現在②

 辻本が所有しているという超大型ヘリコプターは、元々軍用ヘリコプターとして開発されたものを購入し、辻本グループ傘下の会社に改造させたものらしい。何をどうすれば軍用ヘリコプターを買おうとか、あまつさえそれを改造して個人的な移動手段にしちゃおうとかいうぶっ飛んだ発想に至るのか、蒼介にはとんとわからぬ。

 たしかに航続距離や運搬能力、ついでに安全性(防御力?)はかなりのものだろうが、それにしたってそうはならんだろ、とはなはだ納得しかねる。 

 だから、蒼介はヘリポートに向かいながら、隣を歩く甘露に尋ねてみた。「辻本さんってどんな人なんだ?」敬語はいらないと言われたので言葉遣いは普段のものだ。「頭が良くて金があって寝てなさそうってことはわかるけど」それら以外は謎──謎の変人という印象である。ホラーミステリー作家とは、本人の存在自体を一種のミステリーにしなければならないのだろうか。だとすると何とも難儀な職業である。

「うーんとね」甘露は言葉を探すように一瞬視線を上げ、それから、「小説が好きな中学生が、そのまま年を取った感じかな」

「子供っぽいってことか?」

「子供っぽいっていうか……」

 という甘露の言葉は桐渓が引き継いだ。「興味のあることにはすごく一生懸命な人だよ。周りから見ると視野狭窄しやきょうさくな努力家ってとこか。何となく青くさく見えなくもねぇし、たしかに少年らしさはあるかもな」

「ほー」と相づちを打ったものの、余計にわからなくなったというのが蒼介の本音だった。

 蒼介は腹芸が苦手で感情や思っていることが顔に出やすい。桐渓は蒼介の心裏を察したらしく、微笑を洩らした。「ま、会えばわかるって。悪い人じゃねぇから心配すんな」

「いや、心配とかはしてないが──」という蒼介の声にかぶせるように、

「あ、でも、女性関係はだらしないってうわさは聞くよ」甘露は言う。「わたしの担当さんが言ってたんだけど、昔から女遊びがひどくて、それが原因で今の奥さんとは家庭内別居状態なんだって」

 おおう、そりゃあまた羨まし──もとい、けしからん野郎だ。つーか、本当にいつ寝てんだ。元気すぎだろ……。

 それからも適当な雑談を続け、やがてヘリポートに到着した。



 デカい。そして、ゴツい。

 これらが、くだんの超大型ヘリコプターを見た蒼介の率直な感想だ。

 全長は三十メートルほどだろうか、外装は当然のように迷彩柄で、機体上部のメインローターのプロペラは羽根が六枚も付いている。

 蒼介はこれと似たようなやつを映画で見たことがあった。その映画では、空高く飛ぶヘリコプターから完全装備の軍人たちが次々と飛び降りていた。そして、その直後、ミサイルか何かがヘリコプターに直撃して爆発炎上していた。

 主人公が飛び降りた直後に派手に爆発四散するという演出重視のご都合主義はくとして、要するに、目の前の超大型ヘリコプターは完全に軍用ヘリコプターそのままのナリをしているのだ。まさか改造費用をケチったわけではあるまいに、もう少し何とかならなかったのだろうか、と蒼介は思う。

 突如として出現した威圧感のある巨体に、夏休みの家族連れでにぎわう空港はある種の緊張感に包まれてしまっている──ような気がする。少なくとも超大型ヘリコプターを見た空港の利用客の女性はぎょっとした顔をしていた。その女性の子供らしき少年は目を輝かしていたが。

「すごいでしょ」凛香子はまるで自分のヘリコプターであるかのような口ぶりで言った。「わたしも初めて見た時は開いた口が塞がらなかったわ」

「ああ、これはすごい」すごく非常識に思えるのは、蒼介が極々平凡な小市民だからだろうか。

 蒼介がやや失礼なことを考えていると、運転席横の無骨ぶこつなドアが開き、坊主頭の男性が降り立った。パッと見は四十代ぐらいに見える。彼は? と凛香子に顔を向けると、

「彼は佳人さんのとこの運転手のゴライさん」

 と、車の運転手を紹介するかのよう。

 五来ごらいと書くそうだ。凛香子は、「行こ」と言ってヘリコプターに向かって歩き出した。蒼介も続く。「五来さんもすごいのよ。車も船もヘリも戦車も戦闘機も、何でも運転できる人なの」

 凛香子に歩幅を合わせながら、「へー、そりゃあすごい」と相づち。戦車も戦闘機も操縦できるって、元軍人か何かなのか? と疑問符を心裏に浮かべつつ、「ところで」と話の流れを変え、「辻本さんはヘリに乗ってるんだよな?」

「あー、ごめん、言い忘れてた」凛香子は答える。「いつもそうなんだけど、佳人さんは一足先に島に行ってわたしたちを待ってるわ。『主催者ホストは出迎えたほうが威厳があるように見えるだろう?』ってことらしいわ。そんなこと誰も気にしないのにおかしいよね」

「ああ、おかしい」招待してもらった手前、言葉は選ぶべきだろうが、何だかめんどくさくなってきたので歯に着せていた薄っぺらいきぬを取っ払うことにした。「辻本さん、絶対、変人だろ」清々すがすがしい気分だ。

「そうね、彼は変わってる」凛香子は即答した。

 超大型ヘリコプターの下まで行くと、

「おう、久しぶりだな。元気だったか?」と五来が一同に挨拶。蒼介と雫由を除く全員がそれぞれの言葉でそれなりに元気だった旨を伝えると、彼は、「で、特別ゲストってのはあんたらのことかい?」と蒼介と雫由のほうに顔を向けて尋ねてきた。

「はい、今回、招待していただいた桜小路蒼介と義妹の雫由です。よろしくお願いします」と蒼介が答え、次いで雫由が小さく頭を下げた。

「おう、よろしくな」五来はさっぱりとした口調で言い、「ほんじゃ早速乗ってくれ」とクイッと親指で超大型ヘリコプターを指した。



 外装は軍用ヘリコプターそのものだが、機内は旅客機りょかくきのそれであった。ふかふかの座席はエコノミークラスのものとは一線を画する心地よさで、約一時間半の空の旅は何のストレスも感じずに終えることができた。

 超大型ヘリコプターが着陸したのは、島の中央部にある、ホテルと見紛みまがうほど大きな洋館の広大な前庭だった。

 蒼介たちが超大型ヘリコプターから降りると、ロマンス・グレーのよく似合う初老の男性と家政婦らしき格好の、幼さの残る顔立ちの小柄な女性がこちらに歩み寄ってきた。ネットで見た辻本の画像と脳内で照合し、男性のほうは辻本佳人であると判断した。

「クローズド・サークルへようこそ」辻本は開口一番、不穏な横文字を口にした。

 クローズド・サークルとは、外界との通信や往来が制限される場所のことで、ちょくちょくミステリー系のフィクション──超高確率で連続殺人事件が発生する──の舞台となる。具体的には絶海の孤島や吹雪ふぶきの山荘のことだ。

 蒼介にもそのくらいの知識はあるので、辻本の発言は彼一流の冗談なのだと理解はできた。が、絶妙に反応に困る。

 仕方なく、「ははは」とぎこちない笑みで応じてから、あれ? でも実際電波ってどうなってんだ? と不安になった。スマートフォンを確認する。ものの見事に圏外を表示していた。

 特別、スマートフォンに依存しているわけではないが、これでは何かあったときに大変だ。衛星電話はあるのだろうか、と疑問に思った時、

「君が埼玉県警の捜査一課で刑事をしている桜小路蒼介君だね」と辻本に水を向けられた。

 やたらと職業が強調されていることはスルーして、「はじめまして、桜小路蒼介と申します。このたびはお招きくださり、ありがとうございます」と定型的な言葉を口にする。

「なぁに、気にしないでくれ。わたしの都合で招待したまでだよ」辻本は言い、それから口角を上げ、「後で警察の裏話や表に出せない情報をこっそり教えてくれるのだろう? 期待しているよ」

 やはり反応に困る。できるかぁ! と一喝したいのは山々だが、招待してくれた、しかも今会ったばかりの年上の主催者に向かってそれは流石さすがはばかられ──、

「もう! 佳人さん、蒼介君を困らせないの!」凛香子が代わりにたしなめてくれた。

「誤解だよ、凛香子君。わたしはただ自分の欲望に忠実なだけで、困らせようなどという下衆げすな意図は一切ないのだよ」

「はいはい、屁理屈へりくつはいいから早く館に行きましょう」

 凛香子に賛同するように、「にやけ面で言っても説得力ないぜ」と佳人に笑みを向ける桐渓。

「ヘリが快適だったから全然疲れてないけど、とりあえず部屋に荷物置いてきたいなー」と甘露。

「そうですね」と二重顎を引いて同意する有栖。「──あ、上杉君!」

 有栖の視線の先を追うと、館に向かっている上杉──すでに蒼介たちからかなり離れている──がいた。有栖の声が聞こえていないのか、はた聞こえていて無視しているのか、こちらを振り向きもせずに歩きつづけている。

 気配が薄いせいで移動しはじめていることに気づかなかった。

 あまりに協調性のない行動に、マイペースすぎだろ、と引いていると、

「学級崩壊だね」雫由の、何とも手厳しい指摘が耳に飛び込んできた。

 ぷはっ、と桐渓が噴き出した。あっは、と甘露も笑う。

 おいおい失礼なこと言うんじゃない、この程度は学級崩壊とは言わないんだよ、これで学級崩壊なら底辺高校なんて学級爆砕だよ、と注意しようとしたのだが、しかし蒼介の口は、「雫由いい子にするんだぞ」と遠回しに参加者たちをけなすような言葉を発していた。

「ははは、蒼介君も言うじゃないか」辻本は愉快そうに声を弾ませた。



 時刻は午前十一時半前。それぞれに割り当てられた部屋に荷物を置き、まずは蒼介と雫由の歓迎会を兼ねて腹ごしらえをしつつ、みんなの近況やバカンスの予定について話そうということになった。

 蒼介たちが館へ移動しはじめると、背後から超大型ヘリコプターの豪快なプロペラ音が聞こえてきた。あれ、五来さんは島に滞在しないのかな? と館に向かう集団を見回す──やはり彼はいない。間もなく超大型ヘリコプターは離陸して空に昇っていった。

「五来は一週間後に迎えに来る手筈てはずになっている」立ち止まって超大型ヘリコプターを仰ぎ見る蒼介に辻本が説明した。「五来が戦車や戦闘機を操縦できるという話は聞いたかね? 彼には中東で極秘任務をこなしてもらわなければならないんだ。わたしたちに付き合わせて島に滞在させるわけにはいかないのだよ」と冗談めかした物言い。

 しかし、戦闘機さえも操縦できるらしいということ、そして五来のダーティささえ感じさせる雰囲気を併せて考えるとあながちまるっきりの冗談だとは思えないことが、またしても蒼介の言葉を詰まらせた──え、中東ってマジなの? いや冗談だよな? でも戦車……戦闘機……、と大いに混乱してしまう。

「そんなわけないから安心して」と凛香子の声。「五来さん、普通に忙しいだけだから」

「お、おう、そうだよな」

「ははは、蒼介君は単じゅ──素直で非常に好感が持てる」君とは仲良くできそうだよ、と辻本はおかしそうに続けた。

 


「料理人の方も来てるんですか?」

 という蒼介の問いには、「いや、この島にいるのはここにいる人間ですべてだよ」という回答が辻本から返ってきた。

「ここ」とは、一般的なファミリーレストランと同じくらいの広さの食堂のことで、「ここにいる人間」とは、辻本佳人、河合凛香子、桐渓岳大、甘露るい、有栖夢生、上杉ハル、蒼介と雫由に、メイドの小熊おぐまあゆみのことだ。

 次いで蒼介が、「え、じゃあこの料理は小熊さんが一人で作ったんですか?」と尋ねたのは、大きなテーブルに並べられていく料理の威風堂々たる様子に、専属の料理人みたいな人が作ったんだろうな、と思っていたからだ。有り体に言えば、めちゃくちゃうまそうで壊滅的に高そうだ。たぶん蒼介の財布のHPは一瞬で吹き飛ぶだろう。

「そうだよ」辻本はうなずいた。「小熊はできるメイドだからね」

 小熊は料理を並べる手は休めずに、しかし照れくさそうに表情を綻ばし、「ありがとうございます」

 聞けば、小熊は二十四歳だそうだ。高校生と言われても信じてしまいそうな童顔だが、この人数の世話と広い館──すべての部屋を使うわけではないにしても──での雑用を一人でこなすそうなので、たしかにできるメイドなのだろう。蒼介も家事は家庭の事情により子供のころからしてきたので得意なほうだと自負しているが、小熊にはかないそうにない。

 テーブルに料理がそろったところで、辻本が昼食兼新人歓迎会を開始するべく口を開いた。「それではそろそろ始めようか」それから簡単な挨拶──「今年もよく集まってくれた」とか「新しい仲間」がどうのとか──を続け、そして食事会が始まった。



「ほう、雫由君はまだ九歳だというのになかなかどうして風情というものをよく理解している」辻本が感心するように言った。

 食事会は和やかな雰囲気で進んでいたのだが、ホラー映画に目のない雫由が、「辻本さんはどんなホラーを書くの?」と蛇の潜むやぶに手を突っ込むがごとき質問を投げかけた。その結果、二人はホラー談議にラフレシアのように大きく不気味な花を咲かせ、先ほどの辻本の発言に繋がったのだ。

「『殺人人形シリーズ』は特に好き」そう言った雫由は、椅子の背もたれに掛けているリュックサックから映画に登場したうさぎ耳の殺人人形の、三分の一スケールの人形を取り出して辻本に自慢げに見せた。 

「おお! それは三作目に登場したロカチー君ではないか!」辻本はうれしそうに目元にしわを作る。さながら自分のために料理を作ってくれた幼い孫を見る祖父のようだ。しかし、実際にはその対象は拙いながらも一生懸命な気持ちの伝わってくるほほえましい料理ではなく、作中で幾人もの善良な人間をむごたらしく殺害した殺人人形である──「何だかなぁ……」という蒼介のつぶやきは、幸か不幸か盛り上がる二人には届かなかったようだった。

 辻本の大げさとも取れる反応に気を良くしたらしく、雫由は珍しく表情を緩め、年相応の愛らしさをのぞかせている。

 辻本も相乗的にテンションが上がったのか、「実はわたしもホラーグッズを少なからずコレクションしていてね。アウトドアの疲れを癒やすためにこの館にも幾つか常備しているのだよ」と上機嫌な様子。

 ホラーグッズが疲労回復に繋がる理由がまったくわからない。蒼介は早々に理解を諦め、無心で肉をむしゃむしゃする。うまいのでとても幸せである。

 雫由が期待に満ちた目──言外に、見せて、という感情を漂わせている──を辻本に向ける。

 うむ、とある種の深刻ささえうかがわせる雰囲気で一つうなずいた辻本は、「昼食が終わったらわたしのコレクションルームに案内しよう」と雫由の期待に応えてみせた。

 雫由は、パァ! と表情を輝かした──これは非常に稀有けうな事態である。蒼介の知る彼女は、良く言えば大人びた、悪く言えば人間味のない、つまりは感情を表情の変化という形で表に出すことのほとんどない人間なのだ。蒼介はもう一年ぐらい共に暮らしているが、こんなにわかりやすく喜びを表現しているところは数えるほどしか見たことがない──しかもそれらは蒼介に向けられたものではなかった。

「……」蒼介は静かに肉を飲み込んだ。心の中では、どうしてか敗北感のようなものが鎌首をもたげて、「やーい、訳わからんホラーオタクの変人じじいに負けてやんのー! プー、クスクス」とあざ笑っていた。

 いや負けてねぇし、つーか勝ちとか負けとかそういう話じゃねぇし、と自分自身に負け惜しみを言うという、何ともむなしいことをしていると、

「佳人様」小熊が申し訳なさそうに辻本に呼びかけた。

 何だ? 何か問題でも起きたのか?

 蒼介は少しだけ身構えるも、

「おお、そうだった。雫由君との話が楽しくてすっかり忘れていたよ」辻本は陽気に答え、それから蒼介たちに向かって、「少し席を外させてもらうよ」

 立ち上がった辻本は、「すぐに戻るからわたしの陰口はほどほどにするように」とおどけるように言い残し、食堂を出ていってしまった。

 いったい何なんだ?

 凛香子なら何か知っているかもしれない。それに、完全な初対面の小熊よりは尋ねやすい。そう思って隣──こちら側の席は左から凛香子、蒼介、雫由、甘露の順だ──に座る凛香子を見ると、彼女は柳眉りゅうびをかすかにゆがめるようにして心配そうな、あるいは複雑そうな表情を浮かべていた。

「……辻本さん、具合でも悪いのか?」凛香子の様子から、辻本は食後の服薬のために席を外したのではないか、と推測した蒼介は質問をゆるりと投げかけた。

 ただ単に体調を気遣っているだけではないような、もっと言えば哀切をみしめているような、そういう暗い趣が凛香子にはあった。もちろん他人の心のうちのすべてまではわからないが、少なくとも蒼介にはそのように感じられた。

「ええ、何の病気かは教えてくれないのだけれど、持病があるみたい。佳人さんは、『たいしたことないよ。若いころから贅沢ぜいたくをしてきたツケが回ってきているだけさ』なんて言ってるわ」それから凛香子は眉間のしわを深め、「でも、佳人さん最近無理をしてるような気がして──」

「考えすぎじゃなーい?」桐渓と有栖相手に担当編集者の愚痴を垂れ流していた甘露が、こちらの会話に入ってきた。「辻本さん、普通に脂っこいお肉食べて、高そうなワインを幸せそうに飲んでたじゃん」

「俺もこいつと同じ意見だな」桐渓は甘露の肩を持つようだ。「それに、仮に病状が悪化してるのだとしても本人が言いたくないのなら外野があーだのこーだの言うべきじゃないだろ? 心配になる気持ちはわかるが、その感情は辻本さんにはあまり見せないほうがいいと思うぞ。余計な心労を与えかねない」

 これには蒼介も、たしかに、とうなずいた。

「歩ちゃんは当然知ってるんだよね?」憶測を前提とした不毛とさえ言える会話に業を煮やしたのか、有栖は小熊に尋ねた。

「使用人の業務に必要なことは教えていただいております」小熊の、使用人らしく丁寧な、それでいて核心を避けるかのような言い回しは、答えられないから聞かないでほしいという気持ちの表れなのだろう。続けて、「しかし、佳人様のお身体からだのことについては口止めされています」と予想どおりの言葉を口にした。

「堅いなぁ」そう言う有栖の語調は、たしかに緩い。「ちょっとくらい教えてくれたっていいじゃない。無理にとは言わないけどさ」

「申し訳ありません」小熊の物言いは、にべもなく、というほど冷たいわけではないが、とはいえ取り付く島がないのは誰の目にも明らかだった。



 少しして戻った辻本は、みんなの食事が一段落いちだんらくすると早速こう言った。

「それでは雫由君、わたしのコレクションを見に行こうではないか」

 雫由は、待ってましたとばかりに間髪かんはつれずにうなずき、跳ねるような勢いで椅子から降りた。

 待て待て、と蒼介が口を挟む。「せっかくなんで俺も行っていいですか?」

 大丈夫だとは思うが、辻本と雫由を二人きりにすることに若干の不安があった。悪い人ではなさそうに見えるとはいえ、幼い少女の保護者としては楽観的な判断はするべきではないだろうと考えたのだ。

 これに辻本が答える前に、「はーい、わたしも行きたぁーい」と甘露が便乗した。「実はわたしもホラーは嫌いじゃないんだよね」

 たしかに、メンヘラメイクを好んでやるような、つまりは病んでいそうな子とホラーは相性がいいように思えた。などと偏見に染まったことを考える蒼介だったが、当然それをそのまま口にするようなことはせず、「へぇー」と当たり障りのない相づちを打った──ここで、「へぇー、意外。そういうの苦手かと思ってた」などと調子のいいことを言わないのは、ひとえにうそや世辞が不得手だからという理由に尽きる。こんなバカ正直な人間でも仕事として犯罪捜査をこなせているのだから世の中わからないものである、と蒼介自身も常々思っている。

 一方、「おお」とうれしそうな声を発した辻本は、「るい君もホラーが好きだったのかい? てっきりそちら方面は苦手なのかと思っていたよ」とよどみなく続けた。

 甘露いわく、「グロいのは苦手だけどホラーは好き」とのこと。

 ちなみに、雫由はグロテスクなものでも精神的に来るものでも何でも御座ござれのオールラウンダーだ。

「なるほどなぁ」辻本は納得の表情を見せ、それから、「では、るい君と蒼介君にも見せてあげよう」と言ってくれた。



 この館を上から見ると〈コ〉の字型──〈コ〉の字の右側が館の正面だ──をしている。異様に広い食堂は〈コ〉の字の上の横棒の中ほど、その一階部分に位置しており、辻本ご自慢のホラーコレクションが飾られた部屋は下の横棒の左端、その四階部分にある。要するに、

「遠すぎだってば」ということである。甘露は顔をしかめ、「もうすでに、わたしの通ってた小学校の体育館と音楽室ぐらいの距離は歩いてるんだけど」と、蒼介にはわかりようのない尺度を使って不満を吐き出した。

「ははは」辻本は気分を害したふうもなく朗らかに笑い、「お金が余っていたものだから、つい、はりきってしまってね」そして締めくくりに、いやぁすまないねぇ、とむしろあおっているのではないかという台詞。

「うわぁ」甘露のどん引きに続き、蒼介も、うわぁ、と口が半開きになった。

「小説が大ヒットしてもわたしはこうならないように気をつけよ」甘露も負けじとそんなことを口にする。

 このように大の大人が不満と皮肉を洩らしている横で、最も幼く体力のないはずの雫由はいつもと変わらぬ、いや、わかりにくいが期待感を帯びたような表情のまま文句を言うことなく黙って歩いていた。その小さな背中では、蒼介が買ってやったリュックサックが揺れている。

 そうして長い道のりを踏破した一行は、目的の地にようやっと到着した。 

「ここがわたしのコレクションルームだ」辻本はそう言い、レバーハンドルを下げてドアを開けた。

 するとまず蒼介たちの目に飛び込んできたのは、狼の覆面を被った人型だった。平均的な成人男性ぐらいの身長はある。

「わひゃんっ」甘露が、奇声なのか悲鳴なのか判断の難しい声を上げた。

 それに隠れて蒼介も、「うおっ」と情けない声を出していた。

 一方の雫由は、「レイコちゃんだ! すごい!」と全身で感動を表現している。

 辻本は電灯のスイッチを押しつつ、「正解。マニアックな映画のキャラクターなのに流石だね」

 これ、女なの? という疑問はさて措き、落ち着いて観察してみるとレイコちゃんとかいう狼系女子(?)は微動だにしていないとわかる。開閉式らしき透明なケースに入れられているし、どうやら人形のようだった。

 レイコちゃんは大きなリュックサック──どことなく雫由のものと似ているデザインだ──を背負い、何らかの液体により赤黒くカラーリングされたおのを持っている。

 簡単にまとめると、刃物を持った狼頭の等身大の人形が、来客を出迎えるようにドアの前に立っていたのだ。ガラス又はアクリル坂越しとはいえ、こんなのびっくりするに決まっている。だから悲鳴じみた声が出てしまったのもやむなしなのだ。蒼介はそんな言い訳を口の中で転がした。

「レイコちゃんは七十三人も殺した凄腕すごうでなんだよ!」雫由は自慢の友人を紹介するかのように説明する。「それで、レイコちゃんちの庭には人骨がいっぱいあるんだ!」

「お、おう、よかったな」大量殺人などされてしまってはたまったものではないが、勢いに流されて共感しているようなそうでもないような相づちを口にしていた。

「うん!」

 めっちゃうれしそうだな──子供らしい無邪気な笑みを満面にたたえている雫由を見て、蒼介はそう思った。

「どうだい? すごいだろう?」半世紀も年の離れた少女に対して、財力に物を言わせて集めたであろうコレクションを臆面もなく自慢できる辻本は、間違いなくただ者ではない。

「すごい!」しかし、雫由は素直に称賛した。「〈心臓潰し器〉もある! 〈目玉のパフェ〉もある! 〈ベイビーイーターの人形〉もある! 〈呪いの恋文〉もある!」などなど。流石ホラー好きなだけあって、禍々まがまがしい雰囲気の物体たちの正体を正確に把握しているようだった。こちらも負けず劣らずの強者つわものである。

 百二十平米ほどだろうか、かなりの広さを持ったコレクションルームは、しかし数多あまたのホラーグッズによりいささか以上に窮屈な印象を与えている。

 が、小さな雫由には何ら障害にはなりえないようで、あっちに行ったりこっちに来たりとせわしなくスムーズに動き回り、まるでクリスマスシーズンの玩具屋を訪れた幼児のようなはしゃぎようだ。

 そして、その雫由のテンションについていけている辻本は、息子夫婦に、「甘やかさないでください」と注意されたにもかかわらず気がつけば孫かわいさに財布のひもがゆるゆるになってしまうダメダメなお爺ちゃんといったところか。

 俺はいったいどうすればいいんだ……。

 彼らの専門的マニアックすぎる共感ポイントについていけるはずのない蒼介にできることといえば、頬を引きつらせながら案山子かかしのように立ち尽くすことだけだった。

「ねぇちょっと」案山子を呼ぶ声があった。農家の方だろうか?「君の妹さん、すごいね」

 ん、ああ、甘露か。一拍遅れて気づいた蒼介は、上手い受け答えを探してみるも、

「……少し変わってるだけの普通の女の子だよ、たぶん」

 としか言えなかった。

 雫由との付き合いはまだ一年と数箇月程度。蒼介自身も測りかねている部分が多分にあるのだ。

 甘露は、蒼介のパラドックスじみた自己矛盾をはらんだ返答にも目くじらを立てたりはしなかったものの、「だいぶ変わってると思うけど」と割と失礼なことを言う。

「まぁ、気持ちはわかる」

「君もとがった趣味とかあるの?」過去に実際に起きた猟奇殺人事件の現場──遺体とおぼしき写真を前に談笑するじいさんと少女を横目に甘露が尋ねた。

「俺の趣味なんてルアー釣りと料理ぐらいしか──お」蒼介は発言の途中である物を見つけて声を洩らした。

「何? 何かヤバい物でもあった?」しかし、甘露はすぐに気づく。「ここ、ヤバくない物のほうが少ないんだった……」

「ヤバいかは知らんが」蒼介は、少し離れた位置、壁際に置かれた本棚に視線をやったまま、「京の小説を見つけて、つい──」うれしくなって声を出してしまったのだが、それをそのまま言うとからかわれそうなので曖昧に濁しておく。

「え、どこどこ」甘露も興味を示す。それから、「そういえば京さんの友達なんだっけ」

「腐れ縁のようなものだよ」

 本棚ではハードカバーの小説たちがお行儀よく肩を並べている。その中に〈夜船京〉という著者名が背表紙に印刷されている本が数冊ある。

「ほら、ここ」と指差す。

「ホントだー」甘露はためらいなくそれ──『花瓶』という題名の小説だ──を手に取った。

 コレクションに勝手に触って大丈夫なのか、と蒼介は思うが、甘露にはそういった不安を感じている様子は皆無だった。彼女は慣れた手つきで本を開き、読みはじめた。

 またしても手持ち無沙汰になってしまった蒼介が、何とはなしに本棚を見ていると、今度は凛香子の著書『紅い翅』を発見した。さらに、甘露や有栖、上杉、桐渓の小説もある。

 甘露はどんな文章を書くのかな、ちょっと読んでみようかな、と思った、そのタイミングで、

「うん、すごく変態っぽくて、すごくエロい」

 甘露の語った『花瓶』に対する印象は、言葉を使ってお金を稼ぐ小説家のそれとは思えないほど単純明快であった。

「そりゃあ京の小説だしなぁ」蒼介は、以前読んだ京の小説を思い出しながらしみじみと言った。

 普段の言動は比較的まともなのに、小説の内容と来たらどうしてああも変態性に富んでいるのだろうか、と不思議でならない。

「あっ」甘露は何かを察したような声を発した。「もしかして蒼介さんと京さんって付き合っ──」

「付き合ってないって」

 京の見た目があまりにも美人すぎるせいでこの手の邪推には──非常に遺憾であるが──慣れっこである。したがって、「俺は女が好きなノンケだ。幾ら京が美人でもそれは絶対にありえない」という説明も円転滑脱えんてんかつだつに行われた。

「えー、必死な感じがあーやしいー」

「……」めんどくさいなぁ。

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