第4話 「あっそうだ、ログイン忘れとった……」

 おおぞらで昼食を主に作ってくれるのは、惣菜屋で働いていて調理師免許を持っている奥津だ。

 四畳程のセミオープンキッチンでボランティアスタッフ数人と一緒に作ってくれる昼食は手が込んでおり、職員から「味処奥津」と呼ばれる程愛されている。

 栄養に配慮してくれている食事をいつも食べさせて貰っているので、独り暮らしの独身男は朝は納豆、夕食はレトルトや惣菜などで済ませてしまう。


「ん~良か匂いやねぇ」


 白米を盛った皿に熱々のチキンカレーをかけながらうっとりと呟く。こんなに素晴らしい食べ物を初めて作った人を褒め称えたい。

 スパイスの匂いが部屋に充満し目を細めて、改めて思う。カレーがあればそれで良い、と。

 山崎家から頂いたきゅうりも用意し、好物を前に自然と頬が緩みふと思い出した。


 高校時代、友達が失恋した時一緒にモツ鍋を食べて励ました事を。

 あの時自分はモツを多めにあげて、相手のペースに合わせて聞き役に徹しただけだったけれど。友達は夜にはスッキリした笑顔で「有り難う」と言ってくれた。

 配慮は大切だけれど、自分達は人を励ます事を難しく考えすぎなのかもしれない。

 尚也もきっと、もっと丁寧にゆっくり接した方が反応してくれるはずだ。

 傷付いているからこそ丁寧に寄り添ってあげたい。尚也が笑う日が来た時には一緒に笑ってあげたい。尚也にはそういう人が必要なように思えた。


「うん、きっとそうたい!」


 次はもっと尚也に合わせよう、と心に固く決め、歩は鼻孔を擽るスパイシーな匂いに誘われるままカレーを口に運んだ。


「と、決まれば……」


 やっぱり自分は尚也を笑顔にさせたい。

 だったら小百合の許可を得なければ。その為にはこの計画の仮称が必要だ。


「……」


 計画の名付けなんて大層な物、ここ最近とんとしていない事に気が付いた。

 それに。先日利用者と段ボールで作った秘密基地に「通りもんの外側」と名付けた自分に、良いネーミングなんて思い浮かぶわけがなかった。


「うーん」


 カレーを半分以上平らげながらふと思い出した。先程おおぞらの厨房で、奥津が尚也の事を「令和の本木雅弘」と呼んでいた事に。


「アイドル、かぁ……ん!」


 アイドル、と口にした時ピンときた。

 ――スマイリング・プリンスと言うのはどうだろう――

 笑って欲しいんだし、尚也は白馬に乗っていそうな位イケメンだ。少し前の流行語からもじっているので、なんとなく覚えやすい。

 スマイリング・プリンス。

 良い。これにしよう。

 中辛カレーを食べながら、ふと思い立って『スマイリング・プリンス』を検索してみた。

 深い意味は無かった。自分と同じ事を考える人はどれくらい居るのだろう、と――。


「ぶっ」


 自分のような理由では無いだろうが、思ってた以上にヒットして笑ってしまった。

 それから月曜日まで、尚也の地雷を踏まぬようにネットで人付き合いの基本や心理を抑える事に専念した。




 福岡空港から飛び立つ飛行機の腹が、何時にもましてキラキラと輝いて見える――そんな月曜日の朝。

 歩はおおぞらの庭にある駐車場に立っていた。


「うんうん、今日は良く晴れとーね! 良か良かぁ」


 澄み渡る青空の下頬を綻ばせる。こんなに綺麗に晴れてくれると、散歩中の犬も浮き足立っているように見えた。

 週一しか来ない尚也は今日月曜日しかおおぞらを利用しない。

 おおぞらのような障害者支援施設は『障害者に社会的居場所を』という理念の元運営されているので、本当はもっと尚也に来てほしかった。社会と繋がっている事は時に面倒ではあるが、なんだかんだ活力にもなるので良いのではと思うが――まあそれはゆっくりで良い。


「あっそうだ、ログイン忘れとった……」


 車椅子用リフトが後方に用意された白い福祉車両の運転席に座りながら、歩はブルージーンズのポケットからオレンジ色のスマートフォンを取り出す。添乗予定の小百合はまだ事務所で電話をしていたので、アプリゲームを立ち上げられる余裕がある筈だ。

 スマートフォンの電源を入れると、公式が有料で配布している銀髪ロング美少女の彼シャツ姿が描かれた壁紙が出迎えてくれた。


『マスター、お早う御座います』


 アイコンをタップしアプリを立ち上げると、ロード画面に合わせてそのホムンクルス美少女が挨拶してくれた。推しの凛とした声に一日の活力が湧き、自然と口元が緩む。正直言って世界一可愛い。


「っとお待たせ。……うーん、博多駅歩いとったら捕まりそうな顔しとるね?」


 ――と。

 ステータス画面を見ていたところを小百合に目撃された。どうも思っていたよりもずっと余裕なんて無かったらしい。

 気まずかった。隠していたエロ本を母親に見られた時と同じ気分だ。

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