第15話 回想編⑫湯豆腐
2022年1月22日
この日が彼に会った最後の日。1月も下旬に差し掛かり、寒くて手がかじかむ冷たい日だった。「今こそ湯豆腐やわ!」突然思い立ったように彼が言った。「それともお子さん連れて京都水族館行く?湯豆腐からそんな離れてないとこに動物園もあるよ?」彼は昨年夏にも私に湯豆腐を食べに連れて行ってあげたいと言っていた。彼の話の中には度々湯豆腐がでてくる。「湯豆腐食べに行きたい。子どもはコロナがもう少し落ち着いてからにするわ。」私はそう返事したが本当は、私も子どもも水族館があまり好きじゃないという理由、たまにしか会えない彼との時間は2人だけの時間にしたいという理由があった。それでも子どもの事を考えてくれるのは嬉しかったし、機会があればそんな時間もいいかもしれないと思った。
その日はいつもと違う駅で待ち合わせし、合流して蹴上の駅で降りた。ねじりまんぽと言われるトンネルを抜けて真っ直ぐ歩くと、湯豆腐屋さんが見えてくる。横には南禅寺。南禅寺には後で行くからとまずは湯豆腐屋さんに入った。京都には何度か湯豆腐を食べにきた事がある。趣があってとてもいい雰囲気のお店が多い。案内してくれたお店も雰囲気は最高に良かった。彼は色んなお店を知っていたが、私とのデートはいつも近場。体調もいつも悪いし、活動的ではなかった。寺や神社へのんびりとゆっくり行き、カフェに寄る。彼の店で会い、ゆっくり話をする。デートの時間もいつも短く、3、4時間。老後にもできそうなデート。彼は私の体調を気遣ってくれた時、「ゆっくり生きていこう」と言ってくれた。私はそれもいいなと思った。病気になって無理をせず身体を労る生き方で、彼と一緒にいればいいと思った。身体の悪い者同士だからできる事。健康な人にはわからない。
注文してから比較的早く湯豆腐は運ばれてきた。お昼のセットで湯豆腐三昧。湯豆腐には特製の付けダレがついていて山椒を多めに入れると更に美味しさが際立った。豆腐の甘味噌ダレも美味しい。「美味しい美味しい」と言いながら食べていると、「良かった良かった」と彼も嬉しそうにしていた。上品に並べられたお豆腐のセットはいい頃合いにお腹におさまった。
南禅寺に行き、水路閣で写真を撮った。少し前に見た映画のワンシーンにも出てきたところで、私にとっては旬のスポットだったのでテンションも上がった。「ここ映画で見たとこ!!」私が言うと、「ここに来たら水路閣で写真撮らんとね。」と彼が答える。
その後、哲学の道をゆっくり散歩してオススメのカフェに入った。「ここに来るのも10年ぶりぐらいだよ。まだあって良かった。湯豆腐も10年ぶりぐらい。京都に来た頃はよく来てたんやけどね。」10年。。彼が30歳の頃。ここでも矛盾が生じた。彼がお店を始めたのはもっと前のはず。京都に来たのももっと前のはず。10年。それは何の10年なのだろう。
カフェでゆっくり会話した後は、歩いてきた道を戻り、駅付近まで辿り着く。行きはトンネルだったが、帰りは蹴上インクラインを通った。これは全長582mの世界最長の傾斜鉄道跡で、高低差約36メートルの琵琶湖疏水の急斜面、船を運航するために敷設された傾斜鉄道の跡地である。その線路をたどって歩いていく。映画のワンシーンみたい。いつもより長めのデート。セックスのない1日デートだった。「セックスしないデートは初めてやったね。次のデートは愛し合いたいね。」私は頷き、電車に乗り込んだ。私が先に降りて、「じゃあ、また。」と、互いに挨拶を交わし、その日私たちは分かれた。次にまた普通に会えると疑いもしない、とても穏やかな空気が流れていた。
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