第4話:それがどう凄いか分かりません!


 師匠が喜びのあまり小躍りしているので、私は首を傾げた。


「そのとんでもない物に化けるってどういうことですか?」

「正直に言えば、俺でも予想が付かないぐらいに凄いものだよ! 早速これを分析して実験を……と言いたいところだが、とりあえず飯にしようか!」

「はい! お腹空きまくりです!」


 私がそう言うと、師匠は深く肯いた。


「そうだろうな。錬金術は緻密で繊細な魔力操作が必須なんだ。魔力量が正義な魔術師とは訳が違う。だから頭も疲れるし腹も減る」

「魔力操作はまだまだです。師匠みたいに上手くできませんでした」


 私の言葉を聞いて、師匠が首を横に振った。


「いや、それでもエリス、お前には才能があるよ。並の奴なら間違いなく一年修行してもここまでは出来ない。それぐらいに抽出は錬金術の基礎であり、そして極めるのが一番難しい技術なんだ。そもそも精霊を使おうなんて発想は絶対に出て来ないだろうな。鏡の精霊と水の精霊を使うなんて俺ですら考えつかない素晴らしいアイディアだよ」


 私は褒められたことが嬉しくて、それが顔に出ないようにするのに必死だった。もしかしたら精霊を使ったことを怒られるかもしれないと思っていただけに余計にだ。


 そうしている間に師匠が手際よく抽出に使った野菜とベーコンの入ったスープを作っていく。


 その背中を見ていると、私はなんだかホッと安心したのだった。

 そういえば、帝都に来てからはずっと気を張っていた気がした。


 その緊張が、今解けた。


 だから―― 


「あはは……なんで私……泣いてるんだろ」


 ぽろぽろと涙が溢れてくる。


 調理中の師匠に気付かれないように、涙を裾で拭いた。こんなことで泣いていたらいけない。


 私はもう、大人なんだから。


「ほら、出来た。といってもスープとパンだけだが」


 師匠が笑顔で、美味しそうな匂いを漂わすスープとパンを運んできた。


「美味しそうです!」

「うっし、食べるか」

「はい! いただきます!」


 それは私にとって久々の――誰かと共にする食事だった。


 食事って……こんなに楽しいんだ。そんな小さなことを、私は思い出せたのだった。


 そうして食事が一段落すると、私は師匠によって工房の二階へと案内された。廊下には扉がいくつかあり、それぞれトイレと浴室、寝室、そして倉庫となっているそうだ。


「キッチンは下にしかないから、自由に使ってくれ。あるいは冒険者通りまでいけば、いくらでも飯を食うところはある。まあ食事に困ることはないさ」


 師匠が案内しながら進んでいく。あれこれ使用の際に気を付けることを聞きながら、最後に入ったのは寝室だった。


「おお! 良い感じじゃないですか!」


 埃っぽいのを除けば、その部屋は決して悪くなかった。


 温もりを感じる、木製の曲線が目立つ家具。ベッドや鏡付きの化粧台、クローゼットも全て同じ意匠で揃えられていた。でも不思議なのは、この部屋を師匠が使っていたようには見えない点だ。家具以外は何も残っていないのに、なぜか一瞬だけ、ふわりと甘い花の香りが漂った気がした。


 多分だけど……ここを使っていたのは師匠ではなく、おそらく女性だ。


 だとすれば……それは誰なのだろうか。


「掃除して使ってくれ。必要な日用品は適当に買い足すといい。金がないなら貸してやる」

「あ、ありがたいです……もうお金あんまり残ってなくて」

「だろうな。またあとで買い物に行くか」

「はい!」


 私が思わず弾んだ声を出してしまう。


「よし。じゃあ、さっきの魔素水の分析を始めよう」


 師匠がウキウキしながら廊下に出て、階段を降りていく。私もその後についていこうと部屋から出ようとした、その時。


「あ、まただ」


 ふわりと、甘い花の香りが漂った。


 それは誰かが、あるいはこの部屋自身が――私を歓迎しているような、そんな気がした。


「今日から使わせていただきます。よろしくお願いしますね」


 それはただ、気分の問題だ。それでも私はその部屋へとぺこりと頭を下げた。


「おーい、エリス」

「はーい」


 階下から師匠の声が聞こえてきたので返事をして階段を降りていく。


 下の作業場では、師匠は何やら色んな器具を取り出し、私の作ったキラキラ液……もとい魔素水を調べはじめた。


「ふむ……ふうむ。興味深い」


 師匠がそんなことを言いながら、魔素水の一部を使用して何かを作り始める。


 保存棚から取り出した小さな黒い結晶――魔物の体内で生成される魔力の結晶である魔石――と乾燥した葉っぱを粉砕したものを、取り分けておいて魔素水の中に入れる。


 それに、抽出と時の同様に火に掛けながら混ぜていく。


「うーん。なるほどなあ」

 

 真っ黒の液体が出来上がったのを見て、師匠が唸る。


「ど、どうなんです?」

「うーむ。結論から言うと……使

「えええええ!? ダメじゃないですか! 凄い何かに化けるって発言はなんだったんですか!」

「魔素水ってのは、液体系のアイテムのベースとなる素材なんだよ。ポーション類なんかも魔素水を使うし、液体系じゃなくても、他の錬金では触媒として有用なんだ。だが……エリスの作ったこれは、それらの用途には使えない可能性が高い。ポーションも試しに作ってみたが、失敗した。おそらく触媒として使うのも難しいだろう」

「じゃあ、何に使えるんですか?」


 私が縋るような目で師匠を見つめた。せっかく苦労して出来たやつが、何にも使えないというはあまりにも悲しい。


「分からん。が、絶対に何かあるはずだ。魔素水としては高品質な代物だからな」

「そうですか……」


 私は分かりやすく落ち込んだのを見て、師匠が小さく笑った。


「落ち込むことはない。さっき〝使えない〟と言ったのはあくまで、俺の場合だ。おそらくだが、この魔素水には精霊の力が宿っている。それを俺は使いこなせていないのだろう。つまり――エリス、お前ならこれを使って、これまでに見たこともないような何かを作れてしまうかもしれないんだよ!」


 師匠が嬉しそうに笑ってそう言いきった。


「喜べ、エリス。既存品を作るのは俺やその辺りにいる錬金術師に任せて、お前はお前にしか作れない物を探したらいい。錬金術師とは本来、そういうものだからな」

「は、はい! でも、何が作れるんでしょうか……」

「さてな。今はとりあえず、基礎的な技術やレシピを覚えていけばいいさ。じゃあ、一旦その魔素水は置いといて、通常のポーションの作り方を教えてやろう。まずは――」


 師匠がそうやってポーションの作り方と材料を一つ一つ丁寧に教えてくれた。


 必要なのは――魔素水と魔石、そしてメディナ草と呼ばれる薬草だ。


「ここに関してはさほど難しい工程はない。魔素水に触媒となる魔石を入れ、メディナ草を乾燥させて砕いたものを入れて火に掛けながら混ぜる。この際に魔力は魔石に注ぐだけでいい。抽出と違って細かい魔力操作も要らないし、エリスになら簡単に出来るなはずだ」


 私が師匠の言う通りにやってみると、魔素水がみるみるうちに緑色の液体へと変わっていく。


「よし、完璧だ。あとは、濾して不純物を無くせば――完成だ」

「おー! ポーションだ!」

「簡単だろ? 普通は抽出を含め、一人で作れるようになるには一年ぐらいは掛かるんだけどな」

「えへへ、褒めないでくださいよ」

「ま、今はとりあえず工房再開に向けて、主商品たるポーションの量産が目下の課題だな。その合間に、エリスはその精霊の力を秘めた魔素水――そうだな、<精霊水>とでも名付けようか。それの活用法を研究するといい」

「分かりました!」


 私が元気よく返事すると、師匠が頷いた。


「さて。ポーションの材料も在庫がそろそろ切れそうだな。近いうちに買い足さないと。それに工房再開の許可も取らないといけないし……忙しくなるぞ」


 そう言う師匠がなんだか嬉しそうだ。それを見て、私は錬金術師になれて良かったと心から思った。だって私、こんなにワクワクしているんだもん。


 結局その日は、師匠が作った魔素水の残りを使ってポーションを作り、日用品を買いに街へと出掛けただけで終わったのだった。


***

 

 その日の夜。

 私は掃除をしてピカピカになった寝室で、テーブルの上に置いた精霊水を見つめていた。精霊水の入った小瓶の横で、明かり代わりに召喚したトカゲのような姿の精霊――〝火の精霊、サラマン〟が、私が昼間に買ってきた小さな鉱石の欠片を嬉しそうに囓っていた。


「ぴゅいー!」

「あはは、サラマンはそれ好きだもんね」

「ぴゅい!」


 精霊にはそれぞれ個性があり、当然好き嫌いもあった。例えばクイナは布が好きだけど、金属は嫌いらしい。このサラマンは逆に金属が好きで、こうして鉱石を囓る姿が可愛くてつい与えてしまうのだ。


 ただ、村にいた時は鉱山が近くにあったから鉱石の欠片なんていくらでも手に入ったけども、この帝都では欠片でも結構な値段なのに驚いた。


「だから、昔みたいにいっぱいあげられないかも」

「ぴゅう……」


 サラマンが悲しそうな表情を浮かべたような気がして、ちょっとだけ心が痛い。とはいえ、お財布事情が改善されない限りは、そうそう頻繁に買えないのは事実だ。


「うーん……この精霊水をなんか凄い何かに出来れば……お金持ちになれるかもしれないのになあ」


 そもそも師匠ですら使い方が分からないものを、まだ錬金術を習いはじめた私に扱えるとは思えない。


「ぴゅい?」


 そんな私の顔を見て、サラマンがそのつぶらな瞳を私へと向けた。


「なんでもないよ。さあ、私は寝るね。寝てる間の見張りをよろしく」


 一応、師匠が言うにはこの錬金工房には警報魔術が組み込まれてあり、不審者が侵入してくると警報が鳴るようになっているそうだ。それでも、私はいつもの癖で寝る時はいつも精霊を傍に待機させた。


 精霊は固体によるけども、ほとんどのものが睡眠を必要としないし、近くに要れば魔力が切れて消えることもない。何かあれば起こしてくれるし、頼れる仲間だ。


「じゃあ、おやすみ――サラマン」

「ぴゅいぴゅい!」


 サラマンが尻尾の火の光を弱めて部屋を暗くする。


 心地良い睡魔がやってきて、すぐに私は寝付いたのだった。


 だからそれは夢だったのかもしれない。


 夜中に何かの物音でふと私が目覚めた時。


 テーブルの上でサラマンが、前脚で精霊水の入った小瓶を転倒させた。そのせいで零れた精霊水が、彼が囓っていた鉱石の欠片に触れた時――確かに私はピカピカと光る何かを見た。


「あれ……は……な……に……」


 だけども私は再び眠りに落ちてしまったのだった。


***


「んー……おふぁよお」


 朝になり目が覚めた私は、ベッドの上で大きく伸びをしてそんな寝惚けた声を出した。


 あ、そうだ……昨日の夢……。


 私は昨晩見た夢の名残が頭の中で溶けてしまう前に、慌ててテーブルへと向かった。


「……やっぱり。夢じゃなかった」


 そこには倒れた小瓶と零れた精霊水、それに丸まっているサラマンの姿があった。サラマンが私の顔を見ると、身体を伸ばし、丸まっていた時に抱いていた鉱石の欠片をスッと前脚で私の方へと押した。


「ぴゅー」

「え? くれるって?」

「ぴゅい!」

「あ、ありがとう。ってあれ……」


 私があげた鉱石の欠片は確か鈍色だったはず。なのに――


「色が変わってる」


 それはなぜかほんのりと赤く染まっていた。更にそれを手に取ると、


「なんか暖かい」


 なぜかその欠片は熱を帯びていた。


「どういうこと?」

「ぴゅー」

「え? 力を授けた?」

「ぴゅいぴゅい!」

「うん、分かった。とりあえず師匠に見せてみるね」


 そうして私は着替えると、サラマンがくれた謎の欠片をポケットに入れた。


 まさかそれが――精霊水以上に師匠を驚かす代物だと、この時点では予想もしていなかった。

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