帰宅部員は眠らない

閣下の牛乳

第1話

「『家』とは、メディアである。


 そう聞くと、何を言っているんだこいつ、と困惑するのも無理はないと思う。しかしそれは、あなたが建築物としての家を想定しているからだ。

 僕は『家』を、家庭とか帰る場所とか、そういう何か安らぐ場所としての概念だと定義したい。

 すると世の中には、建築物としての家ではあっても、『家』としてろくに機能していないものもある。例えば家に帰ったとき、安らぐことも、満たされることもない。ともすれば外にいるときの方が充実している。そんな状態であろう。

 詩的に表現するならば、『ただいま、と言えないとき』だ。

 それはなぜか。

 家を愛し、家に愛され、登校するときなど泣いて引き留められる(気がする)ほどお家が好きな僕から言わせてもらえば、それは家で交流がないからだ。

 交流。

 つまりメディアだ。

 例えば家族との対話。例えばテレビや新聞。そういったものがあって他者とつながりを持てないとき、人は不安感を覚えるものだ。

 たとえ自分を孤独で孤高な人間だと自負する人間さえ例外ではない。彼らがスマートフォンやパソコンを手放したためしがない。実際のところ、現実世界での対面式コミュニケーションに失敗した人間が、自分でも利用可能な交流の場を探し求めた結果が、自称『孤独な人間』の生態なのである。

 かつては書物に逃げ込んだ人間が、今ではインターネットに逃げ込んでいる。それが現代の見せかけの孤独の正体である。

 その意味では、人はパソコンやテレビや本棚に帰っているともいえる。逆に、それらがないばかりか、良好な関係を持つ同居人すらいないとき、その家は『家』でなくなる。


 話が長くなったが、以上が『家』をメディアだと宣言した理由である。よって帰宅行為と快適な住環境、インターネットとメディアの関係について高校三年間をかけて考察する行為は、非常に有意義なものと考える。

 よってここに、『帰宅部』の創設を願い出るものである。


                   四年七組  津田つだ 涼蔭りょういん     」


 …。


「どうかな」

「先輩らしく見事にひねくれてていいと思うっす!」

 僕の後輩、大宮おおみや 紫音しおんは、そうやって褒めているのか貶しているのかわからないことを言った。

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