セカンドシーズン
二人でレジに並びたい
朝起きて、日課となってきたラジオ体操第一をしようとしたら、ふだん付き合って一緒にラジオ体操してくれる怨霊(黒い一反木綿のすがた)(命名:千歳)に止められた。
『ちょっと待て、今日はちょっと体力を取っておけ』
「何? どうしたの?」
『お前、今日、九時前から一時間くらいヒマか?』
「うーん、ヒマといえばヒマだけど……仕事は全部クライアントからの連絡待ちで、日曜だから多分誰からも来ないし……どうしたの?」
本当は、土日も働くクライアントはそこそこいて、休日でもたまにポコっと連絡がくる。なので、なんとなく気が抜けないけれど、人間ずっと気を張ると壊れるとブラック企業勤めで思い知っている。本当は日曜くらい、連絡なんて無視して気を抜くべきなのだ。
千歳は言った。
『今日は卵が一人一パックまで安い。醤油と味噌も一人一つまで安い』
「ああ、スーパーの安売りか」
『ラジオ体操の体力分で来られるか?』
俺は考えた。今日は低気圧ではないし、この所、俺の体力的に無理なスケジュールの仕事はなくて根を詰めてもいないし、昨夜はあまり悪夢を見ず眠れたしで、調子は悪くない。そろそろ梅雨に入ってもおかしくないし、そうすると、度重なる低気圧で動けないことが多くなる。それがなくても雨の外出はおっくうだし、いろんな意味で外に出なくなるだろう。今日くらいは外に出て歩かないと、真の引きこもりが誕生かもしれない。
「行くよ」
『お、大丈夫か?』
「重そうだし、荷物多少持つよ」
『いいのか! 手が二つじゃ足りないかもしれんと思ってたんだ』
千歳は喜んだ。こういう時に、全部持つと言えない自分の体力のなさが恨めしい。考えてもどうにもならないことだが。ていうか、千歳、二つの手じゃ足りなかったら、三つとか四つに増やす気だったのか?
朝食を食べて、千歳(女子中学生のすがた)と九時前に家を出る。休日で安売りの日とあって、なかなか混んでいた。目当ての卵その他はちゃんとかごに入れられたし、普段の食材も合わせて買ったので、そこそこの量になった。エコバックに入り切りそうになかったので、ビニール袋ももらって、千歳と荷物を分けていたら、後ろから声をかけられた。
「あれ、千歳ちゃん、今日はお兄さんと一緒?」
振り向くと、買い物客と思しきおばさんがいた。
『今日はお一人様一点限りが多かったからな!』
「買えた?」
『買えたぞ!』
どうも知り合いらしい。おばさんはこちらに目線を向け、頭を下げた。
「どうも、星野といいます。千歳ちゃんとはよくここで会いまして」
「あ、こんにちは、和泉と申します……ええと」
この人の中では、どうも俺と千歳は兄妹か何かになっているらしい。いや、千歳に病院に付き添ってもらった時、俺がそういうことにしたから、千歳も俺との関係をそういうことにして全然おかしくないのだが、格好をホイホイ変えられる千歳なので、整合性をとるのが難しいというか……。
「千歳ちゃんから聞いてますよ、ライターさんなんですって?」
「はあ、なんとかそれでやっています」
『今日は調子よさそうだから連れてこられたんだ!』
「よかったねえ、千歳ちゃん。いつもお兄さんのためにがんばってるもんねえ」
千歳はなぜか、えらそうにした。
『もう大変だぞ。カレールーで作るカレーがダメだし、揚げ物もやめたほうがいいし、ちょくちょく揉んでやらないといけないし、それでもダメな時はダメだし、体力なくて長い時間働けないからなかなか稼げないし』
まったくもって真実で何も否定できないのだが、千歳は外で俺のことをどれだけ話してるんだ。あんまり詳細に話されてると、精神的にきついんだが。
「こないだのスパイスカレー、うまくできた?」
『できた!』
「よかったねえ」
おばさんは千歳に慈愛の目を向けていたが、またこちらに視線を移動させた。
「いろいろ大変みたいですが、千歳ちゃんもいるし、がんばってくださいね」
「は、はい、ありがとうございます」
「二人でもなんとかできなかったら、市役所とか、行政にちゃんと相談してくださいね」
「は、はい……」
少なくとも、経済的に厳しいことはばっちりバレている。俺、自立支援医療制度知ってて使ってる時点で、行政に頼ることをけっこう知ってる方だと思うけど、また改めて、何か使える制度がないか調べてみようか……。
「じゃあ、千歳ちゃん、またね。今度またレシピ教えてね」
『探しとくぞ!』
星野さんは千歳に手を振り、スーパーの人混みに紛れていった。俺は千歳に聞いた。
「あの星野さんと仲いいの?」
『仲いいって、どんな感じだ?』
「いや、その……うーん、どうやって知り合ったの?」
ちょくちょくスーパーに買い物に来てる中学生は、割と目立つかもしれない。あの星野さん以外にも、千歳は注目されているんだろうか。
『ええと、入浴剤のある場所聞いたのが確か初めてだったぞ。その時はここでパートしてるって言ってた』
「ああ、なるほど」
『介護と両立できないからやめるけど、買い物はずっとここだって』
「介護か。大変だな」
両親の歳が頭をよぎった。共に五十代、嫌になるくらい精力的に活動している二人だが、いつかは介護を必要とする年になる。もう、できるだけ関わりたくないが、そういうわけにもいかないんだろうか。俺はため息をついた。
『疲れたか? 少し休んでいくか? あっちにベンチあるぞ』
「あ、いや、今のは全然違う、大丈夫。普通に帰れるし、荷物も持てるよ。帰ったらゴロゴロしてると思うけど」
『じゃあ、とっとと袋詰めして帰るか』
うまく袋ごとの品物を分けて、重い荷物はなるべく俺が引き受けようとしたが、千歳に感づかれて袋を交換されてしまった。
『手が足りないとは言ったが、重いもの全部持てとは言っとらんぞ』
「ごめん、ありがとう」
軽い方の荷物をぶら下げて、二人でアパートまで帰った。一休みしてから市役所のホームページをいろいろ調べたが、めぼしい制度は見当たらなかった。千歳が未成年で、俺の家族だったら、また話は違ったのかもしれないと思って千歳を見たが、千歳はレシピを探して、タブレットとにらめっこしているだけだった。
『麻薬卵って、危ない卵なのか!?』
「至って合法だよ……」
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