スマイリング・プリンス

上津英

第1章 おおぞらは空の下

第1話 (無視された?)

(無視された?)


 見事にスルーされた挨拶が、バリアフリーの広い部屋に吸い込まれていく。


「あの……? 俺、佐古川歩さこがわあゆむって言うばい。宜しくね」


 「聞こえなかっただけと?」と思い、もう一度近くに居る人物に自己紹介をする。

 東京から引っ越して来たと言う彼は、目を覆う程長い前髪が僅かに野暮ったい物の、陶器人形のように顔立ちのハッキリした綺麗な少年だった。

 一言で言うとイケメンだ。半年前までは高校生だったそうなので、さぞモテただろうなーと羨ましく思う。

 何時まで経っても返事が無いので、目の前で俯いている車椅子の少年――鴻野尚也こうのなおやの顔を覗き込む。


「こーのくーん、こーのくーん?」


 反応してくれるかな、と軽い気持ちだった。それだけに尚也の反応がショックだった。


「…………」


 目が合わない尚也からは何も返って来ない。それどころか長めの前髪から僅かに覗く目が――死人のように暗かったのだ。

 歩は目を見張り思考が一瞬停止する。


(えっ)


 呼吸を忘れる程驚いた。こんなに露骨に無視をされたのも、こんなに無感情な瞳を見たのも何年ぶりだろう。

 偶然にも丁度部屋の中から話し声が消えてしまった。壁際に設置している大型テレビから、朝の情報番組のMCを担当しているコメディアンの明るい声だけが大きく聞こえる。


「佐古川さん、マット出すの手伝ってくれると?」


 葬式会場のように静まり返った部屋の空気を破ったのは、一段奥にある和室の押し入れの前に立つパートの女性だった。


「あっ……はい。鴻野君ごめん、またね」


 名前を呼ばれ、一言入れてからその場を離れる。和室に上がるべく靴を脱ぎながらチラッと振り返って尚也を見る。長い前髪が印象的な少年はずっと俯いて己の膝ばかり見つめていて、人との対話を拒んでいるようだった。

 現にそれから尚也に構う職員は居なかった。

 尚也はそれから直ぐ、「具合が悪くなった」と自分のスマートフォンで母親に連絡をし迎えに来てもらい、始めからこの場に居なかったかのようにすっと帰ってしまった。十五分もこの部屋に居なかっただろう。


 尚也はこの時何を思って無視をしたのか。

 その日ずっと頭から疑問が離れてくれなかった歩には、飛行機の音が何時もよりうるさく感じた。

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