第2話
エリアンは、それから翌朝までずっと寝ていた。遊びに訪れたエリアンの友人だという男たちは、レアネットが追い返した。かれは疲労でもう倒れそうなのだと云っても聞かないので、ほうきを振るって出て行くよう告げたのだった。
そのようなことをしても良いのかどうかはわからなかったが、いま、エリアンに逢わせるわけにはいかないし、彼女は人に何と思われようとまるで気にならない、たいへん都合の良い性格だった。
半日以上も眠ってようやく目覚めたエリアンは、だいぶ顔色が良くなっていた。やはり睡眠が不足していたのだろう。もともと体力はあるのだから、よほど不健康な生活を続けていたのだと思われた。
王都を混乱させたドラゴンを打倒してから七日間。その日々をどう過ごしていたのだろう?
「ご飯ができましたよ。今日はベーコン入りオムライスです。きのこスープも召し上がれ」
「ありがとう」
レアネットが食卓にひと通りの料理を並べると、エリアンはかるく腹を押さえた。
「そういえば腹が減っていることに気づいたよ。いつから食べていなかったかな」
スプーンできれいな卵黄色に焼けたオムライスを崩し、口に運ぶ。そして静止した。
「――美味しい」
かれはほとんど涙ぐみながら次々その料理を食べていった。飢えた子供のような勢いだ。やがて、すべて食べ終えると、物欲しそうに傍らに立つレアネットの顔を見上げる。彼女はくすりとほほ笑んだ。
「大丈夫、おかわりはまだあります。たくさん食べてくださいね」
エリアンはほっと吐息した。
「ほんとうにありがとう。部屋も綺麗になっているし、すごく助かったよ」
「いいえ、それほどでも。でも、どうしてそんなふうになってしまったんですか?」
「それが、竜退治から帰ってからというもの、祝典だの宴だの、勲章授与だの色々忙しくて仕事が遅れ、さっぱり眠れなくて。おまけに、お祝いだと云ってたくさん人が押しかけて来るし。大変だったんだ。まあ、わたしの管理能力の問題なんだが」
「ちなみに、どのくらい寝ていなかったんですか?」
「そうだな。三日。いや、ほとんど四日かな」
レアネットは目を大きく見ひらいた。
「それじゃ倒れちゃいますよ! お友達を追い返して良かったです。お祝いなんて受けている場合じゃないでしょうに」
「そうかな」
「そうです!」
エリアンは淡い苦笑を浮かべた。
「何だか、亡くなった母さんに叱られているみたいだ」
「お母さまだって心配しますよ?
「あれはドラゴンなんてほどのものじゃない。本物のドラゴンは人間の手には負えない。それにわたしがひとりで斃したわけでもない。だからわたしはべつに英雄なんて偉そうなものじゃない」
「そうですか。わたしには良くわかりませんけれど、あなたがそう仰るならそうなのでしょう。でも、一人前の大人として何日も眠れないほど仕事を抱え込むなんてどうかと思いますよ。わたしを見てください。この歳になるまで何も仕事なんてしたことがありません! でも、大いに人生を楽しんでいます!」
「人生を、楽しむ……?」
エリアンは何か不思議なことでも聞いたように小首をかしげた。
「よくわからない。いままでただ義務を果たすことに精一杯で、楽しむなんて考えたことがなかったな。わたしはあまり能力がないから、仕事だけで目一杯になってしまうんだ」
レアネットは呆れた。
「薔薇王陛下その人から〈大勲位薔薇螺旋勲章〉をいただいた方が能力がない? それじゃ、わたしみたいな凡人はどうすれば良いんですか。エリアンさま、失礼ですがあなたは認識を間違えています。あなたは能力がないのではなく、あまりにも仕事をひき受けすぎなんです! それから、疲れているときはお友達のお祝いは断ってください! それどころじゃないでしょう。まったく」
「そう、なのか? わたしはせっかく祝ってくれると云うのだから断ったら悪いかと」
「時と場合によります!」
レアネットは云い切った。
「よくわかりました。エリアンさま、あなたに必要なのは休息です。この怠惰の達人であるわたしがあなたに休みの日の過ごし方をお教えしてさしあげましょう」
「いや、この先も予定が立て込んでいるのだが」
「休日を入れてください! 少なくとも週に一度は休むべきです。このままじゃいくら体力があってもいつか倒れてまわりに迷惑をかけることになりますよ」
「月に一度ではいけないだろうか?」
「週に一度、です。少なくともしばらくの間はそうしてください。これは譲れません。エリアンさま、わたしは騎士団長である伯父からあなたの日常の世話をするよう仰せつかって来たのです。いわば、これは間接的に騎士団長の命令でもあると思ってください。あなたは騎士として団長に逆らうのですか?」
「団長の、命令……?」
エリアンは表情をひき締めた。
「わかった。無理にでも一週間に一度、休日を用意しよう。その日は何も予定を入れない。約束だ」
「騎士の名誉にかけて誓いますね?」
「名誉にかけて誓う。もしこの誓いを破ったならどうされようと文句はない」
ふたりは正面から見つめあった。先にふっと吹き出したのはレアネットのほうだった。
「わかりました。とりあえずオムライスのおかわりはいかがですか。卵を焼き直して来ますね」
「いただこう」
「はい」
その後、レアネットは鉄のフライパンに油を垂らし、卵を焼きながら内心で決意を固めていた。
この人には余裕が必要だ。わたしの知っている人生を楽しむ知識のすべてを使ってでも、きっとこの堅物騎士さまを堕落させてみせる、と。
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