第5話 セルフ誘拐事件2
建物と建物の間にある細い路地、晴れているにも関わらず夜の東京よりも暗い場所であった。さらには掃除もあまりされていないようで、地面にはところどころにゴミが散乱している。そこに一人の男が倒れていた。焦茶の髪に碧瞳、身長は高く170cmはある。その男は紳士的な服装で、シャツにベスト、バーテンダーを彷彿とさせる服を着た男だった。
ベストの男は「いてて」とうめき声を上げつつ倒れていた体を腕で持ち上げ、周囲をキョロキョロと入念に確認していた。まるでここロンドンを初めて訪れる観光客のように。
ふと大通りの方に目を向けると、ある少女が一瞬目に映る。変わったデザインの服装に、見たことがない装飾品に、変わった靴。この路地から見える範囲のロンドンにおいても、その少女が異質な存在であることがわかる。疑う余地もないほどに。
少女は通路の横からチラリと現れたが束の間、建物によってその姿を再び隠してしまう。
ベストの男はフラフラとまだ並行感覚が取り戻せていないような足取りで慌てて少女を追いかけた。そして建物の近くで体の半分を隠しつつそっと少女を観察した。
一一極めて妙な格好だ。こういう変わった服を着たがるのは決まって貴族の連中だ…だが今まで見てきた貴族らとはまた違った趣向だな。こういうのは初めて見る。それにしても男?…いや、体つきに顔立ち、髪の長さを見るに確実に女性だ…だが、女性があんなズボンを履いているのは珍しいな。
ふとベストの男は自分の足元に違和感を覚えて視線を下げると、ベストの男は落ちている紙束を踏みつけていたことに気がつく。新聞だ。
誰かが読んだ後に捨てたのか、それとも落としたのか。真相は不明だが沢山の人に踏まれた後があり、汚れている。
ベストの男は落ちた新聞を手に取り、汚れを軽く手で払う。すると文字が認識できるようになった。
「どうやら彼女を追うには十分な理由ができたようだ」
そうつぶやくと、徐々に離れていく少女を追うべく細い路地を後にした。
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「つくづく妙だ…なんだあいつら」
ベストの男はしばらくの間、少女と少女の近くにいる屈強な男を観察していた。
(最初は少女の方が貴族で男が使用人かと思ったが、男の方の外見も一介の使用人には見えない。それにあの屈強な使用人を雇う財力があるのに、道端の街頭商人から質の低い食べ物を買うか? 仮に少女の方が使用人で男が雇用主だったとしても、使用人の女性にあれほど高価そうなものを身に付けさせるだろうか? 使用人に高価な服装を着せる程の富裕層であるとすれば、あれほど屈強な見た目なのも不自然だ。奴らは基本見る専門。自分から鍛える必要なんてないし、金でなんでも解決できるからな。どっちも富裕層か…? それならあの少女に使用人を付けないのはおかしい。ロンドンの街で貴族の娘を使用人なしで歩かせるのはリスクが高すぎる。そう考えると男が使用人って考えた方がまだ自然だな。見れば見るほど奇妙な2人だ、おかしすぎる)
少女と隣の屈強な男との関係を推察していると少女はピタリと歩くのを止める。立ち止まり屈強な男と話をしているようだ。
「喧嘩…してるのか? この距離じゃ聞き取れねぇ」
少女と屈強な男は口論しているようで、結果は屈強な男が負けたようだった。
「使用人と喧嘩してんのか? 使用人が雇い主と喧嘩するなんて、あの使用人明日からどうするつもりなんだ」
屈強な男はムスっとした表情をした後、少女に背中を向けて一人で歩いていく。少女を置いて。
「いや、置いてくのか!?」
(いくら喧嘩をしたからってあの少女を一人だけにするとは思ってなかった。あの屈強な男はわかってんのか。ロンドンで若い貴族の少女を一人だけにするってことの意味を)
屈強な男の不可解な行動について考えていると少女の方に動きがあった。なんと少女の近くには薄汚い男が近寄って来ていた。恐らくあの屈強な男がいなくなるタイミングを見計らっていたのだろう。
「まずいな。貧民街の連中にみたいだな」
少女もちょうどその薄汚い男に気がついたようだった。しかし…
「オイオイオイ! いくら貴族のお嬢様だからって世間知らず過ぎるだろ。あんな奴に付いてくか普通!? 絶対騙されてるだろ」
なんと少女は薄汚い男と一緒に付いて行ってしまったのである。周囲を見ると、薄汚い男の進む先には仲間なのか、数人の男が路地の影に待機していた。どうやらあの少女を狙って手を組んだようだった。
(お貴族さまは金持ってるからな最底辺のあいつらからすれば、あの嬢ちゃんはちょうどいいカモだ。奴ら、山で金でも掘り当てた気分だろうな)
「ってそんなこと考えてる場合じゃねぇ。これは僕一人じゃ無理だな。貴重な手がかりを今失う訳にはいかない」
ベストの男は慌てて走った。手がかりがここで消えてしまわないように祈りながら。
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ベストの男は数人のロンドン市警を連れて少女が連れて行かれたはずの路地に入る。狭い路地なため数人が並ぶと入り口が簡単に塞がってしまう。ベストの男はかなりの距離を走ったようで、かなり息が上がっていた。
「ロンドン市警だ!…お前たち何を…やっている?」
連れて来たロンドン市警の一人が声を上げる…が、何故かあまり煮え切らないような言い方であった。 その声に釣られるように疲れから下を向いていた視線を路地の奥へと動かすと、上がっているはずの息を忘れて、情けない声が口からポロリと漏れる。
「へ?」
「え?」
「ふぇ?」
路地の奥からもベストの男とは違った情けない声が2人分聞こえてきた。
そこには誘拐されていたはずの少女と屈強な男が薄汚い男達をボコボコにしているという風変わりな光景が存在していた。
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