第88話 兄と弟

 互いにワインに口をつけ、夜風にあたる。先に口を開いたのはクインだった。


「……幻魔歴はどんな世界だったのです?」


「世界規模の戦いが50年以上も続いている世の中だったよ。魔法の祝福を受けられる者はより制限されて貴重な存在になっていたし、魔法で発展した豊かな世界とは程遠い世の中だった」


 幻魔歴よりさらに昔は、魔法の力でそれなりに便利な生活が送れていたらしいが。生活レベルは今と大差ない。


 いや、国家規模の争いが日常でない分、今の方が過ごしやすい。


「人々も心が疲れ切っていたし、まさに混沌の時代ってやつだったんだろうな。でもそんな世の中だからこそ、早く戦乱を終わらせたいと自ら戦場に出る勇者も多かった。群狼武風もその一つだな。幻魔歴末期は多くの英雄を生み出した時代でもあった」


 苦しい日々だったが、それは俺が新鋼歴を知っていたからだ。その時代で生まれ育った者は戦乱の世が当たり前だし、村人であっても人の死は非常に近い位置にあった。


 今の時代の人よりも、精神的に強い人が多かったように思う。


「まさか12でそんな世界に放り出されるとは思っていなかったからな。直ぐに群狼武風に拾われた俺は、かなり運が良かった。俺自身生きるのに必死で、やがて自分や仲間、金のために人を殺す事が普通になっていった」


 傭兵稼業なんて、だいたいみんなすぐ死ぬ。当時はそういう時代でもあった。


 だが俺は奇跡的に生き抜く事ができた。何とか肉体の成長に合わせて、傭兵としての技能を高めていく事ができた。


「……きっと想像を絶するほどの戦場を渡り歩いてこられたんでしょうね」


「お前こそ。帝国の先兵として戦場で戦い、剣一本で立身出世を叶えたんだろ? 軽く調べたが、誰でもできる事じゃない。昔からアランの剣術授業も真面目に受けていたし、元々才能もあったとは思うが。帝国でディグマイヤー家を再興するなんて、すげぇじゃねぇか」


 俺にとっては10年ちょっとぶりの。そしてクインにとっては30年ぶりの兄弟の会話になる。


 これまで互いにどういう生を歩んできたのか。互いに話は尽きない。


「はは。剣の方は大きく差をつけられたみたいですが」


「魔法なしなら分からんだろ。もちろん負ける気はないが」


 ついつい張りあってしまうのは傭兵としての性分か。それとも兄としての威厳を保ちたいのか。


「……アドルナー家ではどういう生活を送っていたんだ?」


「義父さんは……よくしてくれましたよ。ルングーザ王国から人身御供の様に追い出された母さんたちを哀れに思ったのでしょう。母さんを第三婦人として迎え、私たちに帝国貴族としての身分を与えてくれた」


 だが貴族界で見ると、アドルナー家はともかくどうしてもクインたちの立場は弱い。何より旧ルングーザ王家やローブレイト家が、帝国の上級貴族として迎えられているのに納得がいかなかった。


 そこでクインは貴族としての基盤の弱さを、剣一本で固めようと決意したそうだ。


「……何もしてやれなくてすまなかったな」


 クインたちに対してずっと気まずいと感じていた点だ。酒の助けもあったのか、俺はすんなりと口にする事ができた。


 だがクインは首を横に振る。


「今日まで苦労したのも、そして互いに何もできなかったのもお互いさまですよ」


「そうだな……。ま、これまで何もできなかった分は、これから返していくという方向で……」


「ふふ。それは心強いですね」


 特にわだかまりがあった訳じゃない。単に俺が気まずいと感じていただけだ。それもこうして直接言葉を交わして、いくらか和らいだ。


「そういえば母上は……?」


「ご健在ですよ。今も帝都のアドルナー家の屋敷で暮らしています。……お会いになりますか?」


「……いや。今は……いい。俺も帝都に住んでいるんだ。どこかで会う機会もあるだろう」


 クインの話によると、ディナルドはアドルナー家の当主ではないらしい。


 母上の再婚相手はディナルドの父であり、今の当主はディナルドの義兄だという事だった。


「そういや音楽祭で、ルングーザとローブレイトの奴らを見たぜ。ったく、気分が悪いったらありゃしねぇ」


「そういえばあの時、よく騒ぎを起こしませんでしたね」


「エルヴァールの顔もあるしさすがにな。何かの機会に復讐はしたいと思っているが」


「くれぐれも騎士団と揉め事を起こす様な事はしないでくださいよ。……そういえばエルヴァール殿とは、いつの間にあれほど距離を詰められたのです?」

 

 クインには簡単にエルヴァールとの経緯を話す。どちらかと言えば穏健なエルヴァールと黒狼会が繋がるきっかけになったのは、やはりハイラント家と冥狼がやり過ぎたからだろう。


 騎士団も当初は、エルヴァールこそが閃刺鉄鷲の刺客を使っていると考えていたらしい。まぁおおよそエルヴァールから聞いていた通りか。


「メルも元気そうで良かったよ。お前らに子供がいると知った時はさらに驚いたが」


「そういえば、リーンハルトとも会ったのですよね?」


「ああ。なかなかいい名前を付けたじゃないか」


 俺は懐から首飾りを取り出す。かつて父上からディグマイヤー家の跡取りにと受け継いだ物だ。それをクインの前に差し出した。


「それは……」


「お前も知っていたみたいだな?」


「昔見せてもらった事がありましたから。それに父の書き記した書物の中にも、首飾りについて書かれたものがあった」


 既にシャノーラの込めた力は失われているが、こいつも俺と同じく様々な時代を渡ってきた物だ。そして実際に俺の命を救ってくれた。


「これを持つのは、ディグマイヤー家の再興を成し遂げたお前にこそ相応しいだろう」


「しかし……」


「今の俺はただのヴェルトだからな。父上も帝国でディグマイヤーの名を打ち立てたお前こそが、自慢の跡取りだと喜んでいるはずだ」


 クインはしばらく黙っていたが、やがて首飾りを手に取るとそれを懐にしまい込んだ。きっとこれからは、クインの子孫に代々受け継がれていく事になるのだろう。


「今度、良かったらリーンハルトに剣の稽古でもつけてやってください」


「おお、一応俺の甥にあたる訳だしな! もちろん悪い様にはしねぇよ。なんなら好きな時に遊びに来てくれて構わない」


「ありがとうございます。……メルには言わないのですか?」


 メルか……。あの様子じゃあいつは俺の正体について気付いていなかったな。


「まぁあの当時、メルは相当幼かったしなぁ。それこそ今さらじゃないか?」


「きっと喜ぶと思いますが……」


「そうか? ……ま、メルも機会があったらだな」


 クインとはその後もいろいろ語り明かした。群狼武風に居た時の話、クインが騎士の一員として戦場に立った時の話。また妻との馴れ初めについても話を聞く事ができた。


 クインはやはり、魔法の祝福を受けた時の出来事に一番強い興味を惹かれた様だが。


 現在ではもう誰も使えない、本物の魔法。俺たち6人はおそらく最後の魔法使いとなるだろう。それとガーディンが有名でも何でもない、飲んだくれ鍛冶師だと聞いて驚いていた。


「義兄のディナルドは信頼できます。事情を話しても……?」


「クインが信頼できるっていうなら止めやしないさ。それに身分は騎士総代なんだろ? 上で話が通じているとなれば、黒狼会としても動きやすくなるだろう。何せ結社との衝突は、ほぼ確実な上に近い」


 その時に備え、あらかじめ動きやすいフィールドを整えておくのは大事だろう。


「もしかしたら直接アデライア様の警護を手伝ってもらう事もあるかもしれません」


「協力は構わないが、平民がどうしたら皇女の近くで控えられるのか。その点は任せるぞ」


「はい。結社の最終的な目標は分かりませんが、キーとなるのはアデライア様とレクタリア。これは間違いありません」


 クインはこの後の予定を簡単に教えてくれた。どうやらアックスたちが上手く冥狼の尻尾を掴んだこともあり、リーンハルトたちと合流後はそのままテンブルク領へと入るそうだ。


 そして冥狼のボスであるキヤトを捕らえる。その功績を以て、帝都守護職に復帰するとの事だった。


「騎士総代殿はお前にそこまでの道を用意してくれているのか」


「派閥的に完全独立かつ中立な立場にいる騎士は少ないのです。さらに実績があり、同じ屋敷で育った者となると私しかいませんからね。ディナルド殿もあれで相当難しい立ち回りを要求されているのですよ」


 劇場でディナルドと話した時の事を思い出す。確かに苦労人気質な印象はあった。そんなディナルドからすると、クインには肩入れする理由がいくつかあるのだろう。


「ならアックスを貸してやる。あいつを街の案内役として使えばいい」


「え……」


「エル=グナーデは冥狼の後ろ盾になっているだろ? もしかしたらエルクォーツとかいうのが埋め込まれた奴と、戦いになるかもしれねぇ。騎士たちにはきつい相手だろうが、アックスなら問題なく対処できる」


「アックス……黒狼会最高幹部の1人にして、元群狼武風の一員。そして現在にやってきた魔法使い……」


「加えて言うと、あいつは俺の隊で副長を務めていた。例え魔法がなくても腕は確かだ」


 戦場での指揮経験もあるしな。クインの副官……とまではいかなくても、十分助けになるだろう。


 アックスには悪いが、もう少し遠出に付き合ってもらおう。


「姫様たちの帝都への帰り道には俺が同行しよう。リリアーナもいるし、仮に結社が仕掛けてきてもどうにかなるだろ。それにディアノーラも合流するんだよな? あの子も年齢の割に相当な使い手だ」


「それは……心強いですね、とても。正直、帝都までの護衛をどうしようか頭を悩ませていたのです」


 そうだろうな。敵の狙いは明確なのに、自分はこれから西へ行かなくてはならない。


 アデライアたちは帝都に戻るのに、騎士団全員を帰り道に同行させられないとなると、その護衛戦力に不安が残る。


「ま、これからもこんな感じで力を合わせていこうじゃないか」


「ええ。……それじゃ改めて」


「うん?」


「おかえりなさい、兄さん」


「……ああ。ただいま」


 俺が貴族としてクインを助けてやれることはない。だが帝都の黒狼会としてやってやれる事は多い。


 互いに歩んで来た長い旅路の果てに、年齢はおろかその立場も環境も大きく変わってしまったが。


 ここに改めて、兄弟の絆を交わす事ができた。

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