第7話 黒鉄と虹 (1)

「デュレイさん! それでは行きましょう! あれ? レアルくん……?」


 ようやくあばら家から出てきたシルリィが、レアルという名の青年の存在に気付いたようだ。


 ただ、自分はさん呼びなのに対し、この青年はくん呼びなのが解せぬ。これを嫉妬というのだろうか。生憎、前世で大した恋愛というものをしていないせいで、知識としては知っているが、それがどういった感情なのかわからない。


「君の名前ぇ、シルリィっていうんだね。呪いちゃん」


 レアルがシルリィの方に近づいて、きっといつものように会話しようとする。その距離が近づくたびに胸の奥の何かが締め付けられる。


「うん、デュレイさんとお互いの名前を付け合ったの」


 シルリィの笑顔が癒しとなって締め付けられる謎の間隔は和らいだ。本当にシルリィは可愛くていい子だなぁ。


「呪いちゃんは今、幸せぇ?」

「うん! 幸せだよ」


 シルリィという名前があるのにも関わらず、呪いちゃんと呼び続けるレアルに不信感を抱いていた。それほど自分が付けた名前が気に食わないか?


「それはデュレイのお陰ぇ?」

「もちろん!」


 あああああああ! なんと嬉しいことを言ってくれるんだ。やっぱり最初にシルリィを信じて告白して良かった。現実世界じゃ味わえない幸せをここで目一杯体験しなくては、せっかく神様がくれたチャンスを無下にすることになる。



「じゃあその幸せ、壊すね。だって呪いちゃんは不幸でなきゃ!」



「は?」


 シルリィが返事をする前に先に自分が声を出してしまった。シルリィとレアルが話している最中に割り込むのは、本当は良くないことだと頭では理解している。理解しているが、どうしても我慢できなかった。子供みたいだな。はは。


「レアルくん……?」


 シルリィがレアルから離れる。

 シルリィの様子から見るに、今までレアルはこんな態度をとったことが無いのだろう。それが、自分という部外者が来て本性が現れたということだ。


「呪いちゃんは幸せになったらダメなんだよ、わかる?」


「理由はあるのか」


 何事も理由なしにはやってられない、そんな真っ当な人間なつもりだった。それが面倒臭い性格で嫌がられたことが何度かあったが、今は嫌われてもいい相手だ。どうでもいい。


「当ったり前でしょぉ! 魔導書を読んだ餓鬼なんて、長く、長く苦しんで死ぬべきなのに、なぁに幸せになってんの⁉ ダメでしょぉ、ね?」


 自分の中で一つのワードが引っかかった。どこかで聞いたような単語、ああ、そういえばあの騎士も似たようなことを言っていたな。


「通報したのは君か」


 疑問形ではなく、断言するような形での発言。もうここまで来たら言い逃れも何もないだろう。


「そうだよ、何か嫌な予感がしたんだもぉん。呪いちゃん一人なら軽く食事しておしまいだったのにさぁ。知らないデュラハンが出しゃばって倒しちゃうんだもぉん」


 ああ、なんだ。この感情は。最初から怪しいとは思っていたが、今やここまで悪役に見えてしまうと感情の高ぶりが抑えられない。苛立ち? 憎さ? 今すぐぶっ飛ばしてやりたい。


 前世とは違って、自分には力がある。自分を縛る法も無ければ、罪悪感も消え失せ、取り戻すことすらできない。


 前世とは違って、自分には護るべき大切な人がいる。主人公になれなくたって、彼女さえ護れたら、彼女にとってモブキャラでも良いとまで思えてきた。


 これを自暴自棄と言うか、腐った偽善と呼ぶか。


「……レアル」


「ん? デュラハンさん、どうしたのぉ?」


 多少威嚇するつもりで放った声は、呆気なく気味の悪い笑顔で返された。


 感情に身を任せてしまうのは良くないことだと知っている。でも今の自分じゃ、どうにもできる気がしない。というか、もうできていない。


 木々が風で揺れる。追い風だった。


 追い風が吹いた途端、とでも言ったらいいだろうか。大体そのようなタイミングでレアルの顔が引きつった。今までコイツがこんな顔をしたことはない。少なくとも、自分の前では。


「あ、ははは……」


 その笑いは、先ほどまでの妙にねっとりとした気味悪さを持つような笑いでは無かった。何か怒らせてはいけないものを怒らしたときに思わず出てしまう笑いのようだった。


 自分はその場の誰よりも遅く後ろを振り向いた。





 振り向かなければ良かった。幻想に浸っていられたのに。


 前世に居た、弱い自分はきっとそう思う。


 誰にも愛情というものを抱かず、ハッキリとした人間にもなれなかった自分ならきっと。



「周りと違う自分はいつまでも中途半端だ」



 そう思って生きていたあの頃なら絶対に後悔している。


 でも今は、その中途半端をやり通しても、誰にも文句は言われない。そもそも気づいていないだけかもしれないが、それだけでも十分だった。あんな騒音だらけの世界で大切なものなど一つも見つけられなかった。


 この世界に来たのは偶然じゃない、奇跡でもない。必然だと言える瞬間が、今ここで。





「レアルくん……貴方がそんな人だとは思わなかったの」


 そこには自分の知らない姿のシルリィがいた。


 本来の人喰いとはこういうものか、一言で言うと化け物だった。しかしそれを口にすることはない。その姿も含めてシルリィに惚れてしまっているからだ。そして、同時に性的興奮も覚えてしまった。


 目に見える皮膚の部分は深淵でも覗いたかのような黒、それがうねってそれぞれが動いている。顔があった部分はひときわ大きくなって、目と鼻は無く、そこに大きな口だけがあった。見せつけるかのように大きく口をあけ、上の歯からぼたっと唾液が下の歯へ落ちていった。でろん、と大きな舌が露わになる。


 怖気づいたレアルを見て、滑稽だと思ってしまった。


「お腹……空いたなぁ」


「ま、待ってよ。僕を食べるなんてことしないよね⁉ だって僕は君の事をこのデュラハンよりも先に救ってあげたんだよ⁉ なのに、食べるなんてことは……しないよね?」


 この男はまず口をもぎ取らなければ。


「しないよ、だってレアルくんだもの」


「だ、だよね。もう、冗談はよして……」


「先っぽだけ残してあげる」








「ぇ?」

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