契約ノ対価
嵐山之鬼子(KCA)
前編
「くそッ! その身体は俺のものだ! 返せ!」
己が胸元くらいまである大きな剣を、よろけつつも振りかぶった可憐な金髪少女が、見かけに似つかわしくない乱暴な口ぶりで、目の前の漆黒の化け物に食ってかかる。
『ゲッゲッゲッ……ヨイノカ? 汝ノ体ハ、我ガ魔力ニヨッテ最適化サレ、スデニ汝ラ“人”トハ似テモ似ツカヌ姿トナッテオルガ』
「くっ……悪魔め」
『心外ダナ。絶対的逆境ヲ引ックリ返ス奥ノ手トシテ、我ヲ呼ンダノハ汝ラデアロウ?
正当ナル契約ノ対価トシテ、汝カラハコノ肉体ヲ、ソチラノ王女カラハ魂ヲ貰イ受ケタノダ。
オマケニ、さーびすデ行キ場ノナイ汝ノ魂ヲ、空ッポノ王女ノ肉体ニ入レテヤッタト言ウノニ……』
“人型をした黒い竜”とでも呼ぶべき存在は、意外に人間臭く肩を竦める。
『ソレニ、我ニトッテハ些細ナコトダガ、汝ラニトッテ、ソノ王女ノ存在ハ、今後モ必要ナノデハナイカ?』
痛い所を突かれて、沈黙する王女(?)。確かに「ソレ」の言う通り、“彼女”達、王党派にとっては、盟主であり旗頭でもあるリアンナ姫の存在は不可欠だ。
隣国の口車に乗って王位簒奪を企て、王都を占拠した貴族派との戦いは3:7で王党派が劣勢だった。
その戦力差を埋めるべく、禁断の“喪われた神”の召喚をリアンナ姫は決意し、護衛の騎士たるアイクひとりを伴に、秘密裏に儀式を執り行ったのだから。
召喚儀式自体は成功し“喪われた神”の一柱、「姿なきグルゲドゥ」が降臨した──まではよかったのだが、その後のやりとりがマズかった。
『──ヨカロウ。ダガ、我ノ協力ニハ対価ガ必要ダ。汝ラニモ協力シテモラウゾ』
召喚されたグルケドゥが、声とも念波ともつかないもので意志を伝えて来る。
「えぇ、もちろんです。わたくしは、全身全霊をかけて、貴方に協力致します!」
「ひ、姫様! そんな……」
あまりに潔い──潔過ぎるリアンナの言葉を慌ててアイクは咎めるが、彼女は譲らなかった。
「いいえ、アイク。わかっているでしょう? このままではわたくし達は勝てない。
ならば、イセリア王朝の血を引く最後のひとりとして、わたくしは自分にできることをこの魂のすべてと引き換えにしても成し遂げねばなりません」
「姫様……わかりました。未熟者ではありますが、私も姫様同様、正統イセリアの復権にこの身の全て捧げます!」
自らの主にして憧れの君であるリアンナ姫の言葉に若き騎士は感動する。
──あるいは、この時、彼がそんな感情に流されず、冷静に対処していれば、後々の結果もまた違ったのかもしれない。
『──話ハマトマッタヨウダナ。デハイクゾ』
魔法陣の中に浮かぶ漆黒の竜のような姿をしていたグルゲドゥの姿が揺らぎ、黒い霧のようなものが溢れ出したかと思うと──次の瞬間、ふたりはその霧に包まれ意識を喪った。
そして、次にアイクが意識を取り戻した時、彼は逞しい騎士とは似ても似つかぬたおやかな肢体──リアンナ姫の身体になっていた、というワケだ。
『アノ時、汝ラハ言ッタデハナイカ。「全身全霊ヲカケル」「コノ身ノ全テヲ捧ゲル」ト』
「そ、それは……」
確かに言った。しかし、それは心構え、覚悟というものだ。
まさか、本当に霊魂や肉体を取られるとは思わなかったのだ!
『マア、アキラメヨ。イズレニセヨ、我ガ現世デ“力”ヲ振ルウタメニハ“器”ト“燃料”ガイル』
おそらくはあの霧状の姿がグルゲドゥの本体なのだろう。確かに不定型なままでは不便だろうから、“器”としてアイクの肉体が選ばれたことは、百歩、いや千歩譲れば理解できなくもない。
しかし──ならば、「燃料」とは?
『無論、我ガ神通力ノ源トシテ消費サレル、王女ノ魂ダ』
「そ、それじゃあ、姫様──リアンナ様は、もう……」
事態を理解した元騎士である“姫”の、言葉にならない慟哭が石造りの部屋に響きわたった。
* * *
──忍ぶ恋、だった。
もとより、一介の平騎士と王家の姫君では身分が違い過ぎる。
それでも、若手一番のホープと目されていたアイクが騎士団長クラスにまで出世し、またその頃まで第三王女のリアンナが嫁がずにいたら──そして、イセリア王家が健在であったなら、あるいは可能性はあったのかもしれない。
しかし、王家が斃れ、城から落ち延びたリアンナ王女が唯一の王位継承者となったことで状況は一変する。
数少ない騎士団の生き残りで、かつ王女直属の護衛騎士として、アイクはリアンナと行動を共にする機会が格段に増えたし、時には不安とプレッシャーに押し潰されそうになる想い人を、抱きしめ、口づけして慰めることも多々あった。
周囲もふたりの仲にそれとなく気づきつつ、それでも王女の心の支えになるなら、と見て見ないフリをしていたのだ。
だから、「正統イセリアの復権にこの身の全て捧げる」という言葉に嘘はない。その“正統イセリア”が自分の中ではリアンナ王女と等号で結ばれるものだとしても。
それなのに……。
喪われた最愛の女性を悼む涙が枯れ果てた頃、リアンナ姫──の姿をした騎士アイクは、その剣を杖にゆっくりと立ち上がる。
火事場の馬鹿力なのか先ほどは振り上げられた愛剣が、今はこんなにも重い。
(──こんなにもか細い、非力な身で、リアンナ様は……)
数万の王党派軍とイセリアの国民たちの期待の声に応えて、第一線に立ち続けてきたのだ──反逆者共の手から国を取り戻し、再び平和と安寧を故国にもたらすために。
そのことを思い知らされた「彼女」の瞳からは、悲哀に代わって決意の色が窺えた。
「改めて訊く。グルゲドゥよ、我らふたりと貴方の間で誓願契約が結ばれた、と見てよいのだな?」
『然り。すでに対価は得た。よって、我は、汝らの願い事──国外勢力の追放と、正統イセリア王朝の復興の実現に関して、全力を尽そう』
そう、アイク──“リアンナ”に告げるとともに、黒竜人形態のグルゲドゥの身体から、再び黒い靄のようなものが噴き出したかと思うと、全身を覆い尽くす。
「え…う、うそ……お、俺!?」
数秒後、靄が晴れた時、そこには先程までと変わらぬ姿の「王女の近衛騎士アイク」が立っていた。
いや、まったく変わらないワケではない。輝く白銀の
「ぐ、グルゲドゥ、なの、か?」
恐る恐る聞く“リアンナ”に向かって、“アイク”の姿をした男は傲然と頷く。
「然り。この姿の方が、お主の傍にいるには都合がよかろう? まぁ幻術の類いだが、そう簡単に人には見破れぬよ」
「だ、だが、いくら姿を真似ても、オレの口調や行動は……」
「──これは、異なことを申されますな、姫様。私が、姫様に心の底から忠誠を捧げ、ひとりの女性としての貴女を全霊をかけて愛する騎士アイク以外の何者だとおっしゃられるのですか?」
多少キザになった印象はあったが、その口調や仕草は騎士として振る舞う際のアイクそのものだった。
「え!? どうして……」
「ふん、肉体に残る記憶を読みとったのだ。新米姫君よ、お主も意識すれば同じことができるはずだぞ」
「!?」
そう言われて、無意識に“リアンナ”は自らの内に意識を向け──そして、膨大な記憶の波に一瞬にして翻弄される。
昨夜、この儀式に臨む決意をした時の想い。
弱気と恐怖を抑え、盟主として味方を鼓舞する時の虚勢。
城から落ちのびた時のやるせなさと悲しさ。
在りし日の城で過ごした幸せな日々……。
「おいっ! こらっ!!」
ガクガクと身体を揺さぶられて、“リアンナ”──いやリアンナの姿をしたアイクは、ようやく意識を取り戻した。
「い、今のは……」
「記憶の波濤に飲まれたのさ。魔術の素人にはよくあることだ。危なかったな。意識を取り戻さなければ、そのままお主はリアンナ姫そのものに同化していただろうさ」
そこまで言って、ニヤリと笑う“アイク”。
「いや、あるいはその方が、これから先のことを考えるなら、幸せだったかもしれんがな。自分を見失い、“リアンナ姫”になりきっていた方がな」
「クッ……」
男の手から身をもぎ離して少し距離を取り、自らの肩を抱く“リアンナ”。
“彼女”は意識していないかもしれないが、そこには先程までは見られなかった“女”としての艶めいた仕草が見てとれた。
確かに、先程の記憶は彼だった彼女に少なからぬ影響を与えているのだ。
「そう怖い顔をするな。我は、少なくともお主から求めぬ限り、無理に男女の仲を迫ったりせぬよ。それより──姫様、そろそろ砦に戻られた方がよろしいのではないでしょうか?」
カッチリとした、下手したらアイク本人より礼にかなった仕草で、“リアンナ”の前で片膝をつき、頭を垂れる“アイク”。
「! …………そう、ですね。目的を果たした以上、長居は無用です。帰りましょう、“アイク”」
事情を知るふたりにとってはこの上ない茶番だ。しかし、その茶番が、これからは必要になるのだ。
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