推理「閉ざされた館」——あなたにこの謎が解けるか?

雨色銀水

導入編

 その日、僕——栗澤くりさわ 奏兎そうとは、同僚の刑事と共に事件現場へと急行していた。事件があったのは、N県のとある村——『雪見荘ゆきみそう』と呼ばれる、村の名士である如月きさらぎ氏の別荘だった。


「暮月さん、事件の概要はどんなものなんですか?」


 車で雪深い道を進みながら、僕は助手席の相棒に声をかけた。その瞬間、ガタンと大きく車体が揺れ、暮月刑事はもともと悪い目つきをさらに凶悪にする。だが、彼の目つきと性格はそれほど関連がないため、僕は気にせず質問を繰り返す。


「あー……、事件の概要? 改めて説明が必要なのか?」

「お願いします。わかっていることだけで構わないので、復習させてください」

「わかったよ。ったく、しゃーねえな。……ちょい待て、今資料出す」


 人の行き来のない雪道は、どんなに頑張っても軽快に、とは進めない。エンジンが唸りを上げる中、暮月はごそごそとカバンを漁り、資料を取り出す。


「えーっと、あったあった。じゃあ、ざっとおさらいしてみるかね」

「お願いします」


 事件発生の通報があったのは、本日早朝8時のこと。通報者は『如月 琴音』。事件現場となった『雪見荘』の所有者、『如月 源蔵』の娘だ。


 彼女からの通報によると、『雪見荘』にある離れにおいて、父親である源蔵氏が亡くなっているとのことだった。琴音嬢はひどく錯乱した様子ではあったが、源蔵氏が『ナイフで刺されて死んでいる』ことを伝えてきた。


 そのことから、状況確認のため、現在我々は事件現場へと急行しているのだが——


「しっかし、なかなか進まねえな。このままじゃ、到着は昼頃になっちまう」

「焦っても仕方ないですよ。太陽も出てきましたし、雪も少しは溶けてくれるはずですから」


 ぐちぐちと言いながら唇を尖らせる相棒に苦笑いして、僕はまっすぐに前を見つめる。


 目の前に広がるのは、雪に覆われた車道と枝に白い塊を積もらせた木々の群れだけ。人里離れた場所にある町で、どんな事件が起こったというのだろう——?


「雪見荘、か」


 太陽は明るさを増し、次第に雪も溶け始める。それが吉兆だと、この時の僕は信じて疑わなかった。


 ※


 雪見荘に到着したのは、正午を少し回った頃だった。

 その頃になると、深夜から降り続いた激しい雪が嘘のように、空は青く晴れ渡っていた。僕の想像通り、雪ははっきりとわかるほど溶け始め、場所によっては水たまりやぬかるみに変わっている。


 車を路肩に止めた僕たちは、屋敷のインターフォンを鳴らした。するとすぐに応答があり、使用人らしき男性が現れた。彼は執事の『岡元』と名乗り、落ち着いた様子で屋敷の中へと案内してくれる。


「……何だろうな。嫌な予感がする」


 暮月の呟きに、僕は特に同意しなかった。けれどそれが真実だと知ったのは、事件の詳細を確認した後だった。


 ※


「先行していた鑑識は到着してるみたいだな」


 屋敷の離れは、一見すると豪華さなど何もない、よくある小さなログハウスのように見えた。


 雪見荘が重厚な洋館であるのに対し、離れの外観は不釣り合いなくらい素朴だ。そのことに暮月は「意味がわからん」と呟いていたが、僕は再びスルーして顔馴染みの鑑識官に声をかける。


「ああ、お疲れ様です。栗澤さん、到着が遅れているようなので心配しておりました」


 気さくに応えてくれたのは、年配の鑑識官だった。手短に挨拶し、現場検証の結果を確認すると、彼は人の良さそうな顔をわずかに渋くさせる。


「一通りの現場検証はすでに終わっていますが……栗澤さん、どうもこれ、少々厄介な事件かもしれませんよ」



 〜現場検証報告書〜


 被害者は『如月 源蔵』(61)。胸部と腹部を数回刺されており、倒れている床に大量の血痕があることから、失血死と推測される。


 死亡推定時刻は、本日午前4時から午前7時の間。午前4時頃に被害者が、内線電話で使用人と会話していることから、死亡したのはそれ以降と推測される。


 凶器である果物ナイフは、遺体のそばで発見されている。使用人によれば、そのナイフは数日前から離れに置かれていたものであるとのこと。


 その他遺留物は発見されていない。また、現場である離れの扉は鍵が開いており、第一発見者である『如月 琴音』も鍵は最初から開いていたと証言している。また、離れの鍵は被害者のそばに落ちており、スペアキーもないとのこと。



「これ自体にそれほどおかしな点はないように思いますが」

「ええ、そうなんですがね。妙なのは、この部分なんですよ……」



 現場へと続く道に積もった雪には、足跡が一往復分だけ残されていた。この足跡は、第一発見者の琴音嬢のものである。


 現場の離れにたどり着くためには、雪見荘の裏手にある扉から外に出る以外方法はない。しかし琴音嬢によれば、父親の様子を見るため、午前7時頃に離れへ向かった時には、とのことだった。



「……つまり、どういう事なんだ」

「つまり、雪が積もった後、離れへの道を歩いた人間はいない……ということですね。雪が降り始めたのは……ええと、記録では深夜1時頃。雪が止んだのは4時頃か……。死亡推定時刻も、午前4時から7時の間、ということは、犯行があったのは雪が止んだ後、ということになるのかな」

「だったらおかしくないか。犯行時間が雪の止んだ後なら、少なくとも、出て行く足跡は残るだろ?」


 そう、それがおかしな点なのだ。僕たちは無言で規制線の向こうにある道を見つめた。しかし、時すでに遅し。雪は溶け始め、証拠となるものは消え行こうとしていた。

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