第2話・形見分け

 家の敷地に他所の猫が入り込んでいるのは、別段珍しいことじゃない。この辺りは割と外飼いされている猫も多いし、地域猫と呼ばれる野良を見かけることもある。

 だから、離れの室外機の上でくつろいでいる三毛猫も、きっとそういう子なのだろうと思った。――毛並みを見る限り、野良ではなくて飼い猫の線が強そうだが。


 初対面の梓が近付いてきても、三毛猫は平然と毛繕いを続けていた。後ろ足は上げたまま、真っ白なお腹の毛を入念に舐めている。ただ、埃だらけの室外機の上でグルーミングしてても、果たして意味があるのかと首を傾げた。腹毛はキレイになるかもしれないが、室外機に触れているお尻周りの毛は埃で真っ黒になっていそうだ。

 梓は笑いを堪えながら、三毛猫に向かって声を掛ける。


「そんなところに乗ってたら、逆に汚れちゃうよ」


 白が多めの三毛猫だから、汚れたら余計に目立つだろう。梓の言葉が分かったのかは不明だが、猫は「ナァー」と鳴き返すと、足音も立てずに室外機から飛び下りる。そして、真っ白の長い尻尾をピンと伸ばしながら歩き出し、梓が見守る中を軽やかにフェンスを飛び越えて去っていく。


 猫が消えていった方向を眺めながら、梓は小さく噴き出した。猫のあまりのマイペースさに、呆気に取られていた自分自身があまりにもおかしくて。


「……なんだったんだろ?」


 さっきまでの、しんみりした気分は完全に吹き飛んでいる。室外機の上には猫の肉球跡がくっきりと残っていた。きっと猫の足の裏は真っ黒になっているはずだ。


「ねえ、ほんとに離れを駐車場にしちゃうの?」


 帰宅して速攻、玄関先で娘に問い詰められて、三上幸彦は苦笑を漏らす。最近はめっきり会話をすることが無くなっていた娘が久しぶりに話しかけてくれたと思ったら、これだ。

 おじいちゃんっ子だった梓には全てを決めてから話すつもりだったけれど、先に妻が喋ってしまったらしい。口止めしておかなかったことを悔いる。


「パパの同級生で解体業をやってる人がいてね、かなり安くしてくれるらしいから、そこに頼もうと思ってる」


 家屋の解体にも、更地へアスファルト舗装するにも、正直言って結構な費用がかかる。けれど、駐車場にしないにしても、古い建物を手付かずで放置しておくわけにはいかない。野良猫が住み着いたりしてしまえば、ご近所にも迷惑をかけてしまう。

 どうやら幸彦の中では、解体はすでに決定事項のようだ。


「でも……まだ、おじいちゃんの荷物はそのままだよ?」

「次の日曜に伯母さん達が来るから、形見分けしながら片付けることになってる。梓もおじいちゃんの遺品で欲しい物があったら、一緒に分けて貰うといい」


 祖父の腕時計コレクションなどの目ぼしい物は、四十九日の法要後に一部の親戚で分配していた。今回は本当に近しい者だけで、祖父が日常に使用していた遺品を整理しようということらしい。



 日曜の昼過ぎには、幸彦の姉である圭子が夫と共に一番乗りで顔を見せた。大きな家具を移動するのに男手が必要だろうと半ば強引に連れ出されてきた義伯父は、遺品には興味が無いと、窓際に置かれた一人掛けソファーでうつらうつらと居眠りを始める。


 その半時間後くらいだろうか、祖父の妹である大叔母のアツ江が、孫の悠太に車を出してもらってやって来た。悠太は梓にとってはハトコにあたるが、法事でも滅多に会うことはなく、いくら歳が近くても話すことなんて何もない。悠太は手持ち無沙汰に離れの中をウロウロと見て回っていたが、「帰る時は連絡して」と祖母へ告げてから車で一人どこかへ出ていってしまう。


「日用品なんかは母屋の方に運んだんですが、お義父さんの私物はそのままなんです。私では何を処分していいか分からなくて」


 伯母と大叔母に向かって、母が申し訳なさそうに言う。息子の嫁にとっては全て処分対象でしかないが、実の娘や妹からすれば思い入れのある物かもしれない。その判断は他人には難しい。


 二階にあった祖父の寝室から移動させたという遺品が、一階のリビングに広げられていた。主に祖父の洋服や愛用の小物類と、古いアルバムや書籍など。書籍類はおそらく誰も要らないだろうと、すでに紐で括り付けてまとめられている。

 大叔母達は部屋に入ると遠慮なく荷物を物色し始め、見覚えのある物を見つけてはそれにまつわる思い出を語っていた。


「あら、これ、私が還暦のお祝いに送ったやつだわ。お散歩の時にでも被ってって言ったのに、真っ新なままじゃない……ほんと、気に入った物しか身に着けないんだから」


 ブランドタグが付いたままのサマーハットに、圭子が呆れ笑いを浮かべる。たまにはイメチェンしてみればと送ったプレゼントは、どうやらお気に召さなかったようだ。


「……こんな写真、まだ残ってるものなのねぇ。もう誰が誰だか分からないわ」


 アツ江は色褪せたモノクロ写真が並んだアルバムを開き、懐かしげに微笑んでいる。「ここに写ってる人、もうみんな死んじゃったのよねぇ」などと、少しも笑えないことを呟きつつ。


「お着物もかなりあったんですが、お義父さん用に仕立ててあったら、着れる方いらっしゃらないですよね……?」

「そうねぇ、お父さん、小柄だったから。短くすることはできても、丈は伸ばせないものねぇ」

「うちの人なら着れただろうけど、もう死んじゃったしねぇ」


 仕立てた後に一度も袖を通していなさそうな、真新しい着物の束に、一同揃って「勿体ないわねぇ」と溜息を漏らした。亡き祖母が内職で着物の仕立てをしていたこともあり、ほとんど全てが祖母の手縫いだ。せっかくだからと、圭子はリメイクで使えそうな生地の物を真剣な顔で選び始める。


 遺品をあれやこれやと吟味する母達の様子を、梓はソファーの隅っこに座りながら遠巻きに見ていた。祖父のことは大好きだったが、別に欲しいと思う物はない。

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