七月 本気だから嫉妬する
六月の終わりに、部活の三年生が参加する大会があるはずであった。
だが当日、季節外れの大型の台風が突然発生。大会当日にそれが直撃。
大会が運営できるはずがなく、その大会は中止となったのだった。
三年生の部活最後がこのような終わりかたでは報われないだろうと顧問が三年生と協議した結果。
今日この日、タイム計測を大会の代わりとして開かれることとなったのだった。
海音はプールサイドでマネージャーと計測会の準備をしていた。三年生はまだ誰も来ていない。
「紗智ー? ホワイトボードもう書いちゃう? 」
「ああ、まだいいよ。君らがアップ始めたら書いとくから」
「分かった。それにしても、学校のタイム計測で部活引退なんて、寂しくなるよね」
「ほんとに? 海音はあんま先輩たちと仲良い雰囲気に見えなかったけど」
「別に悪くはないんだよ? あ、でも先輩は練習だらだらやるようになっちゃってたから……」
「でももう先輩を怒鳴るなんてないもんね」
「……なんですかそれー。私が一回先輩に向かって怒鳴ったみたいな言い方じゃないですかー」
「いや、実際にあんた怒鳴ってたし。部内のネタだから」
むぐうと、海音は唸った。実際に三年生と海音の間には部活に対する心持ちに差があった。
しかし、完全な対立というのではなく、部活以外では遊びに行くほどの関係だと言うのであった。先輩への敬意がないわけではないのだ。
プールサイドへの集合時間から五分ほど遅れて三年たち弥生も揃い、プールサイドに一列に並んだ水泳部の挨拶がその場に響いた。
海音は服を脱いだ。中には水着を着ている。まだ練習用の水着ではあった。
「あれ、まだ海音、競技用の水着じゃないの?」
ふいに横にいた弥生が言った。
「まだアップの時間だから、練習用で十分でしょ。それに、競技用はきつすぎて体に食い込むから痛いんだよ」
「それもそっか。でも今日何回も泳ぐじゃん? 水着その度着替える?」
「私は弥生ほど水着持ってないからそんな着替えないよ」
わかったと弥生は言うと、ぼうしをかぶらず、大胆に水に飛び込んだ。今日は早いなと海音は思った。
海音以外のほとんどはすでに水に入っていた。今日は気温より水温の方が低くなっていた。
まだ水に入っていない三年生が海音の後ろから声をかけてきた。
今日何を泳ぐか、親は来るかなどの形式的な話だ。保護者会の後の測定会なので、一二年の保護者も来ているのだ。
三年生の保護者からすれば子どもの勇姿を見れる最後の日であった。
海音がその三年生にアップをしないのかと聞くと「直前でやればいいでしょ」とのことだった。
計測の時間は保護者が来てからであり、それまではまだ一時間以上あった。
海音は話を切り水に飛び込んだ。そして、思った変わらないなあ、と。
海音は床を蹴り、クロールで泳ぎ始めた。
保護者の来る三十分ほど前に海音はプールから上がり、競技用の水着に着替えに更衣室に戻った。
部室には、海音より早くにプールからあがっていた陽真理が、ちょうど水着を着替え終えたところであった。
「あっ、海音先輩もアップ終わったんですか」
「うん。それに計測始まるまでに水着に変えないといけないし」
「海音先輩着替えるの遅いですもんね」
「私は弥生とかあんたが、そんなはやく競技用を着れてることが信じられんよ」
競技用の水着は通常の水着よりはるかに生地が固く、伸びない。海音はこの水着が苦手であった。
滝のようの汗をかきながらかろうじて時間までに水着に着替えることができた。
部室を出ると保護者がプールに集まり出していた。観覧者も選手も揃い、測定会が始まる。
笛がなり選手が飛び込んだ。
測定会と名ではあるが、彼らにとっては大会であった。それだけに熱が入る。
待機していた選手たちが大きな声援を送る。
水の中ではほとんど聞こえない。だがそれでも全力で声援を送る。
先輩、後輩関係はない。そこで泳ぐ選手たちに向かって全力の応援を全員が泳ぎきるまで行われる。
最後の一人が壁をタッチし、お疲れさまと、声が次々にあがる。泳ぎきった選手が皆清々しい顔をしている。
海音の順番が回ってきた。弥生と同じ種目。唯一海音が得意とする自由形の百メートルであった。
笛がなり全員が飛び込む。飛び込んだ時点で海音と弥生には体半分の差ができていた。
海音が弥生に追い付くことは出来ず、さらに距離は離された。
弥生のタイムをとっていた紗智が声をあげた。
「あっ、やばっ、これ自己ベストじゃん。自己ベスト出てるよ!」
「まじでか。よっしゃあ! タイムありがと。紗智」
「やけに速いと思ったら自己ベストかよお」
遅れて着いた海音が嘆くように言った。他のマネージャーからタイムを聞いた紗智が苦い顔をしながら言った。
「海音は自己ベスト変わらなかったのね」
「はやく追い付いてよ海音。後輩にリレメンとられるよ」
「皆速くなりすぎなんだよ。私は現状維持なのに」
愚痴をこぼしながらプールから上がり、最後の組の計測が行われた。その組は部内の特に速いメンバーばかりであった。当然その中のひまりもいた。
先輩を負かすんで、と意気込んだ陽真理は、その組のなかでダントツではなかったが確かに一番で帰って来た。弥生よりも海音よりも早いタイムであった。
陽真理の元に弥生が駆けよっていった。海音は二人の様子を遠くから見ていた。
二人の間に海音は入ることができなかった。
視線を二人から離し、紗智がボードにタイムを書いているのを見た。
二人のタイムは海音とは明らかな差があった。二人の姿が海音には遠くなったように見えた。
その後も滞りなく測定会は進行し、個人の種目を終えると、リレーを行うことになった。それがこの日の最後の種目であった。
リレーが始まり、プールの熱気はピークに達した。最初は自由形のリレーから始まり、終わればまたメンバーを変えリレーが行われた。
その数合計五レース。その間も常に応援の声は途切れることがなかった。
すべてのレースが終わり、来ていた保護者にメンバーそろってお礼の挨拶をした。保護者から拍手が送られた。
顧問が部員に向かって話をし、その後、プールへの最後の挨拶が響くと、各々片付けを始めた。
海音も使った道具や、ホワイトボードなどを紗智と一緒に運び片付けれると、一人の女の先輩が二人に近づいてきた。
「あっ、お疲れ様でした。先輩」
「お疲れ、海音ちゃん。マネちゃんもお疲れ様。ありがとね、タイムとってくれて」
「いえ!そんな……。仕事をしただけですから」
「とても助かったんだからお礼ぐらいは言うよ。今日まで支えてくれた仲間なんだし、だから。はい、これをあげます」
きょとんとする二人の前に封筒が差し出された。表面にそれぞれの名前が書かれている。
「手紙です。つたいないものだけど、お礼の手紙」
「え、あ、ありがとうございます!」
「ああ、あと差し入れの飲み物もそこに置いてあるから帰るとき持ってってね。じゃあ私、他にも渡してくるから。お疲れさま」
女の先輩は急ぐようにその場をあとにした。残された二人は顔を見合わせて「先輩すごい」と口々に言った。
先輩に言われたように海音は、差し入れの飲み物を持ち部室に戻っていった。
部室に入ると海音以外は誰もいなかった。海音はもらった手紙の封筒に目を向けた。
そして、着替えもせずに封筒を開け中身を読んだ。
内容は感謝と応援がほとんどであった。海音はすらすらと読み進め最後の部分を読み始め動きが止まった。
その部分が海音にはなぜか引っ掛かるようで何度も反復して読んでいた。
――あと、弥生ちゃんのこと。支えてあげて。次期部長として部活をまとめあげる役割だけれけど、一人じゃきっと無理だろうし、あのこ自身が一人で悩んじゃう子だから、色々手助けしてあげてくださいーー
海音は手紙を読み終わるとそれを封筒に戻し水が滴り落ちている体をタオルで拭いた。
少し遅れて弥生が部室に入ってきた。ガチャガチャと持っていた道具を床に置き弥生は椅子に座った。
海音は振り返り、弥生の方を向いた。
「おつかれ。弥生」
「お疲れー。先輩に手紙もらった? すごいよねー。一人一人に書いて渡すなんて渡しには無理だよ」
「うん。先輩はすごいね。ほんとうに」
「……どうしたの海音? 何か元気ない?」
「えっ、そっ……。別に、何ともないよ? 疲れただけだよ」
「私も疲れたよー。早く着替えて帰ろっと」
私も、と海音は小さく言い、水着を脱いだ。
きつく体を締め付けていた水着から解放されるが、海音の顔はどこか暗いままであった。
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