セントポリオン山の麓

 とうとう馬車が止まり、檻から引き摺り下ろされると、エリザベスの手足についた枷が外された。すでに手足の感覚はなく、意識も朦朧としている。気力と矜持だけで意識を保っている状態だった。



 枷の当たった手首足首は皮がめくれ、血がこびりついている。よろよろと地面に力なく降り立つと、兵士の一人が剣でエリザベスの足首を斬りつけた。


「ああっ!」


 衝撃が身体中に走り、地面に倒れ込み拳を握りしめ痛みを堪えようとするものの、呻き声が口の端から漏れる。痛みで気を失いそうだ。


「お、おい!何をする!?」


 それを見て慌てたのは別の兵士たちだ。彼らの仕事はこの麓まで罪人を運ぶこと。それなのに、見せ物のように罪人行脚をさせ、到着を遅れさせたのも、たった今剣を振り上げた兵士の仕業だった。王妃からその権限を受けたと言い、わざわざ遠回りをさせたのだ。


「ふん!枷が外れて、とち狂うかもしれん。逃げられない様に足の腱ぐらい切っておかないとな!」


 兵士はそう言ったが、大した物も食べていなかったエリザベスに、そんな気力も体力も残っていない。それは誰がみても明らかだったのに。この一ヶ月の間、行く先々で石や汚物を投げつけられ、目は腫れ手足首も枷に擦られて化膿し、ひどい有様だったのだ。


「馬鹿なことを!山神様は血を嫌うと知らないのか!」

「え、えぇ?そうなのか?」

「なんで知らないんだよ!?山神様に罪人を運ぶときは、麓の村で禊をさせるんだ。そん時に汚れを落としてから山神様に委ねるんだよ。その前にお前が勝手に傷つけたとあっては祟られても知らんぞ!」

「な、なんだよ、山神なんて、迷信だろう!?誰も信じてないぞ、そんなもの!あの山は磁場がおかしいから生きて出れねえって話だ」

「磁場だけでそんなおっかねえ話が出るかよ!王妃様に何を命令されたのか知らんが、祟られるのはお前だけだ!」

「俺たちは関与してねえからな!お前のせいだ」

「な、なんだよ、お前ら!ここまでひどい目に合わせてきたの、誰も止めなかったじゃねえか!同じ穴のむじなだろ!そ、それに石を投げたり汚物をぶっかけたのはみんな街の連中だ、俺じゃねえ!」

「直接切りかかったのはお前だろうが!」


 ここまでエリザベスを連れてきた兵士たちが言い合いをしていると、麓から村の長老が血相を変えてやってきて、状況を把握し青ざめた。



「何とひどい仕打ちを!罰当たりめ、お主らに災いあれ!山神様は見ておるぞ!祟りが恐ければ早々に去るがいい!」

「「「「ヒィッ!」」」」


 言い合いをしていた兵士達は慌てて馬車の向きを変え、血に濡れた剣を手にしていた男を置いて、早足で駆け出した。


「ま、待てよ!おい!こんなジジイの脅しくらいでびびってんじゃねえぞ!」

「脅しかどうかは身をもって知るがいい、若いの。生きて王都まで戻れればいいがな」

「くっ、くそっ!」


 村長の言葉と共に、ぴゅうと北からの風が吹き男の頬を引き裂き、パッと赤い血が飛び散った。


「う、うわぁっ!?」


 男は青ざめて踵を返し、他の兵士たちを追いかけて逃げ出した。それを見た村長はふん、と忌々しそうにため息をつき、エリザベスの横に膝をついた。


「可哀想に。必要以上に痛めつけることなどせずともいいだろうに…ああ、これは酷い。痛かっただろう」


 すっかり弱り果てはくはくと呼吸も荒く、足の痛みに眉を顰めて震えるエリザベスだったが、気丈にも声をあげず歯を食いしばる姿を見て、眉を顰めた村長はぴゅうッと指笛を吹いた。


 途端に颯爽と屈強そうな男が現れて、糞尿まみれで血に汚れているのにも構わず、エリザベスをそっと抱き上げた。


「ああ、こりゃ酷えな。すぐ治療するからな婆ちゃん。ちょっと我慢してくれよ」

「よ、汚れてますから…っ!」

「ダイジョーブ、ダイジョーブ。心配しなくてもいいぜ」


 この一ヶ月という物、石を投げつけられたり腐ったものや汚物を投げつけられて心が挫けそうになっていたのだ。ここまで人々が、国民が、悪鬼のように表情を変えて怒りを向けて来る姿に。無情にも物を投げつけて来る姿に慄いた。久々に触れた人情にエリザベスは驚き、思わず涙をこぼした。


「あ、ありがとう、ございます…。わたくしの様な者に丁寧に対処していただき、心から感謝いたします」

「お?おう、まあ。別にいいけどよ。馬鹿丁寧な婆ちゃんだな。元貴族とかそういうのか」

「おい、ハンター。罪人の身分は聞かねえ決まりだろ」

「あ、ああ。そうだった。悪いな婆ちゃん」


 エリザベスは、自分が口を聞くことでハンターと呼ばれたこの優しい青年に咎が行く事を恐れて、慌てて俯き、口をつぐんだ。

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