 1時間ほど眠れたのもあり、体に帯びる熱はまだまだ強いけど、体のだるさや頭のクラクラが少し軽くなった。これなら、一人で近所にあるかかりつけの病院へ行けるだろう。

 寝間着からスラックスとパーカーに着替え、マスクをして近所にある病院へ向かう。健康であれば徒歩5分ほどで行ける場所だけど、体が重くてだるいせいで、今日は10分くらいかかってしまった。

 病院に到着すると……開院してから20分くらい経っているからなのか、待合室にいたのは3人だった。

 背もたれがしっかりとしているソファーが空いていたので、受付を済ませると俺は真っ直ぐソファーに向かった。病院まで歩いて疲れているから、ふかふかのソファーに座ると凄く気持ち良く感じられる。

 先に3人いるので結構待つだろうか……と思っていたら、そのうちの1人は診察後だったようで、俺がソファーに座ってすぐに名前が呼ばれ、処方された薬をもらって病院を後にしていた。


「麻丘涼我さん。どうぞ」


 ソファーがふかふかで気持ち良かったり、診察を待っている人が実は2人だったりしたのもあり、女性の看護師さんに名前が呼ばれるまであっという間な感じがした。ラッキーだ。

 診察室に入り、俺の両親よりも年上の女性のお医者さんに、体調を崩した原因だと思われることを説明する。すると、


「なるほどねぇ。それで、疲れが溜まって体調も崩しちゃったと。熱やのどの痛み、体のだるさ……風邪の症状が出ているわね。薬を出すから、今日は消化のいいものを食べて、ゆっくり休みなさいね」

「……はい、分かりました」

「あと、今回のことを機に、ジョギングする量を考えるようにね。高校2年だけど、陸上をしていた中学時代よりも体力が落ちているんだし」

「……はい」


 小さい頃からお世話になっているお医者さんから言われると、かなり身に沁みる。今回、体調を崩したことで、現役時代よりも体力がかなり落ちていると実感したよ。今後は気をつけないと。

 ありがとうございました、とお礼を言って、俺は診察室を後にした。

 それから数分ほどで、受付にいる別の女性看護師さんから名前が呼ばれ、総合風邪薬やのどの痛みを取る薬、抗生物質といった薬を処方された。小さい頃から、処方された薬を受け取ると安心できる。これを飲んでゆっくり休めば、すぐに元気になれそうな気がするから。

 病院を出て、俺は普段よりも遅い歩みで自宅へ帰っていく。


「今日は来ているのかな」


 真衣さん。

 同い年の子供がいるお隣さんだからだろうか。小さい頃から、俺が風邪を引くとパートや用事が入っていない限り、真衣さんが看病しに来てくれる。母さんがパートに行かなければいけないとき、母さんが不在中はずっと家にいてくれたこともある。大きくなってからは気恥ずかしさはあるけど、あの優しい雰囲気で看病してもらえるので癒やされるのだ。

 もちろん、愛実が風邪を引いたときは母さんが愛実の看病に行く。


「ただいま」


 家の中に入り、土間を見る。……見たことのない女性ものの靴が一足ある。今回も真衣さんが来てくれているようだ。


『おかえり~』


 ……あれ?

 おかえりのユニゾンが聞こえたけど、真衣さんとは雰囲気が違うぞ。この声、最近また聞くようになった声だ。もしかして――。


「おかえり、涼我」

「涼我君、体調は大丈夫かしら?」


 リビングから出てきたのは母さんと……あおいの母親の麻美あさみさんだった。

 そうだ。今は「同い年の子供がいるお隣さん」は香川家だけじゃなくて、桐山家もいるんだ。そういえば、幼稚園のときに風邪を引いたら、あおいと麻美さんがお見舞いに来たり、看病したりしてくれたっけ。


「……麻美さん、こんにちは。熱や喉の痛みはありますけど、起きたときに比べたら多少は体が楽になりました」

「良かった。あおいから涼我君が体調を崩したって聞いたから。涼我君の看病をしようと思って来たの」

「……ありがとうございます」

「ありがとうございます、麻美さん。あと、真衣さんはパートのシフトが入っていたみたいで。ただ、さっきパートに行くときにうちに寄って、涼我にお大事にって」

「そうか」


 その一言を言いに来てくれただけでも、気持ちが少し元気になりました。ありがとうございます、真衣さん。


「涼我。食欲はどう? 玉子粥を作って、麻美さんもりんごのすりおろしを用意してくれたけど」

「……ちょっとお腹空いてる。今日はまだ何も食べていないし、病院に行ったから。処方された薬を飲むためにも食べたい」

「分かったわ。じゃあ、部屋に持っていくから、涼我は寝間着に着替えなさい」

「ああ」

「あたしが部屋まで連れて行くよ」

「ありがとうございます」


 俺は麻美さんに支えてもらいながら、自分の部屋まで向かう。体のだるさや頭のクラクラは軽くなったけど、階段を上るので麻美さんの支えはかなり助かった。


「麻美さん、ありがとうございます」

「いえいえ。お着替えは大丈夫? 一人でできるかな?」


 麻美さんのその訊き方は、小さな子供に訊くような雰囲気だ。優しい笑顔になっているし。幼稚園の頃の俺を知っているからかなぁ。ちょっと懐かしさを感じた。


「……大丈夫です。この服も寝間着も脱ぎ着しやすいですから」

「分かったわ。じゃあ、智子さんと一緒に、おかゆとりんごのすり下ろしを持ってくるわね」

「はい」


 俺は一人で自分の部屋に入り、寝間着へと着替える。だるさはあるけど、一人で難なく着替えることができた。

 寝間着に着替え終わって、俺はベッドに仰向けの状態になる。病院に行ってきて疲れたから、こうしていると楽で気持ちいい。

 壁に掛かっている時計を見ると……今は午前10時くらいか。いつもなら2時間目の授業を受けている。……あとで、愛実とあおいに授業のノートを写させてほしいって頼もう。


 ――コンコン。

「涼我。着替え終わったかしら?」


 ノックの直後、母さんがそんな声が聞こえてきた。


「着替え終わったよ」


 何とかして、大きめの声でそう返事した。

 はーい、と母さんの返事が聞こえると、その直後に部屋の扉が開き、お茶碗とコップを乗せたトレーを持つ母さんと、いつも果物を食べるときの少し深めのお皿を持った麻美さんが部屋に入ってきた。

 いくら体調を崩しているとはいえ、ベッドで横になっている状態で食べるのは気が引ける。ゆっくりとベッドから降りて、ベッドにもたれる形でクッションに座った。

 母さんと麻美さんは持っているものをローテーブルに置くと、俺に合わせてローテーブルを動かしてくれた。……母さん特製の玉子粥、美味しそうだなぁ。りんごのすり下ろしも、デザートに食べたら良さそうだ。


「涼我君! あたしがお粥とりんごのすり下ろしを食べさせてあげるね!」


 麻美さんはとても張り切った様子で俺にそう言ってくれる。母親だけあって、その姿はあおいとよく似ている。


「……い、いいんですか?」

「うんっ! 前に、あおいから『涼我君と一口食べさせ合ったんです』って楽しそうに言われてね。昔、あたしも涼我君に料理とかお菓子を一口食べさせたことがあったから、久しぶりにしてみたいなって思って。引っ越しのときに手伝ってくれたお礼もあるわ。……ダメ、かな?」


 笑顔でそう言うと、上目遣いで俺のことをじっと見つめてくる。首もちょっと傾げてきて。高校生の母親とは思えないほどの可愛さを感じるんですけど。そんな麻美さんを見て、少し熱が上がったような気がする。

 もしかしたら、お粥とかを食べさせたいのも、俺を看病しに来た理由の一つかもしれない。


「体調を崩しているんだし、ご厚意に甘えるのもいいと思うわ。それにこのことは……お父さんと桐山家のみなさんと香川家のみなさんくらいにしか言わないから。たぶん」

「……うちと両隣の住人には言うんだな。まあ、それは別にいいんだけど。……今は風邪を引いていますからね。ご厚意に甘えさせていただきます」

「はーいっ!」


 とっても元気よく返事をする麻美さん。そんな姿もあおいに似てとても可愛らしい。あおいが大人になったら、きっとこういう雰囲気になるんだろうなぁ。

 麻美さんは玉子粥の入ったお椀を持ち、レンゲで一口分を掬う。結構な湯気が出ているからか、ふーっ、ふーっ……と何度も息を吹きかける。


「涼我く~ん。はい、あ~ん」


 普段よりも1オクターブ高い声色でそう言うと、麻美さんは玉子粥を掬ったレンゲを口元まで持ってくる。


「……あ、あーん」


 俺は麻美さんに、母さん特製の玉子粥を食べさせてもらう。

 ほんのり鰹の出汁が利いていて、お米や玉子の甘味も感じられて美味しいな。あと、麻美さんが息を吹きかけてくれたおかげで、ほどよく温かくて食べやすい。


「……美味しい」

「良かったわ、涼我」

「あたしが作ったわけじゃないけど凄く嬉しいよ」

「息を吹きかけて冷ましてくれたじゃないですか。美味しさに一役買ってますよ」

「……ありがとう。ちょっとキュンってなっちゃった。昔はあんなに可愛かった涼我君が、今はとてもかっこよく見えるわぁ」


 ニコニコしながらそう言う麻美さん。そんな麻美さんの頬はほんの少し赤く染まっている。目の前にいるのは娘さんの幼馴染ですよ。

 それからも、俺は麻美さんに母さん特製の食べさせてもらった。母さんに見守られながら。

 玉子粥の美味しさはもちろんのこと、麻美さんが息を吹きかけて冷ましてくれたり、食べさせてくれたりしたおかげで難なく完食することができた。


「玉子粥、ごちそうさまでした」

「全部食べられる食欲があって良かったわ」

「そうですね、智子さん。全部食べられたねぇ、涼我君」


 よしよし、と麻美さんは俺の頭を優しく撫でてくる。この春に10年ぶりに再会したのもあってか、俺を子供扱いしてくることがあるなぁ。まあ、幼馴染の母親なので悪い気はしないけどさ。


「じゃあ、次はあたし特製の皮入りりんごのすり下ろしだよ。これを食べると、あおいもすぐに元気になるの」

「りんごのすり下ろしって、体調を崩したときにいいって言いますもんね」

「そうね。涼我君にも効くと嬉しいな。はい、あ~ん」


 麻美さんにりんごのすり下ろしを食べさせてもらう。

 口に入った途端、りんごの優しい甘味が口の中に広がっていく。皮ごとすり下ろしているけど、喉が特に痛むことはない。


「……美味しいです」

「でしょう? 皮入りだけど、喉の方は大丈夫?」

「大丈夫です。すっと喉を通りました」

「それなら良かった。りんごのすり下ろしもあたしが全部食べさせてあげるからね」

「……ありがとうございます」


 玉子粥だけじゃなくて、りんごのすり下ろしまでも。何から何までしてもらって。嬉しい気持ちはあるんだけど、ちょっと申し訳ない気分にもなる。でも、母さんの言ったように、体調を崩しているから今はいいのかな。しょっちゅうあることじゃないし。

 麻美さんの宣言通り、りんごのすり下ろしも全て食べさせてもらう。自分が作ったからか、玉子粥のときよりも麻美さんは楽しそうだった。


「すり下ろしも全部食べられたね!」

「とても美味しかったので。食べさせてくれてありがとうございました」

「いえいえ。久しぶりに食べさせられて楽しかったよ。こちらこそありがとう」


 そう言って、麻美さんは楽しそうな様子で俺の頭を撫でてくれる。そのことで頬が緩んだのが分かった。

 その後、病院から処方された薬を飲む。これである程度治ればいいな。

 お手洗いで用を足して、俺はベッドに仰向けの状態で横になる。その際、麻美さんが掛け布団を肩の辺りまで掛けてくれて。


「涼我君、ゆっくり休んでね」

「はい。玉子粥にりんごのすり下ろしを食べて、薬を飲んだら……ちょっと眠くなってきました」

「眠くなるのはいいことよ。ゆっくりたっぷり寝てね」


 そう言って、麻美さんはふとん越しに胸のあたりをポンポンと優しく叩いてくれる。それがとても心地良くて。あと、今の麻美さんはとても優しい笑顔で。母親の笑顔って感じがして安心する。


「母さん、麻美さん、おやすみなさい」

「おやすみ、涼我」

「涼我君、おやすみなさい」


 母さんと麻美さんに優しく見守られながら、俺はゆっくりと目を瞑った。

 あおいと愛実が学校に行ってちょっと寂しかったけど、麻美さんが楽しんで看病してくれたのもあり、その寂しさが紛れた。麻美さんには感謝だ。

 少しずつ押し寄せる眠気や、ベッドの温もりの気持ち良さもあり、それから程なくして眠りに落ちたのであった。

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