背の高すぎる伯爵令嬢

@KusakabeSubaru

第1話

 たったひとつの欠点は、とだれもが云った。背が高すぎることだろう。


 リザベル・クレイトーはまさに花の咲き染めるような芳紀ほうき十七歳。白銀王朝の国内中部に広大な領地を持つクレイトー伯爵家の令嬢である。


 その容姿は際立って整って美しい。


 相手を正面から見つめる晴れた日の夜空の色の双眸。胸までまっすぐに伸びたと同じ色の癖のない頭髪。いつもほのかな微笑をたたえた唇はあたかも口づけを待つように瑞々しく、多くの人がひと目で魅了される。


 また、その声音も麗しい。彼女は楽器を得意とし、しばしば宴の席で伶人れいじんのように歌ったが、その、ときに切なく、ときに朗々と響く歌声の素晴らしさに感嘆しない者はいなかった。


 その上、頭脳も明晰であった。控えめな性格で無用に出しゃばることはなかったが、一旦、口を開くとその論旨の明瞭さは諸侯諸賢を瞠目させた。


 また、生来の子供好きで、貴族の令嬢でありながら歳の離れた弟の世話をよく見た。そして周囲に対してはどこまでも優しく、礼節正しく、その気配りに富んだ人柄はだれからも好かれた。


 目下の者に対しても分け隔てがないこと、大貴族の娘とは思われないほどであった。


 クレイトー家の使用人のなかには、なかば本気で、うちのお嬢さまはきっと天使さまの生まれ変わりだよ、と口にする者もあったほどなのだ。


 ようするに、彼女はわずか十七歳にして、すべてにおいて完璧としか云いようがない貴婦人だった。そう――おそらくは唯一、その身長が高すぎることを除いては。


 リザベルは幼い頃から同い年の子供たちと比べ、きわめて成長が早かった。女児であるにもかかわらず、大半の男児よりも背が高かったのである。


 それでも、幼い頃はだれも気にしなかった。何しろ幼少から切ないほど愛くるしい子供であったので、そのような些細な「欠点」など、だれもが気に留めるはずもなかったし、加齢にともない、どこかの時点で成長が止まるだろうと思われていた。


 クレイトー伯爵と伯爵夫人も必ずしも背が高いほうではなく、その子供だけが特別に長身になるなどとは想像しづらかったこともあった。


 だが、リザベルの背は伸びつづけた。十二歳の頃には既に大人のようにすらりとしていたが、十五歳になるとおおよそ大人の男と同じくらいの背丈になっていた。


 そして、十七のいま、彼女の背はまだ伸びつづけている。


 いまでは、男性であってもかなり長身の部類に入るほど高い。むろん、それは一概に悪いこととは云えない。


 すらりとした体形のため、あざやかな色彩のドレスを身にまとっても良く似合ったし、堂々と胸を張って限り、むしろその背の高さはひとつの大きな美点、リザベルという一篇の詩を完璧に仕上げるためのピリオドとすら思われるほどだった。


 しかし、何しろ他の点があまりにも素晴らしく秀でているため、たくさんの人が特に悪意もなく惜しんだ。あの目立ち過ぎる背さえなければほんとうに何もかも優れたお人なんだけれどね、と。


 人々の噂は、陰口は、どれほど隠しているつもりでもやがて本人に伝わるものである。


 リザベルは、いつのまにか自分がそのように云われていることに気付いた。彼女がどれほどとまどい、傷ついたか、それはわからない。


 ただ、傍目はためにもはっきりわかることは、いつしか、彼女は背中を折り曲げるようにして申し訳なさそうに歩くようになったことだった。


 そうすると不思議なもので、堂々とさえしていれば特に目立たないその「欠点」が、いよいよ「欠点」として突出するようになった。


 宮中の意地悪な人々は今度はいささかの悪意を込めて噂するようになった。さて、いったいあの姫の背丈はいつになったら止まることだろう、と。


 なかには、その点に関して不埒な賭けを行う者すらいたほどであった。そのような人々の好奇の目がいよいよリザベルを苦しめた。


 いつしか、控えめではあるものの云うべきことはしっかり口にしてきたはずの彼女は、暗い、物憂げな表情をその綺麗な眼に浮かべるようになっていた。


 当然、父である伯爵その人を初め、周囲は心配したが、彼らもまた彼女のために何もしてやれることはないように思われた。


 時が経つ。


 十七と云えば、貴族の社会ではそろそろ結婚話が持ち上がる年頃である。容色と才気に優れたリザベルにもやはりいくつか縁談が持ち込まれた。


 しかし、リザベル本人はまったく気乗りしない様子で、それらの良縁をあっさりと断りつづけた。両親は嘆いたが、彼女は気に入りの、小柄で可愛らしい侍女にだけこっそりその内心を語ったものである。


「こんなに背の高すぎるわたしが結婚なんて、可笑しいでしょう。この伯爵家は弟が継げば良いことだし、わたしは一生ひとりで生きていくわ」


 侍女は、決してそんなことはない、姫さまほど素晴らしい淑女はいないと必死で伝えたが、リザベルの耳には入らないようだった。


 不幸なことに、リザベルはだれもが自分の背を負の印象として捉えているものと決めつけていた。実際には必ずしもそうではなかっただろう。しかし、彼女にはほとんどだれもが自分の背を笑っているように思われたのだ。


 リザベルはしだいに内に籠もるようになり、あれほど評判高かった楽器を手に取り歌声を響かせることもめっきり少なくなった。


 周囲の人々はいよいよ懸念を募らせたが、いったいどうすればこの優しい姫君の哀しい悩みを解きほぐしてやれるのか、だれにもわからなかった。


 そのようなある日、リザベルの元にいままでで最高の縁談が持ち込まれた。今回の相手はアダムス侯爵家の嫡男スチュワートであった。


 歳は二十二歳。快活な人柄と冗談好きなことで知られる人物で、宮中ではきわめて評判が良く、また殊の外ことのほか、人気があるということであった。


 特別に美男というわけではないが、いつも人生が楽しくてならないという態度で振る舞い、すこぶる明るい笑顔を浮かべているので、人は彼の生まれついての容姿などまったく気にしなかった。


 だが、この人物にもひとつだけ生まれついての「欠点」があった。足が悪いのである。


 どういうわけなのか、生まれながらにして右足だけがいくらか短く、また巧く動かず、杖を突かなければ自然に歩けなかった。


 ただ、リザベルの場合とは逆に、本人がそのことをまったく気にする様子がなく、自ら軽口の種にするほどだったので、まわりもそれほど気にしなかった。


 むろん、陰でその歩き方を滑稽だと嘲笑う者がまったくいなかったわけではない。そのことを知ってか知らずか、スチュワートはいつも快活に振る舞い、周囲の人々を笑顔にさせていた。


 今回の縁談は何しろ侯爵家直々の話だけに、クレイトー伯爵としても軽々に断わることはできなかった。


 すっかり独身主義を貫く気になっていたリザベルは話を受け入れるつもりはなかったが、それでも逢いもせずに破談にすることはあまりにも非礼である。


 まずはともかく、ふたりは逢ってみることとなった。ほんとうはリザベルはそれすらも気が進まなかったのだが、さすがに、そのように口にすることははばかられた。


 いま、リザベルの目前にスチュワート侯爵令息その人が座している。既に両親は下がり、幾人かの使用人を除けばふたり切りである。


 スチュワートはいつもの通り朗らかな笑顔で、まるで人生に辛いことは何ひとつなかったようにすら見える。


 そんなはずはないことはわかり切っているが、どうかするとリザベルですら、この人は生まれつき呑気のんきなたちなのではないか、と思えてくるほどであった。


 彼は何げなく片手で葡萄酒をもてあそびながら笑いかけてきた。眩しいほどに明るい笑顔。いまのリザベルには少々眩しすぎるほどであった。


「初めまして、だとお思いでしょうね、リザベルさま」


 スチュワートは何かこっそりと秘密を打ち明けるようにしてそう告げた。


「しかし、ほんとうはそうではないのですよ。わたしは宮廷でずっと、あなたを見ていたのです。とても素敵な方だなと。それで今回、わたしのほうから縁談を持ち込ませていただいたのですが、あるいはご迷惑でしたでしょうか」


「いいえ、そんな。とても嬉しかったです」


 リザベルにしても、まさか本心をそのままに語るわけにはいかない。表面的に言葉を取りつくろったが、もしかしたらすべて表情に出ていたかもしれない。


 しかし、スチュワートは特に気に留める様子もなかった。彼は快活な笑顔のままで続けた。


「じつは、リザベル姫、あなたにひとつ伺いたいことがあるのです。何年か前まで、あなたはいつも堂々と、背筋を伸ばして振る舞っておられた。わたしはその姿を見て、とても麗しい方がいらっしゃるものだなと感心していたのです。それなのに、最近のあなたは始終、背中を曲げて暗い眼をして歩いているように見えてしまいます。大変失礼ながら、何かお悩みでもあるのですか。微力ではありますが、わたしが力になれることでしたら何でもさせていただきます。もし良ければ話していただけませんか」


「それは――」


 一瞬、リザベルは、この人はすべてわかっていてわたしをからかっているのではないか、と疑った。


 まさか自分の背丈に気づかないはずもない。そして、気づけば自分がそこに強い劣等意識を抱いていることもわかりそうなものだ。いったいまったく何もわからないなどということがあるものだろうか。


 だが、スチュワートのいかにも親切そうなかおには、そのような暗い疑惑を恥じ入らせるような何かがあった。


 それで、リザベルは、つい話す気になった。あるいは、彼もまたその足のことで悩んで来たであろうから、話せばわかったもらえるであろうという意識が働いていたのかもしれない。

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