天穹の双月
すだちなんてん
第一章
プロローグ
かくて鳥籠は閉ざされた
小鳥は詠う
誰が為に月は満つ
春の時代を謳歌して
籠中の安寧に座す鳥が為
小鳥は詠う
誰が為に月は満つ
冬の時代を遠のけて
籠中の小鳥を護る神が為
――――――――――――――――帝政クレサ末期に刻まれた碑文より
大陸歴、530年。冬。
大陸北方の雄、ハーケン王国を突如として魔物の大軍が襲った。
魔物。
混沌を司る魔神によって生み出された異形の生き物で、世界を混沌に陥れる魔性の化身だと云われている。
ハーケンの国境沿いの長城に籠る国境防備の三個軍団は精強を謡われていたが、急襲を受けると僅か半日で潰走した。
無人の荒野を行くかの如く、魔物の軍勢は無防備なハーケン領北部を進軍した。
魔物たちが雲霞の如く押し寄せて過ぎ去った後には、人骨一つ残りはしなかった。
人々は恐怖し、逃げ惑った。
だがその努力もむなしく、多くの者は生きながらにして魔物の餌食となった。
何しろ魔物というものは、そのほとんどが人間に比べてはるかに大きい。
熊よりも小さい魔物を見ることは滅多にない。
大きなものともなると各国の王たちが住まう宮殿よりも巨大であった。
ちっぽけな人の子など、その魔物たちの前では全くの無力であった。
地獄の蓋が開いたのだと、皆が口々に言った。この北方の地において、人間は誰一人生き残れぬものと思われた。
しかし、ハーケンの若き王は王国の全軍を率いて立ち上がった。死力を尽くして魔物たちの侵攻に立ち向かった。
自身が武人でもある若き王が奮戦する姿に、人々は胸に希望を取りもどした。
長く、苦しい戦いが始まった。
北方に暮らす人たちの、生存と尊厳をかけた戦いである。
その戦いの中心にいる王と彼の近衛兵たちは皆、揃いの黄金に輝く鎧に身を包んでいた。
ゴーレム研究とホムンクルス研究の粋を集めて開発された、究極の
外見は、高貴な身分の者が戦場において馬上で用いる全身鎧と似ている。
だが魔動鎧は大きく、兜の天辺から具足の踵までは人の背丈の倍ほどもある。
言うまでもなく、これほどまでに巨大な鎧を通常の鎧と同じように肉体の力のみで動かすことは不可能だ。
その名が示す通り、魔術によって動く鎧なのである。この鎧を操ることができるのは、優れた腕を持つ魔術師だけであった。
魔術師の魔力を吸って躍動する殺戮人形、それがこの鎧の正体だ。
外装として全身を覆う量産型ミスリル銀は普段はただの軽量でもろい金属だが、ひとたび魔力を通せば金剛石よりも強度を持ちながら並みの金属よりも粘り強い素材となる。
装着者とその装甲の間を埋めるように、流体金属が充填されている。この流体金属は、言ってみれば液状のゴーレムで、装着者が身につけた制御結晶と呼ばれる石を通じて命令を受けとると、人間の力を数十倍にも増幅する。これによってこの巨大な鎧を駆動させるのだ。この鎧から繰り出される攻撃は、それがただの拳打であっても魔物の分厚い外皮を突き破って致命傷を与えうる破壊力を秘めている。
この鎧一領で、百体の魔物に対抗しうると云われた。
この魔術仕掛けの鎧を着込んだ
黄金色の魔動鎧を身に纏った王と近衛の装甲魔動機兵たちは、その一騎当千の力をもって敵の大軍に突貫しその前線を蹂躙した。
一方的な戦いだった。
大陸全土を見ても、ハーケンの装甲魔動機兵は随一の練度を誇る。機体の性能も高く、実戦経験も豊富である。なにしろ、この北方の地では幾度となく人類と魔性のものの戦いが繰り返されてきたのだから。
そのハーケン王国の誇る装甲魔動機兵の中でも、近衛軍に所属するものは精鋭中の精鋭である。
彼らにしてみれば、建物よりも巨大な魔物を相手にすることすら赤子の手をひねるよりもたやすい事なのだ。
だが、魔物たちには人間に比べて圧倒的に有利な点があった。
それは尋常ではないほどの数の多さである。
倒しても、倒しても、倒された同族の屍を乗り越え、倒した数に倍する魔物が続々と押し寄せてくるのだ。
王国軍は次第に劣勢となった。
各地で分断され、補給は滞りがちになり、兵たちの顔には疲労の色が浮かんだ。
頼みの綱の装甲魔動機兵も、一人、また一人と戦場に倒れていった。
三か月後、ついには王と彼に従うわずかな兵だけが残された。
もはや逃げることも儘ならなず、彼らは最後の突撃を敢行した。
武人の意地である。
最後の一兵までも戦って死した。
その全員が、雄たけびを上げ一体でも多くの敵を道連れにするために戦った。
ある者は王国の栄光を叫びながら死んでいった。またある者は致命傷を負ってもなお戦い続け、哄笑しながら死んでいった。
戦士たちの血で真紅に染まった雪原を、二つの満月が照らした。
最後に王だけが残された。
彼の死に様がどうであったか、知るものは誰もいない。
ハーケンの若き王の死に遅れること二日。
大陸連合軍の大軍勢がハーケン国境に集結した。
古き盟約に従い聖王が呼びかけ、大陸中の国が参加した大援軍である。
古き盟約。本来の名前が何であったか知っている者がいない程、古くから各国に伝えられる盟約である。
国と国との盟約ではない。
神と人との盟約である。
"秩序の神の子たる人間は団結し、混沌の化身たる魔性の者たちと身命を賭して戦うべし"
盟約の中身はただこれだけである。
この盟約に基づいた人間と混沌の軍勢との戦いが、過去に二度あったと言われていた。
しかし、いづれも神代の時代のことである。口伝だけで残されていた、伝説の中の出来事である。
最古の歴史書が伝える時代以降で、初めてこの盟約に基づいた大陸連合軍が組織された。
公称百万を超える、空前絶後の大軍勢である。
だが、一足違いで遅かった。
彼らが救援すべきハーケンの王国軍はすでに無い。
その事実を知ったとき、連合軍の士気は下がるどころか、むしろ天を突かんばかりとなった。
急増で作られた連合軍は数ばかりは多いが、指揮系統が複雑な上に各国の思惑も加わり士気の高さにもばらつきがあった。
しかし、王国軍の最後の戦いを前に敵の包囲を破って脱出した一人の兵によって伝えられた、王に従って出陣した兵たちのすべてが死地に臨んだという知らせによって、バラバラであった連合軍の意志は統一された。
もし、この大陸連合軍が敗れることがあれば、人類には再戦する余力はない。
これが、人間の存亡を戦いをかけた一戦となる。
各国の指揮官たちはこの時になってはっきりと自分たちがおかれた状況を理解し、戦慄した。陸地の上を歩いていると思っていた足元が、実は薄氷の上であったと知ったようなものだ。腹の探り合いをしている場合ではなかった。
現場の兵士たちは素朴で実直であった。実際に命のやり取りをする彼らにしてみれば、もともと混沌の軍勢を憎む気持ちは指揮官たちよりもはるかに強いのだ。戦場に散った異国の兵たちのために献杯すると、杯の中身を一息にあおり、仇を打つことを口々に誓った。
連合軍が国境から進軍すること十日。
住民が避難した為に、無人の都となったハーケン王都の郊外で、両軍は対峙した。
連合軍は軍勢を二手に分けると、獲物を狙う猛獣のような獰猛さで人類の天敵へと襲い掛かった。
多大な犠牲を払いながらも、連合軍は初戦にて大勝を上げた。
勢いに乗った連合軍は各地に散った巨大な魔物の残党を追い詰め、最後の一体まで狩りつくした。
連合軍の負った損害も決して少なくはなかった。死者だけでも全体の三割にも上った。
だが、それでも彼らは勝った。
生存を勝ち取ったのだ。
この勝利の陰で、一つの事実が明らかとなる。
ハーケンの王国軍が壊滅する数日前、僅かな護衛を連れて王都を脱出した馬車があった。
ハーケン王の子を宿した身重の王妃が乗る馬車である。
この馬車の行方がようとして知れないことが、祝杯を挙げる連合軍兵士たちの心に小さな影を落とした。
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