お前の名前を呼んでみたい
『花散らしの雨だなあ』
窓の外を見て千歳(黒い一反木綿のすがた)がぼやく。やっと桜が咲いてきたのに、天候は容赦ない。
「お花見、出来るかねえ」
『土曜なら雨振らないらしいんだけどな』
「曇りでも、桜見ながら外でお昼食べたいな」
千歳と花見というだけで、俺はなんとなく心が浮き立ってしまう。雨さえ降らなければ、ベストコンディションの桜じゃなくても行きたい。
『じゃ、とりあえず土曜は昼に弁当作るな』
千歳は笑った。それから、なぜか真剣な顔で俺を見て、なにか口を動かした。
『……うーん、だめか……』
「ん? 何がダメ? 土曜日のお花見、まずい?」
『いや、花見じゃないんだ。ちょっと……昨日からうまく行かないことがあって……』
千歳はうつむいてうなり、それからまた俺を見た。
『お前さあ、人の唇読んで、何言ってるか分かるか?』
「へ?」
読唇術ってこと?
「いや、読唇術の心得はないな……どうしたの?」
『あのさ、ダメ元で、ワシの唇読んでみてくれないか? はっきりゆっくり言うから』
「え、うん……」
千歳の口を見る。千歳の口は大きくゆっくり動き、何かを言った。声は聞こえないけど。
うーん、母音だけなら、わからなくもないかな? 最初は【い】、次は【う】、最後はまた【い】?
「えーと、母音だけなら、なんか「いうい」って言ってるのは分かるんだけど……」
『うーん、それなら、口はちゃんと動いてるんだよなあ……』
千歳は考えに沈んでしまった。一体、何なんだろう?
「何か、唇でしか言えない言葉があるの?」
千歳は一応怨霊だし、霊能力関係の呪文とか?
『うーん……その……そういうわけじゃないんだが……』
千歳は困った顔をし、それから言った。
『えっと、言おうとしても言えない言葉があるんだ。で、独り言なら言えるんだけど、なんか……独り言じゃなくなると、言えなくなるんだ』
「ど、どういう言葉?」
なんかやばい呪文?
『呪文じゃない、普通の言葉だ』
「どんな言葉……あ、言えないのか」
バカな質問しちゃったな。
けれど、千歳はきちんとした回答をくれた。
『お前の名前が言えない』
「へ?」
「独り言とか、お前の方向を向いてないときなら、お前の名前言えるんだ。でも、お前を呼ぼうとして言うと、声が出なくて言えないんだ」
「へ?」
ど、どういうこと?
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