奇妙な旅人(5)
家主の勧めに応じてサキが沐浴をしている間に、屋敷の厨房では近所の女たちが数人集まって、慌ただしく饗応の支度が進んでいた。
マリーが体についた泥を洗い流した後、客人のためにわざわざ湯殿の湯を張り替えたのだから、下にも置かない歓迎ぶりだ。
久々の湯浴みについ長湯をしてしまったサキが、用意された清潔な男物の着替えに袖を通して食堂に姿を現すと、ちょうど歓待の準備が終わったところだった。
「サキ、待ってたよ。さ、こっちに来て」
おさげに編んでいた杏色の髪をほどいたマリーがサキを出迎える。背中まで届く長い髪はまだ湿り気を帯びていて、濡れた髪の房が艶やかに胸元に垂れている。
マリーに勧められるままにサキは席に座った。
そのサキの耳元でマリーが小声でささやく。
「やっぱりその腕輪、すごいね。どう見ても男の子にしか見えないよ」
昼間は付けていた胸甲を外した状態では、女性特有の柔らかな体の線が服の上からでも分かってしまいそうなものだが、腕輪の効果が見事にそれを打ち消している。
腕輪の効果を再確認するようにサキの姿を観察していたマリーは、サキの首筋で金の鎖が光っているのに気付いた。鎖の先は服の中に隠れている。昼のうちは襟のついた服を着ていたため気づかなかったのが、襟元がゆったりした服に着替えて首筋が露になったため目についたのである。
「あら、サキって首飾りをしてたのね。素敵。後で見せてくれないかな?」
ひそひそと話しかけるマリーに、サキは「うん、そうだね」と曖昧に答えた。マリーはその答えに満足して、サキの傍から離れた。
サキの向かいには村長のバドが座り、その隣にはサキを案内し終わったマリーが座った。入り口に一番近い場所にはヨナと呼ばれた青年が遠慮がちに腰かけている。
サキの左隣には、右腕の義手を外したリュードッグが座っている。彼の本来の右腕が、二の腕の中ほどから無くなっているのがシャツの袖のふくらみから分かる。バドもマリーも遠慮がちにリュードッグの右腕を見るが、当の本人は目の前に置かれた空の杯を凝視している。そこに注がれる液体が、琥珀色か紅玉色かを思案でもしているところなのだろう。
「サキ様、参られましたな。さあ、いただくとしましょう。腹も減りましたしな」
「腹が減ったんじゃなくて、喉が渇いたって顔をしてるよ」
「ハハハ、まさか。とはいえ、家主殿が一杯振る舞ってくれるというのであれば、断るのは無作法というものでございましょう」
「一杯じゃなくていっぱいだろ」
老兵をあしらってから、サキは視線を向かいに座る男に移した。その合図を受けてバドは、テーブルの上を示しながら口を開く。
「ささやかながら歓迎の席を準備しました。お口に会えばよいのですが」
テーブルの上には、鳥に香草を詰めて焙ったものや川魚を蒸したものなどの皿が並んでいる他には、数種類の果物が盛られた盆や、チーズや小麦のパンが乗った皿などが並んでいる。田舎料理ではあったが、どれも滋味の溢れるものばかりだ。烏麦や大麦の混ざっていない白い小麦のパンでさえ、この寒冷な土地においては特別な日にだけ食べられるご馳走なのだろう。
「良ければ麦酒をどうぞ」
マリーはそう言って、素焼きの小瓶を傾けると、リュードッグの杯に琥珀色の液体を注ぐ。
「やや、これはご造作」
リュードッグは喉を鳴らしながら、杯が満たされるのを待ちきれぬといった様子で見つめる。
「サキも同じものを飲む? それとも葡萄酒が良いかな?」
このあたりでは、十代も後半くらいになると飲酒が許されていた。冬の寒い日は、飲酒をして体を温めるのだ。今は冬ではないとは言え、程度を弁えていれば少々の飲酒を咎める者はいない。
「いや、大丈夫。どうも酒は苦手でね」
「もったいない。この味が分らぬのでは何のために生きているのか分かりませぬぞ」
すでに顔を赤らめ始めているリュードッグが言うのに、村長はもっともだと大きく頷いた。
「おっしゃる通り。この一杯のために生きているようなものですからな。特に夏場ともなれば」
「左様、左様」
悪い大人たちが意気投合するのに、善良な少年少女、いや、善良な少女達は視線を合わせて苦笑しあった。
「そういえば、奥方様の姿が見えませぬが、ご不在かな?」
リュードッグのあけすけな質問を、バドは笑顔のままで受け止めたが、瞳の奥に冷たい色が宿ったように見えた。だが、それも寸時の事である。
「家内はこれが小さい時分に病でなくなりまして。お恥ずかしい話ですが、それ以来男やもめでしてな」
マリーを視線で示しながらそう答える。
「や、そうでござったか。これは失礼いたした」
恐縮した様子でリュードッグが謝罪する。一時、テーブルを沈黙が包んだが、マリーが明るくサキに声をかけた。
「ね、サキ。今までどんなところを旅してきたか教えてくれない?」
サキは心得たとばかりに頷きながら、話し出す。
「ああ、もちろん。どこの話がいいかな? 南方のリガの話をしようか? 大陸随一の港町を擁する一大商業国家。巨大な櫂船や帆船が直接横づけできる整備された港に、世界中の国々の船が所狭しと並んでいて、世界中の人たちが集まってくるんだ。広場には一年中市がたっていて、大抵の欲しいものは手に入る。もちろん、金があれば、だけどね」
「世界中の船が……話には聞いたことがあるけれど、とても信じられないわ」
目を輝かせ身を乗り出すマリー。
「マリーは海を見たことがないのかい?」
「無いよ。私が行ったことがある一番遠くの場所は、隣の村。私が見たことのある一番大きな水たまりは、西の森の泉。海なんて見たことがないし、巨大な船なんて想像もつかない。あ、でも父さんは海を見たことがあるって、前言ってたよね?」
マリーに話を振られて、バドは頷く。
「ああ、若い時分にな」
視線をマリーから客人の方へ移して話を続ける。
「西の大国、プリコまで旅をしたことがありましてな。リガ程ではないと聞きますが、プリコの港町も大きかった。軍船がずらりと並んでいるのを見ました」
「プリコの軍港に隣する港町、ツマシロですな。あの眺めは確かに壮観でござるな。何しろ、海軍は大陸で最も強力と言われておりますからな。十六年前の戦では、隣接するハーケン王国へ援軍へ赴く大陸連合軍の補給基地にもなっていましたな」
「十六年前の戦、お客人も参戦されていましたか」
「左様、この腕はその時の傷でござる」
リュードッグがそう言って、右肩を上げる。存在しない右腕の先を誇示するかのように。
「しかし、一言で言ってあの戦場は地獄でしたなぁ。命の代わりに腕一本で済んだのは寧ろ幸運でござった」
「そうだったのですか……。大公様が出陣されるというので、この村からも当時若かった者が数名ばかり出征しましてな。大公様は自ら
「ほほう、左様か。もしかしたらどこかの野営地ですれ違うくらいのことはしたのかもしれませんな」
その後も大人たちは、少女たちが生まれる直前に起きた戦の話をつづけた。末席に座っていたヨナは初めのうちは大人しくリュードッグとバドの話に耳を傾けていたが、酒が入るにつれて口数が増え、最後には三人でとりとめのない話題で意気投合し始めた。二人の少女たちは三人の酔漢たちに少々閉口した様子で、時折短く言葉をかわした。
そうこうしているうちに、腹はくちくなり小宴はお開きとなって、サキとリュードッグは用意された二階の一室に引き上げた。
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