風の剣士と夜景の魔女

第7話

　ルイゼに紹介されたリーシャという名の少女は、浮世離れした雰囲気をその身に帯びていた。

　明るい栗色の髪をおかっぱに切り揃え、眠たげな目は透きとおるようなアイスブルー。あまり抑揚のない淡々とした喋り口も相まって、どこか人形めいた近寄りがたさがあった。

　黒を基調としたくるぶし丈のワンピースの上から、純白の肩掛けを羽織っている。ワンピースの随所には金糸による刺繍が施されていたが、不思議なことに華美な印象は受けない。

　普通、金といえばもっと俗っぽい派手さや下品さが付きまとうものだが、彼女はそういった世俗の穢れとは無縁の存在のように思えた。

　例えるならそれは、清廉とした陽の光だろうか。あたしの連想を裏付けるかのように、リーシャの胸元には太陽を象ったペンダントが燦然と輝いている。

「レイリ・ノースウィンドよ。こっちはロミ・シルヴァリア」

「知ってる。まずは座ってほしい」

「あ、はい……」

　ぶっきらぼうというか、素っ気ない子だなー。無表情なもんだから、何を考えてるのか全然わからない。

　ひとまずはお言葉に甘え、ソファーへ腰かけることにした。うわ、何だこれ。こんなにふかふかの椅子、座ったのは生まれて初めてかも。

「それで、リーシャ……だったっけ？　名指しで依頼っていうのはどういうこと？　あたし達は別にパーティ登録してる訳じゃないし、依頼を出すってだけなら他にいくらでもあてがあると思うんだけど？」

「誰でもいいって訳じゃない。あなた達二人の噂は、すでに一部で広まりつつある。良い意味でも、悪い意味でも」

　悪い意味でも、ってところに引っかかりを覚えなくもなかったが、そこは聞かなかったことにしよう。

　程なくして、いい匂いがするティーカップが目の前に差し出された。流れるような所作で紅茶を淹れてくれたのは、言わずと知れたルイゼ嬢。受付業務だけじゃなく、こういう仕事まで完璧にこなすのか。相変わらず、底が知れないお人だ。

「私はこれで。依頼受諾の判断は、二人にお任せ致しますので」

　それだけ言い残すと、ルイゼはそそくさと退室してしまった。

　あたし達の間には、重苦しい沈黙が横たわっている。というのも、この部屋に案内されてから、ロミが一言も声を発していないからだ。それどころか、険のある表情で目の前の少女をじっと睨み据えている。

「……光王（こうおう）教会の人間が、こんなところにまで何のご用かしら？」

「そういうあなたは、銀月の使徒。古式の魔女の格好など、今どき珍しいからすぐにでもわかった」

「この服装は、私が好きでしているの。あなたにとやかく言われる筋合いなどなくてよ」

「ちょ、ちょっと待ちなさいってば！！」

　剣呑な空気を漂わせつつ、互いを牽制しあう二人。お世辞にも友好的とはいえないやり取りに、慌てて間に割って入る。

「一体どうしたってのよ、ロミ。いつも冷静なあんたらしくもない。教会がどうとか、さっきから話が見えてこないんだけど？」

「……そういえば、レイリは余所の大陸からやってきたものね。なら、知らなくても無理はないか」

　ロミはため息をつくと、改めてリーシャの方へと向き直る。

「彼女は光王教会の修道女（シスター）よ。それも恐らくは、特別な使命を帯びた高位のね」

「光王教会？」

「かつて、このサンクティア大陸は双子の女神によって創られたとされているの。太陽を司る女神セレスティアと、月を司る女神アルジェント。光王教会というのは、女神セレスティアを主神として掲げる、この大陸で最も勢力を持った教団のことよ」

「アルジェントなど、あくまで副神に過ぎない。この世の秩序を司り、人々を正しく導くことができるのは、我らが主たるセレスティア様のみ」

「それは、教会によって歪められた認識でしょう。二柱の女神に元来序列など存在しない。いたずらに片方のみを神聖化する行為は、それこそ女神に対する冒涜なのではなくて？」

「聞き捨てならない。それにアルジェントは、人々にあらぬ知識を……」

「あーもう、わかった！　わかったから、二人ともちょっと落ち着いて！！」

　放っておけば、このまま取っ組みあいでもおっぱじめそうな剣幕だ。どちらも一歩も譲る気がなさそうで、ばちばちと火花を散らし続けている。

「……つまりは、こういうこと？　あんた達はそれぞれ別の神様を崇めていて、とても仲が悪いと」

「その説明も、些（いささ）か乱暴ではあるのだけど……。女神アルジェントを信ずる者たちは、人々から銀月の信徒と呼ばれているの。教会のように組織だったものはないけれど、魔術師たちの間では広く信仰されている。魔術を修める者にとって、アルジェントはセレスティア以上に馴染みの深い存在だから……」

　なるほど、だんだんと事情が飲み込めてきたぞ。信じる者の違いによる対立かー……こういうのって、どこへ行ったって起こるものなんだな。

「本題に入りましょ。あたしはともかく、そんな相容れない相手を指名してまで依頼したいことって何なのよ？」

「二人には、とある物品の捜索を手伝ってもらいたい」

「とある、物品？」

「そこの魔女が今しがた指摘した通り、わたしには特別な位階と使命が与えられている。わたしに課せられているのは、聖遺物の回収と保護」

「せいいぶつ？」

　また、あたしの知らない単語が出てきたぞ。

　困惑する様子を察したのか、ロミが助け舟を入れてくれる。

「簡単に言ってしまえば、神がこの世に遺したとされる至宝のことね。かつて人に授けられた武具であったり、あるいは神の寵愛を受けた聖人の遺骸であったり。その在り方は様々とされているわ」

「聖遺物は、そのいずれもが人の手に余る力を秘めている。故に教会ではそれらを厳重に管理し、悪しき者の手に渡らないようにしている」

「最近ではそれにかこつけて、関係のない魔導具（アーティファクト）まで集め回っていると聞くけれど？」

「否定はしない。しかし、それらが人に過ぎたる力である点では同じこと。神の代行たる我々が正しく管理し、来たるべき時に備えるのが最も望ましい」

　もっともらしい理屈を並べてはいるが、実態はどうだか。

　あたしの国でもそうだったが、神仏の使いと称した生臭坊主などどこにだっている。清廉潔白なふりをした連中ほど、裏では何をしてるかわかったもんじゃないのだ。

　……などと考えている傍らで、ロミはリーシャに対して静かに問いかける。

「質問、いいかしら。聖遺物の存在は秘匿とされており、本来なら教会外部の人間に関わらせるようなものでないはず。一介の冒険者に支援を乞うことなど、あり得ないのではなくて？」

「それが二人を名指しする理由でもある。他のパーティとの繋がりが薄いあなた達であれば、秘密を守らせることが比較的に容易い」

「あたし達が、誰かに情報を売る可能性とか考えないの？」

「当然、秘密は厳守してもらう。教会の内部には、情報を隠匿するための手段が無数に存在している。滅多なことは考えない方がいい」

「じょ、冗談だって。そんなことしないから、睨むのやめてってば」

　無表情のまま淡々と詰めてくるから、怖いこと怖いこと。

　リーシャは小さくため息をつき、再び会話を続ける。

「もっとも、あなた達の素行はすでに調べさせてもらっている。他人に情報を売るような器用さは、持ちあわせていないだろうと教会は判断した」

　それはそれで、馬鹿にされてるようで癪（シャク）なんだけどなー。まあ実際、そんなセコい手を使って小金を稼ぐ気は毛頭ないけど。

「加えて、教会内も人手が足りていないという実情がある。聖遺物の回収には危険を伴うことも多く、探索に回せる聖職者の数は決して多くない」

「疑問はもう一つ。教会の聖遺物探索は、それこそ何百年も前から停滞している。今さら、新しい聖遺物が発見されるとは思えないのだけど？」

「だからこそ、わたしがこの国に派遣されてきた。知っての通り、この近辺には手つかずのままで放置された古代遺跡が数多く遺されている。その中の一つに、我々が求める聖遺物が眠っていると教会は結論付けた」

　メルヴィール騎士王国の東側にあたるこの地域には、かつて大陸全土を支配していたという帝国の遺構があるそうな。

　熟練の冒険者はおろか、王国騎士団のエリートですら手を焼く強力な魔物が徘徊しているため、調査は遅々として進んでいないらしい。つい先日、あたし達が王統種を討伐した場所も、そういった遺跡の類いだったりする。

　話は大体見えてきた。要するに、誰かが間違ってその聖遺物とやらを掘り返してしまわないよう、先んじて確保したいって訳だ。

「報酬は前払いで金貨百枚。成功時にはさらに二百枚を支払う用意がある」

「に、にひゃっ……！？」

　リーシャが提示した金額は、下手をすれば数年は働かずに暮らしていけるほどの大金だった。ロミと報酬を山分けにしたとしても、あたしが刀の代替品を鍛冶屋に依頼した際に吹っかけられた金額を超えている。

「光王教会は、それだけ本件を重要と判断しているということ。そして、この報酬には依頼内容の一切に対する口止め料も含まれている」

　充分な金額を支払うことで、情報を漏らす気を起こさせないつもりか。それならば、この破格の報酬も頷ける話だ。

　さて、この依頼どうしたものか。

　正直、あたしは受けても構わない。……いや、はっきり言おう。受けてみたいと思っている。

　別に、報酬に目がくらんだという訳じゃない。未踏破の古代遺跡ともなれば、そこに巣食う魔物たちも強敵揃いに違いない。その中には、先のオーガー・ロードすら凌ぐ化け物が混じっている可能性だってあるのだ。

　苛烈な死線を潜り抜けてこそ、人はさらなる高みに立つことができる。強さを求めるあたしにとって、これほど願ったり叶ったりな依頼はなかった。

　しかし、問題はロミの方である。

　彼女が教会を快く思っていないことは、誰の目にも明らか。むしろ、毛嫌いしているといってもいい。

　依頼そのもののリスクが高そうなことも相まって、慎重派の彼女が首を縦に振ってくれるかどうか。

　先に述べた通り、あたし達は正式なパーティを組んでいる訳でもない。こちらの我儘（ワガママ）に、ロミが付き合う義理などないのだ。

　いざとなれば、あたし一人で……って訳にもいかないんだろうな。

　恐らくリーシャが欲しているのは、あたしとロミ二人分の戦力。どちらが欠けたとしても、依頼達成には不十分と判断するだろう。

「ねえ、ロミ。あなたは気乗りしないかもしれないけど、」

「受けるわ」

「だよね、言うと思った。でも、聞いてロミ。あたしはこの依頼……って、あれ？　今、なんて……」

「受けると言ったの。聞こえなかったかしら？」

　どう説得したものかと思案していたのだが、ロミはいともあっさりと承諾してしまった。さっきまであれだけ嫌そうにしていたくせに、一体どういう風の吹き回しなのだろうか。

「……本当にいいの？　この話、てっきりロミは蹴るとばっかり思ってたんだけど」

「こんな依頼、引き受けたくないのは山々なのだけど……私にも、少しばかり事情があってね。ここで依頼を断ったとしても、いずれ逃れられなくなる。そうなのでしょう、リーシャ？」

　不意に投げかけられた問いかけに、リーシャは肯定も否定も示さなかった。感情の読めない瞳で、ただじっと見つめ返すのみ。双方に流れる微妙な沈黙に困惑していると、ロミは苦笑いを浮かべながらこう続ける。

「それに、私が断ればレイリは一人でも引き受けようとするでしょうに。顔に書いてあるわよ？　強敵と戦えることが、今から楽しみで仕方ないって」

「うぐっ！？　そ……それはまあ、否定できない、けどさ……」

「あなたの戦闘狂ぶりにも、ほとほと呆れたもの。まったく、困った子ね」

　こういう時のロミは、年上ぶってて少し苦手だ。普段は喧々囂々（けんけんごうごう）と言い合う間柄だというのに、完全に子供扱いされて調子が狂ってしまう。

　そんなあたしの気を知ってか知らずか、リーシャは相変わらずの無表情で淡々と訊ねてきた。

「話はまとまった？」

「ええ。レイリもそれで異存はないわね？」

「あ、当ったり前でしょ！　こうなったら、何が何でもその聖遺物とやらを見つけてやるわよ！！」

　そう、と素っ気なく相槌を打つと、リーシャはテーブルの上にこの一帯の地図を拡げてみせた。地図に記された地点を指差しながら、解説を続けていく。

「場所はここから北東に位置する湿地帯の奥地。教会の調査で地下に巨大な空洞が確認されており、目標の聖遺物はその最深部に眠っていると推測される。遺跡の内部には、強力な竜種や悪魔（デーモン）の類いも生息しているらしいと報告があった」

「概ね理解したけど、聖遺物ってのがどんな代物かわからないのが問題ね。あたし達だけで、そんな物を見つけられるのかしら」

「心配に及ばない。対象の聖遺物は、それ自体が特別な神気を帯びている。聖遺物が放つ気配を感知し、追跡できる者が同行すれば済むこと」

「え、それってまさか……」

　リーシャの台詞が意味するところを察し、あたしは頬を引きつらせた。この場において、そんな芸当ができそうな人間といえば一人しか該当しない。そして、その嫌な予感は見事に的中する。

「わたしが案内役を務める。あなた達の役目は、わたしを遺跡の最深部まで送り届けること」