5
そんな道を歩き続けていると突然、視界は開け大きな屋敷が姿を現した。
「ようこそ。夜条院家へ」
森の中に身を隠すようにひっそりと。だがそれでいて建物は大きく、堂々たる姿でそれはそこに建っていた。程よい劣化により深みは更に増し、どれだけの年月この場所で世界の流れを見たのか、そう感じさせる建物だった。
そして二人は慧と清竜の後に続きその屋敷の中へと入っていく。引き戸の閉まる音が鳴り止むと無人のように森閑とした屋敷が二人を出迎えた。
「こっちへどうぞ」
靴を脱ぎ屋敷へ上がると廊下を進んで幾つかの障子を通り過ぎ、ある部屋の前でその足は止まった。
「御爺様。慧です。只今戻りました」
「うむ。入れ」
「失礼いたします」
「失礼いたします」
先に慧が入り、続いた清竜もこれまでの印象を覆すかのように丁寧なお辞儀と言葉遣いで入室した。その後に続いたユーシスとテラ。
中では白く立派な髭を蓄え胡坐を掻いた小柄な老人と一本の線を引いたような姿勢の正座で座る背まで伸びた艶やかな髪の女性が四つ足の付いた盤を挟み座っていた。どちらも和服に身を包み、間にある十と十の盤上では二十四の兵士のような形を模した駒が戦術的に配置されていた。
老人は盤上を見つめながら慧らへ人差し指を立てて見せた。
「少し待ってくれ」
返事は無く指がそっと下りていくと、外で吹く風や木々の囁きすら聞こえてきそうな衣擦れすら拒む静寂がその場を満たした。ユーシスやテラはおろか誰一人として動くことなくただただその瞬間を待ち続ける。
そして石像のように盤上を見つめ動かなかった老人の手が上がり始めると、何の迷いもなく一つの駒を手に取り次の一手を打った。
「――流石です。御爺様」
「良い勝負じゃった」
「はい。ありがとうございました」
互いに頭を下げ合うと、女性は静かに立ち上がり盤を片付け始めた。
一方で老人の顔は二人を見遣る。
「待たせたな。――慧」
「はい」
その声に慧は座布団を二つ、老人の前へ並べた。
「まぁ座ってくれ」
言葉の後に髭に触れた手が緩徐にひと撫で。それから二人は言われた通り座布団に腰を下ろした。
「このお方は夜条院家の現当主、夜条院重國。我々の祖父に当たります」
「一度は退いた身じゃが色々と事情があっての」
「そしてあっちに座ってるのは僕らの姉であり次期当主でもある夜条院緋月」
慧の手が指した反対側に座る女性へ二人が顔を向けると、緋月は莞爾とした笑みで会釈をひとつ。
「御爺様。こちらはユーシスさん。ウェアウルフです。そしてお隣の方は、テラ・リージェスさんです」
「ほぅ」
重國はそう呟くと髭を撫でながら目の前の現実を再確認するような視線を向けた。
「兎に角まずは、わざわざこのような場所まで来てもらった事への礼を言おう」
「必要ない。こっちもお前らに用があったからな」
「吸血鬼。そうじゃろう?」
説明をするまでも無くその名を口にされユーシスの眉が微かに動く。
「それはお前らの用と関係あるのか?」
「とある魔女が儂ら一族にこう言った」
その質問に答えながら重國はその用について話し始めた。
「いずれウェアウルフの生き残りがこの夜条院へ尋ねて来る。その者と協力し最後の吸血鬼を滅ぼせ――とな」
「なら話は早い」
「じゃが」
ユーシスの続く言葉を押さえ付けるように重國の少し大きな声は響いた。
「いくら魔女が先代と共に大戦を戦ったとは言え、ウェアウルフはノワフィレイナ王国の中心的種族。吸血鬼を裏切り儂ら側につくなどそう易々とは信じられまい」
「俺はアイツらとは関係ない。そこで育っても無ければ他のウェアウルフとも違う。俺はただウェアウルフと言うだけだ。それ以外でアイツらとの繋がりはない」
「儂は言葉より行動を信じる質での。なら、ひとつ頼まれてくれぬか?」
「面倒はごめんだ」
慧、重國は僅かな間を空けそう名前を呼んだ。
「現在、ウェルゼンではとある事件が話題を呼んでいます。良いモノではないのが残念ですが、それは連続殺人事件です。被害者は男女問わず深夜から未明の間に殺され、早朝にバラバラの状態で発見されます。これまで十人の被害者が発見されましたが例外はありません。ジャック・ザ・リッパー。多くのメディアは彼をそう呼んでいます」
「そいつを捕まえるのに手を貸せってか?」
「その通りじゃ」
「昨夜、我々はこのジャックを捕えようとしたのですが、最終的には逃げられてしまいました」
するとユーシスはやや険しい顔でこの場に居る夜条院家の人間を流れるように一瞥していった。
「ほんとにお前らが吸血鬼をやるのに役立つのか? そんな奴にすら歯が立たないお前らが」
「んだと?」
「落ち着け清竜」
明らかに苛立ちに染まった声と表情を浮かべ清竜は正座からいつでも動き出せるよう片膝を着いた。だが透かさず飛んで来た重國の声に清竜は、分かり易く感情を押し殺し正座へと戻った。
「まだ確定した訳ではありませんが、恐らくジャックは人間ではないでしょう。あの大戦以降、人間以外の種族は著しく数を減らしました。絶滅した種族も少なくないでしょう」
「人間の中であの大戦は消えつつある。政府もそれを望んでいるんじゃろう。あの大戦を振り返るような記録は一切、人目には触れておらん。同時に人間以外の種族の存在も消えつつある。いずれ人間は、あの大戦を神話や都市伝説だと信じこの世界には自分達の種族だけしか存在しないと思い込むだろう。だがこの夜条院家は今でも尚、人間に危険を及ぼす他種族の対抗手段となっている。あの大戦だけではない。ずっと儂らは戦い続けているのじゃ」
重國は威圧感すら感じさせる双眸で真っすぐとユーシスを見つめた。
「仮にお主と協力して吸血鬼とやり合う時が来たのなら。――安心しろ。足手纏いにはならん」
目を合わせているだけにも関わらずまるで重力が増強されたような感覚にユーシスの額へ僅かに溢れる冷や汗。
「とんだジジイだ」
「ふっ。今じゃただの老い耄れよ。――さて。どうする? ウェアウルフ」
すぐには答えずユーシスは、横目でテラを一瞥すると視線を重國へと向けながら少しだけ思考を巡らせた。
「いいだろう。その代わり、俺が出ている間、テラの安全は保障してもらう」
「うむ。夜条院家の名誉に賭けてお嬢さんの安全は約束しよう」
「ならいい」
「ウェアウルフの力を存分に発揮してくれ。――慧。後は頼んだぞ」
「はい」
慧はハッキリとした声で返事をし立ち上がった。
「ではこっちへどうぞ」
ユーシスとテラへそう言い、慧は障子を手で指す。そして彼に続き立ち上がった二人は、更にその後を追い部屋を後にし、そのまま別の部屋へと案内された。
そこは侘び寂び的な和室で物は無かったが、空間全体が安らぎと温かみを帯びていた。
「どうぞ座って」
そう言いながら慧は座布団を並べ、二人は彼と向かい合って座った。
「さて、早速ジャックの話を。さっきも言った通り被害者は総じてバラバラな状態で発見されるんだけど、そこに統一性はないんだよね。五体を分けるように切られている事もあればもっと細かくも。でもその断面はどれも恐ろしく綺麗だとか。しかし何かの機械などを使用した形跡はなく、これだけ凹凸一つなく人体をこれだけ完璧に切断する事は不可能と警察側は言ってましたね」
「そんな事はどうでもいい。それよりどうやって捕まえるつもりだ?」
「正直に言うと問題はそこなんだよ。ジャックは神出鬼没。連続で殺人を行う時もあれば数週間、現れない事も。規則性があるとすれば、必ず深夜から未明の内に行われ被害者は十代から三十代、程度は違えどバラバラにされた状態で発見される事ぐらいだね」
「でも昨日は捕まえられそうだったんですよね?」
「ここ最近、知事との話し合いでジャックの活動時間は外出の禁止になったからその間、僕らはパトロールをしてたんだよね。その甲斐あって姿を確認出来たけど、結局は追いつけずに見失っちゃってさ」
肩をすくめ慧は溜息を零した。
「だからそうだね。やっぱり街へ出て探すしかないだろうね」
「でも一度追われて危険って分かったのなら他の街へ行ったりとか暫くは身を顰めるとかしませんか?」
「これはまだ僕の直感的な部分なんだけど昨日ジャックを追っている時、彼が楽しんでるように感じたんだ。恐らく人間には捕まらないっていう自信があるのか、もしくは危険そのものすらも殺人と同じただの刺激として楽しんでるか。だから僕は止めるまで止めないと思ってる」
「より危険になったからこそまたやるってか?」
「そう。僕らに追われた事でより強い刺激を感じ、それをもっと味わおうとするはず。まぁ何の根拠もないけどね」
「俺にもそのパトロールってやつに参加しろと?」
パチン、慧は指を弾いて心地好い音を鳴らしそのままユーシスを指差した。
「そう言う事。その間、テラちゃんはこの屋敷で安全に待っててもらうから安心して」
「今夜だな?」
「今夜。十一時前にこの屋敷に来てくれればいいよ。それまでは折角来たんだからウェルゼンの街を楽しんでね。美味しい物とか広場ではショーをしてる人もいるし」
「わぁー! 面白そう! ねぇユーシス。行こうよ」
テラは陽光に煌々とする海のように輝かせた双眸でユーシスを見つめた。返事は無かったがそれに答えユーシスは立ち上がった。
「それじゃあ今夜よろしく。ここまでの道は大丈夫だよね? そんなに複雑じゃないし」
「大丈夫ですよ。帰巣本能ですから」
「まぁ大丈夫ならいいね」
そう返しながらも小首を傾げる慧。
そしてユーシスとテラは屋敷を後にするとウェルゼンへと戻って行った。
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