第44話

 毎週水曜日の物語の隣には、毎週金曜日の英雄譚がある。だけれども僕は、その英雄譚を語ってこなかった。だから僕は、ちょっとだけ時系列を戻して、重なった物語を説明しなければならない。


 これはまだ僕が、適当に校内をぶらついていた時のことだ。六条さんと会うのは水曜日だけだったし、それ以外の日は暇をしていたのだ。

 そのころには、僕は一人で闊歩するようになった。特段ボッチであることを気にするたちではないのだが、ここ最近のことを思うと、ちょっとは感じるところのものがないわけではない。


 僕は階段に差し掛かった。上の方から大きな音がしたから、誰か人が下りてくるのだろうか、手すりのある内側、インコースは視界が悪くて正面衝突しやすいし、階段の真ん中に陣取ってどちら側ですれ違おうか見極めようとした。

 だがその人は、ちょうど階段の真ん中で降りてきた。大きな荷物を抱えていたからだろう。横幅の広い荷物で、たしか段ボールに入っていた。電子ピアノでも入っていたのだろうか。

 荷物で隠れていたから、僕はその人の顔を見ることはできなかった。見ようともしなかった。ただ、足元が見えなさそうなので、危ないなぁと思っていた。

 悪い予感ほど的中する。

 その人は、段の縁にでも躓いてしまったのだろうか、よろけてしまった。荷物が崩れ、僕に降りかかろうとしている。

 その人と、その荷物。その両方が落ちてくるはずだと、予想できたはずだ。普通の思考なら、人間を優先して助けるだろう。だが僕は、やけに大きなダンボールが気になっていたのもあるし、機械が入っているものだと勝手に思っていたから、それが落っこちた時の損害を甚大なものだと考えた。

 だから、荷物の方を、優先して受け止めた。

 まだ一段目に足をかけただけだったから、足を踏ん張ることができた。何とか全部の荷物を受け止めた。

 そのあとに、ちょっと何かとぶつかった感触があったのだ。それは荷物を運んでいた人、市谷 葵先輩が、勢い余ってこつんと僕と大荷物にぶつかったせいだった。

 僕はしばらく視界のすべてがダンボールだったが、市谷先輩がひょいっとそれを取り上げたので、やっと市谷先輩の顔を見ることができた。

 こんな人がいたっけ、と驚いた。見惚れるほどだった。

「ありがとう!」

 と言われた。たいていの日本人のように謝罪するのではなく、まず感謝された。

「いえいえ。それにしても大きなダンボールですね。何が入っているのですか?」

「ああ、使われなくなった備品だよ。空き教室を整理していたらさ、もうなくなっちゃった部活の置き土産がい~っぱいあったんだよ~!」

 なぜか嬉しそうに言っていた。

「まだ使えるものなんですか? 放置されていたのでしたら、使い物にならなくなっていたりとかしませんか」

「それがね~、ちゃんと動いたんだよ! 箱を開けてみたらさ、新品みたいにピカピカなままなんだよ! きっと大切なものだったんだね。きれいに掃除して、大事にしまっておいたんだよ。そんなに大切にされていたものならさ、また誰かに使ってほしいじゃん! だから倉庫に運ぶところだったんだ~」

 やけにハイテンションな人だ。

「あ、そうだ! きみ、見たところ暇なんでしょ? ちょっと手伝ってよ。一人だとなかなか終わりそうにないからさ」

「え、いや、その…。」

「ヒマ、なんでしょ?」

「は、はい…。」

 押し切られてしまった。まさにノーと言えない日本人である。


 なぜ一人で整理していたのかと聞く中で、やっと市谷先輩が「市谷 葵」という名を持つことと、生徒会長であることを知った。僕が全く市谷先輩のことを知らなかったと告げると、入学式で挨拶してあげたはずなんだけどな~っとちょっと拗ねた感じだった。

「全校生徒を把握したいんだけどね~。さすがに新入生のことはまだわからないことも多いっていうか」

「全校生徒って、何百人もいるんですよ? どうしてそんなこと…。」

「誰かの上に立つ人はね、みんなのことを気にかけなきゃいけないの。誰が言ったっけ? 『君主は第一の下僕』って」

「フリードリヒ2世の『反マキャベリ論』ですね」

「そう! それ。結構大変なんだよ~」

 末端まで気に掛けるという意味では、むしろナポレオンの方が近いようだが。

「せっかくだし、きみのことをメモしておこう! えーっと…。」

「津田涼蔭です」

「ほうほう。メモメモ」

 市谷先輩は、ノートに僕のことを書き留めた。ノートに自分の名前を書き留められるというのは、なんとなく『デスノート』を連想してしまう。そうでなくとも、名前を記録されるということは、どこか権力に通じるものがある。僕という存在自体を、市谷先輩に一気に掌握されている。そう感じてしまった。



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