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しかしそのまま意識を失ってしまう前にヴィクトニルの手が喉元から離れ雪へと落ちたユーシスは、慌ただしく呼吸と咳を繰り返していた。
「具体的な助言などない。これはただお前が感覚を掴むかしないからな。力――それは奥底から煮え滾るような獰猛な力だ。その力を引き出す。力とは所詮暴力だ。脅威を壊す、単なる暴力。その本質は変わらない」
ユーシスを見下ろしながらヴィクトニルは続けた。
「そしてウェアウルフは戦いの中でそれを身に着ける。指導の役割は久しいな。だが安心しろ。殺しはしない」
返事は聞かず、ヴィクトニルは地を蹴ると一瞬にしてユーシスの眼前へ。握った拳が防御など構わず振り下ろされ、鮮血が白紙の積雪を染めた。足跡一つない真っ新な雪へ盛大に突撃し荒らすユーシスの体。
だがそれ以上の追撃は無く、ヴィクトニルはユーシスが立ち上がるのをその場に佇み待った。その双眸に見下ろされながら最早、感覚すら鈍り始め酷く冷え切った手を躊躇なく積雪へ突っ込ませ立ち上がるユーシス。今度はヴィクトニルよりも先に動き出し先制。しかしユーシスのどの打撃も彼に対しダメージを与える事は叶わず、それどころか赤子の手を捻るかのように容易に防がれた。そして最後はその全てを無視し伸びた手がユーシスの顔面を鷲掴みにすると隕石の如く体はクッション代わりの雪へ。
それからも吹雪の中、戦いというにはあまりにも一方的でヴィクトニルが言った通り指導のような戦闘は続いた。ユーシスは何度その手に殴られその足に蹴り飛ばされたか分からなかったが、ヴィクトニルは片膝どころかよろける事すらなかった。
雪上では異物のように目立つ血を滴らせ這い蹲るユーシス。そんな彼へ近づく雪を踏み固める音は、すぐ傍で止まった。
「やはりそう簡単にはいかないな」
そう言いながらその場でしゃがんだヴィクトニルの姿は人間へと戻っていた。
「――お前にウェアウルフの血が流れてる以上、この力はそこにある」
ヴィクトニルは言葉と共に自分の胸を指差した。
「求めるだけでは意味が無い。無理矢理にでも引き出せ。だが力には呑まれるな。常に理性を保ち、呼吸をするように操れ」
それだけを言うと背を向け小屋へと歩き出した。そんな彼とすれ違いユーシスへと駆け寄るテラ。
それから暫くしてユーシスとテラは、板の打ち付けられた窓を背に椅子へ腰掛け遅めの夕食を食べていた。その前でヴィクトニルは相変わらずの葉巻と酒瓶。
「お前は吸血鬼を倒そうとしてるのか?」
ヴィクトニルの突然の問いかけにユーシスは一度、食べる手を止めた。
「あいつらに興味はない。だがテラを守る為に必要なら考えるまでもない」
「未だ力の一部を失ってるとは言え、その力は強力だ。半端なお前が太刀打ちできない程にはな」
「じゃあ、ヴィクトニルさんが力を貸してくれるっていうのは――」
テラ自身、断られる可能性が高いと分かっていたのだろう。その声はどこか及び腰になり言葉は最後まで言い切られなかった。
「儂はかつてノワフィレイナで吸血鬼と共に生きていたんだぞ? やると思うか?」
若干の笑いを零しながらヴィクトニルは横目をテラへやった。
「そうですよね。すみません」
その目を避けるように顔を食事へ落とすテラ。
「長年に渡り吸血鬼とは協力関係にあった訳だが――正直に言えば吸血鬼はどうも好かん。オーディルという男は特にな。だから吸血鬼が滅ぼうと構わん。が、やる理由がない。お前らに協力してやる理由がな。これはあくまでもあの魔女との取引だ」
「でも、ユーシスはウェアウルフですよ? 同じ一族じゃないですか。それだけで十分なんじゃないんですか? だってさっき一族には無償の愛があるって言ってましたし」
言葉に導かれるようにヴィクトニルの双眸は隣のユーシスへと向けられた。だがすぐにその視線は正面へと戻る。
「一族の中で生まれ育った訳でもなく、関係も無い。ただウェアウルフの血が流れてるだけの未熟者を一族と呼ぶのならそうだな」
テラはそう言われ思わず隣へと顔を向けるが、当の本人であるユーシスは気にすら留めず料理を口にしていた。
すると、葉巻を暖炉へ投げ捨てたヴィクトニルは酒瓶を手に立ち上がると傍の部屋を指差した。
「そこを使え」
そしてそれだけを言い残すと自分はもう一つの部屋へ。パチパチという暖炉の弾ける音、食事と話し声が暫くの間そこには響いた。
翌日。早朝。ユーシスは放り投げられたザックに叩き起こされた。体を起こしドアの方へ目を向けると、そこにはヴィクトニルの姿が。
「これ以上お前に教えることも無い。さっさと出て行け」
それだけを言い残すとヴィクトニルはドアを開きっ放しのまま部屋を後にした。すると消えたその姿を見続けていたユーシスの隣で寝ぼけ眼を擦りながらテラが起き上がった。
「……ん? どうしたの?」
「さぁな。だが、もう行こう」
ユーシスはそう言いザックを見せた。
「え? 急にどうしたの?」
「それがお望みらしい」
それから小首を傾げながらも言う通りに装備を整えたテラはユーシスと共にドアの前に居た。
「あの、どうして急に」
「もう言う事は無い。だからお前らがここに居る必要も無い。ならもう出て行け」
「そんな急に……。でも、ありがとうございました」
この場所はヴィクトニルの家で二人は来訪者。それがテラにお礼とお辞儀をさせたのだろう。
「さっさと行け」
ヴィクトニルのその言葉を最後に二人は家を後にした。そしてまずは山を下りる為、蒼穹の代わりに地面に敷き詰められた白の上を歩き始める。
* * * * *
それはユーシスとテラが去り数十分後の事だった。暖炉の前にある椅子に座り葉巻を加えるヴィクトニル。
すると、ノックも無しに軋むドアが開いた。冷え切った空気と共に中へと入ってきた四つの足音。ドアの閉まる音が後を追って響くと一つの足音を置き去りにし三つがテーブルまで進んだ。足音が止まり鳴り響く椅子の引く音、木の軋む音。
「誰がいいと言った?」
言葉の後、煙を吐き出すとヴィクトニルは睨むような横目をテーブルの向かいへ。
そこに座っていたのは――オリギゥムとメル。アンフィスは机(ヴィクトニルへより近い位置)へと足を乗せ座り、ソルはドアの隣で壁へ凭れかかっていた。
「失礼いたします」
「さっさと出て行け」
「そう仰らず。どれ程かは分かりませんが、貴方はこの場所を中心に網を張っているのでしょう? ウェアウルフの中でも白狼は唯一、狼と意思疎通が取れるとか。それを使用しこの山に住む狼達が貴方の目になっている。違いますか?」
それに対するヴィクトニルからの答えは無かったが、オリギゥムは気にせず続けた。
「と言う事は私達がこの山へ足を踏み入れ、この場所へ向かっている時点で貴方は気が付いていたはずです。それでもこうしてここにいるということは、私達を待っていた。そう解釈してもいいという事ではないでしょうか?」
「勘違いも甚だしいな」
「まぁそう仰らず」
そう穏やかな口調のオリギゥムだったが、その隣では僅かに興奮し目を煌めかせたメルが真っすぐヴィクトニルを見つめていた。
「おぉー。あなたがあの白狼なんですね! 僕らの祖先と共にノワフィレイナ王国を治め、暮らしていたあの!」
「こんなじじいがホントにつえーってのか?」
一方、訝し気な視線を向けながらアンフィスは顔を近づけた。ヴィクトニルの刃のように鋭い双眸など気にも留めずに。
「ちょっと。アンフィス失礼だって」
メルの声を他所にアンフィスはじっと睨みつけるような視線を向け続ける。
するとヴィクトニルは鼻を鳴らすように一笑し視線を逸らした。
「所詮は半端者。だが威勢だけは良いようだな」
そして手に取った酒瓶を口へと運ぼうとするが、その途中アンフィスの手が瓶を暖炉へと弾いた。心地良ささえ感じる瓶の割れる音を追い炎が声を上げる。
「威勢だけか試してやろうか? あぁ? 老いぼれ」
ドスの効いた声がヴィクトニルを突き刺す。
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