召喚

 ズキは六歳を過ぎ幼年軍学校への入学が近づいていた。

父と剣の稽古を始めて早一年。

途中木剣を大きめに買い換える程に成長し、

両親の見ない所で遊ぶことも増えた。

最近は近所の子供と遊ぶこともあったが大抵は一人でその辺を散歩していた。

今日もズキが散歩をしていると初老の男がすれ違った。

その男、ムサフィーリという名の人間は赤毛で茶色を基調としたポンチョを着て、

背負った荷物が重たそうに見えた以外はあまり目立たない風貌だった。

顔はやせ細り目の辺りが窪んで隈ができていた。

ズキは随分と気持ち悪い顔をした男だと思って通り過ぎようとしたが、

ムサフィーリはズキの背中についている魔力に気がついた。

ムサフィーリは大陸を廻り商売をする商売人であったが、

旅での自己防衛のため魔法と魔法陣への知識経験が豊富で、

ズキの背中の異常さに気づいたのだった。

すれ違いざまに一瞬だけズキを見て、

ムサフィーリはそのまま首都マッサの市街地へ向かった。

 ムサフィーリはマッサで商いをしつつも、

ズキの背中の魔力がずっと気になっていた。

魔力の文様から言って対熱封印の時属性魔法陣である。

エルフは熱属性魔法の適性がないと言われているので、

エルフにその対熱陣が張られていることを不思議に思ったのだ。

考えているうちにあっという間に一日が終わり、

その日の商いを閉めると宿代の安い郊外に戻り宿泊した。

 翌日再び市街地へ向かおうと思い歩いていると、

ズキが一人で釣りをしているのが見えた。

イグーはこの日、足の具合が悪く家で静かにしている。

ムサフィーリは少々好奇心に駆られ自分の左掌に解呪の魔法陣を書いた。

そして「よ、釣れるかい?」と言って左手でズキの背中を叩く。

その瞬間にケンジャ様の施した封印は解けたがズキが気づくことはなかった。

「まだ釣り始めたばっかりだよ」と返すズキ。

予想とは違い何も起きなかったことにムサフィーリは少々落胆した。

「でっかいのが釣れるといいな、おチビくん」と言い残し、

ムサフィーリは今日は商いのための買い出しへと市街地へ去った。

 ムサフィーリがめぼしい商品を買っている最中に事件は起きた。

そろそろおやつの時間と思いズキがそれまでに釣れた魚を持ち家に帰り、

ムトがそれを調理しようとかまどに火をつけた。

その時に竈の火がズキに語りかけてきた様な感じがした。

なにかの言葉なのかと思いその声を聞くように集中すると、

意識がぼんやりとし始めてズキは夢うつつの状態になった。

火は更に語りかけ夢うつつのズキは火の言葉をそのまま復唱する。

 それはケンジャ様が自作のリンゴ酒を持ちイグーの家に来た時だった。

ケンジャ様はイグーの家から異様な魔力の高まりを感じ、

リンゴ酒の瓶を放り出してイグーの家へと遅い足で走る。

ケンジャ様が玄関の扉を開けた時は既に遅かった。

外からでは分からなかったが、

家の中は一箇所を除いて既に炎に包まれており、

その一箇所ではズキが泣きながら床に崩れ落ちていた。

そしてズキの前に式礼する炎の精霊イフリートがいた。

イフリートは世界に顕現することはめったにない程の火の上級精霊で、

長年生きたケンジャ様でも見るのは初めてであった。

ズキは部屋の奥を見て「父さん、母さん!」と叫び続けている。

四大精霊を超えるイフリートの熱でこのままではズキも危ないと思い、

ケンジャ様は水の精霊ウンディーネを召喚し火事を抑えようと試みるが、

上位の精霊イフリートの熱量には正に焼け石に水であった。

が、かろうじてズキのいる場所までの道のりができ、

ケンジャ様はそこまで行きズキを抱きかかえて玄関から逃げようとした。

その間もズキは父と母を呼んでいたが、

炎の中で焼け焦げてる二人の亡骸が既にケンジャ様には見えていた。

ケンジャ様は急ぎそのまま玄関から脱出したが、

イフリートはその場に式礼したまま動く気配を見せなかった。

それはイフリートがズキの命令を待っているのであり、

すなわちズキがイフリートを召喚してしまったことを示していた。

まもなく炎は家の外に漏れ出し家全体が盛大な炎と煙を出した。

鎮火するためにはイフリートを精霊界に戻さないといけない。

そのためにケンジャ様は今度はズキに熱属性封印と同時に魔力封印を施した。

この魔力封印によりズキの魔力が一時的に底を尽き、

イフリートをこの世界に維持できなくさせ強制送還させたのである。

だがこれは緊急避難的な行動であり魔力が急激に減衰したために、

ズキはショック症状を起こして昏倒してしまった。

 イグーの家の周りは根菜の畑であったために周辺への延焼はなかった。

燃えるものは燃え火が下火になった頃にムサフィーリが現場へやってきた。

野次馬が話している内容で燃えているのがズキの家だと知った時、

ムサフィーリはこの火事が自分のしでかした事だと直感した。

野次馬の話を聞くに少年は無事だがその両親は助からなかったという。

ムサフィーリは大木の下で横になって倒れているズキの元へと向かった。

ズキは丁度ケンジャ様に魔力封印を解呪してもらっているところだった。

ケンジャ様の解呪の手際を見てムサフィーリはケンジャ様に小さくささやいた。

「封印を施したのはあなたですか?」と周りの人には聞こえないように。

それに対してケンジャ様はたった一言「そうだ~」と無感情に言った。

その答えにムサフィーリは肩をうなだれ、

「すまん…、私が興味本位で封印を外してしまった…。

その子の容態は大丈夫でしょうか?」と言った。

ケンジャ様はズキの魔力封印を解き終わるとムサフィーリの方を見た。

ムサフィーリの顔は青ざめていて責任を痛感しているのが分かる。

「ズキはわたしがぁ魔力を強制封印させたので~、

ショックで気絶してるだけだぁ、安心するが良いぞ~。

それと火事を起こしたのはぁ精霊だしぃ、

封印を解いてはいけないという法はない~。

おぬしを罰する気はぁ、これっぽっちもないぞ~。

起こるべくして起こった事故だとしか言えないのだ~」

言い終わるとまたズキの方を見る。

「しかし、実際に人が…」ムサフィーリが喋ってる途中でケンジャ様が言う。

「ズキの才能をぉ見誤っていたのだ~。

わたしの封印があってもぉいずれ起きる事件だった気もする~。

それだけズキの才能が高すぎたのだ~」

確かにズキの才能は異常であった。

各種属性魔法の適正があり三百年以上生きているケンジャ様でも、

四大精霊以上の精霊の召喚などできない。

それでもムサフィーリは食い下がる。

「いや、そうであっても私の気が許さない。

私にできることで何かしら償わせてほしい」

それでケンジャ様は少々困った表情になった。

いつものほのんとしたケンジャ様が気持ちを顔に出すのは珍しい。

「ん~、困ったのぉ……。

おぬし、そう言えば名前を聞いていなかったのぉ」

「私はムサフィーリと申します」

「ほぉ、その名前は移動型民族か~、今どきは珍しいのぉ。

わたしはぁクムベクの子ケンジャという~」

移動型民族とは、創世の始めの頃には一つの国を作っていた民族であるが、

あるときに国が滅び、以後定まった土地に住まずに、

複数に分かれ流浪の旅を続けることになった民族である。

ある一団は別の国の領地に定住し、別の一団は遊牧の民になり、

また別の一団は商人キャラバンを形成し旅を続けた。

「はい、私の部族は少数の商業キャラバンとしてやっておりましたが、

過去に色々ありまして今は一人きりで」

ケンジャ様は左手をあごにそえてしばし考える。

「で、ムサフィーリとやらよ~、

わたしの結界を破ったのならぁ魔法は相当詳しいのか~?」

ムサフィーリはそれに即答する。

「はい、四大属性の詠唱ならばレベル二まで、

魔法陣ならばその他の属性も含めて、一部レベル三まで扱えます」

「おおぉ、国を選べば宮廷魔道士になれるのぉ……」

そう言うとケンジャ様はまたしばらく考えた後に、

「そう言うなら、おぬしの人生をくれぬか~?」と問いかける。

ムサフィーリはその言葉に一瞬ぎょっとしたが、

無辜むこの人間を二人も殺し子供の一生を変えてしまった罪の念は強かった。

ムサフィーリは人殺し自体はいくらでもやっていた。

だが、それは傭兵団にいた時であり相手も軍人であった。

あるいは旅の最中に襲ってきた野盗であった。

無辜の人間を殺してしまった事実は自分が思っていた以上にショックで、

償いに一生をかけてもいいと決めたのだったが、

決めたと言っても焦燥感から正常な判断が下せなかったためかもしれない。

時をかけてから同じ質問を自問したら答えは違ったかもしれないが、

ムサフィーリはその場の空気に流されていた。

「分かりました、何をすればよろしいでしょうか」とかすれ声で返す。

「まずズキはぁ、あと三ヶ月で幼年軍学校へ入る予定だ~。

それまではぁわたしがズキを預かるので~、

ムサフィーリはどこかに居を構えぇ、

そこでズキが入学するまで大人しくたのむ~。

一生の住処になるかも知れぬのでじっくりと居を決めてほしぃ。

住む場所が決まったらぁわたしに知らせてくれ~。

宮殿へ宮廷魔道士ケンジャ宛にぃ手紙を出してくれれば届くぅ。

ズキにはただの火事であったと言い聞かせるつもりなのでぇ、

目に見えて焦りが出て挙動不審な今のおぬしには会わせたくないのだ~。

子供というのは時に鋭い洞察力をみせるからのぉ。

だがその前にぃ、ズキの封印の魔法を手伝ってくれないか~?」

ケンジャ様は今までズキに施していた熱属性封印を再度ほどこしたが、

それだけでは経年劣化や今回のように解呪される可能性もあったので、

ムサフィーリが別の恒久的な魔法陣を重ね掛けした。

これでズキは精霊との対話ができなくなり、

副作用で他のあらゆる魔法も一切使えなくなる。

自分でも動転していることが分かるムサフィーリは作業が終わった後、

肩を落としながらその場を離れていくのであった。

ケンジャ様や村人が両親の墓を作っている間もズキは眠り続けた。

日頃宮廷に住んでいたケンジャ様は眠るズキを別宅へ連れていき、

そこで三ヶ月の間ズキを育てることにした。

ズキが目覚めたのは次の日の昼を過ぎた頃だった。

ズキは火事のことは覚えていたのだが、

自分が火の精霊を呼んだとはまるで気づいていなかった。

ケンジャ様から両親が亡くなったと聞いたズキは飛び出し自宅へと走った。

燃え尽きた自宅と両親の墓を見てその日一日泣き崩れるのであった。

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