黒狼の牙 〜領地を追われた元貴族。過去の世界で魔法の力を得て現在に帰還する。え、暴力組織? やめて下さい、黒狼会は真っ当な商会です〜
ネコミコズッキーニ
第1話 ディグマイヤー家のヴェルトハルト
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
少年は明かりのない真っ暗な森をただひたすらに走る。何度も転んだのか、身に付けている豪奢な服装には似合わない土汚れが、いたるところに付いていた。
「はぁ、はぁ……!」
「まだこの辺りにいるはずだ! 探せ!」
「絶対に逃がすなよ!」
遠方から聞こえる殺気立った声に、少年はびくりと肩を震わせる。捕まったら殺されるかもしれない。いやだ。死にたくない。ここまで逃がしてくれたみんなのためにも。ここで死ぬ訳にはいかない。
「おのれ……! ローブレイト……そして王家め……!」
何故自分がこの様な危機に直面しているのか。少年はその事をよく理解していた。決して足は止めず、されど行く先に目的地はない。
少年は走り続けながら、今日までの日々を思い出していた。
■
ルングーザ王国において、一角の貴族であるディグマイヤー家の跡取り。ヴェルトハルト・ディグマイヤー。それが俺だ。
恵まれた生まれに、何不自由しない生活。まさに選ばれし者と言えるだろう。そんな選ばれし者である俺が、何故この様な座学を受けなくてはならないのか……。
「……ヴェルトハルト様。聞いておられますか?」
「あん? ……ああ、聞いてる聞いてる」
「では今日の歴史の授業の内容を、総括していただけますかな?」
まったく。なんで俺がそんな事をしなければならないのか。
こいつはローグル。俺たち兄弟の家庭教師として雇われている男だ。俺は隣に座る、弟のクインシュバインに視線を投げる。
「おいクイン。お前代わりに答えろ」
「ヴェルトハルト様……。私はあなたに……」
「まぁまぁ、ローグル様。兄はもう理解されていると思いますし、僕が総括させていただきます」
クインはよくできた弟だ。俺より2つ下で今は9才だが。将来は当主たる俺の片腕として、大いに活躍してくれるだろう。
「今より400年前。人は魔術の時代を終え、鉄の時代を迎えました……」
クインは今日学んだ内容を簡単にまとめていく。内容的にはよく知られているものだ。
昔は魔法なんて技術が発達していたが、今は使えなくなっている。代わりに金属加工の技術が伸び、人はかつての先進文明を取り戻しつつある……とかそんな感じだ。
おおよそ知っている内容が多いから、ローグルの授業は退屈なんだ。
「さすがです、クインシュバイン様。では何故魔法が使えなくなったのか。答えられますかな、ヴェルトハルト様」
ローグルは再び俺に話題を振ってくる。だが俺は何も言わずに顎でクインに促した。
「かつて大陸各王家が保有していた大幻霊石。これが400年前、全て砕けたためです」
「……そうです。大幻霊石の祝福を受けた者は魔法が使えたのです。ですがその大幻霊石が砕けたため、新たに祝福を得られる者は誰もいなくなった……」
もう終わりの時間も近いというのに、またローグルの退屈な話が始まった。俺は近代史ならともかく、そんな昔の話は興味がないのだ。そもそも魔法ってなんだ。そんなのはおとぎ話の中だけにしてほしい。
400年も前は貴族の多くが使っていたそうだが、それを証明できるものは何もない。今も「昔のご先祖様たちは魔法が使えたんだ」なんて信じている奴は、少ないだろう。
時間がきた事で、俺は席を立つ。
「ヴェルトハルト様?」
「もう終わりだろ。次は剣術の時間なんだ。着替えの準備もある。クイン、行くぞ」
「あ、兄さん……。先生、すみません」
「い、いえ……」
部屋を出ると、後ろからクインが追いかけてくる。
「兄さん……。ローグル先生の話、ちゃんと聞いてあげなきゃ。せっかく父上が高いお金を払って雇ってくれたんだし……」
「はは。ああやって仕事を与えるのも貴族の役目だろう。だいたい今どき、魔法がどうとか言われたところでどうしろというんだ。俺たちは今、鉄の時代に生きているんだぞ」
大人しく座学を受けてやっただけ、金をもらっているローグルの面目は立ててやっただろう。俺たちは訓練着に着替えると、今度は剣術担当の家庭教師の待つ庭へ向かう。
「アラン先生。お待たせしました」
「いえ。ヴェルトハルト様、クインシュバイン様。今日もよろしくお願いします」
アランもローグル同様、父上が雇った家庭教師だ。かつては王都警備隊の一員だったらしい。俺は始めこそ真面目に素振りをしていたが、やがて木陰の下に入って休み始める。
「……ヴェルトハルト様。まだ剣術授業の時間は終わっておりませんぞ」
「そんなのは分かっている。だがもう十分過ぎるくらい、剣を振っただろう?」
ディグマイヤー家の跡取りたる俺が、これだけ剣を振ってやったんだ。アランの仕事としてはもう十分だろう。
「ヴェルトハルト様。クインシュバイン様はまだ続けておられます」
「ふん。ディグマイヤー家の跡取りたる俺が剣の腕を磨いて、どうなると言うんだ。実際に戦場に出て戦う訳でもあるまいし」
「しかしクインシュバイン様は……」
「アラン先生。僕は剣が好きですから。それに兄が休んでいる分、僕が倍剣を振りますよ」
クインは本当によくできた弟だ。それにディグマイヤー家の次男だし、当主になれない以上何か一芸を身に付けておくのは悪い事じゃない。
俺はそのまま木陰で目を閉じた。そうして次に目を開けた時。アランの時間は終了していた。
「兄さん……。アラン先生、残念そうだったよ」
「アランにはお前という優秀な弟子がいるからいいだろ。だいたい何で俺が……」
「お兄さまー!!」
声がした方を見ると、妹のメルディアナが走ってきていた。その後ろからは慌てた様子でメイドたちが追いかけてきている。
メルディアナの年齢は6才。まだまだはしゃいでよく転げる年頃だ。メイドたちは転倒を心配しているのだろう。
「メル! 危ないよ、そんなに走ったら……」
「ねぇ、お兄さま! もう今日の授業は終わったんでしょ!? 一緒に遊びましょ!」
「メル……。ちょっと待ってね、着替えなきゃ……」
俺はその場で立ち上がると、クインに向かって口を開いた。
「良いじゃないか、このままで。メルに引っ張られたらすぐにこけてしまうしな」
「兄さん……」
「やったぁ! それじゃあ、昨日の魔法使いごっこの続きをしましょ!」
ディグマイヤー家はルングーザ王国において、広大な領地を持つ。隣国ゼルダンシア帝国と直接面しているが、王家からは帝国の玄関口となる地を任されているほど、信頼厚い家である。
俺たちはその当主の子として生を受けた。将来俺は家を継いで当主に、クインはディグマイヤー領統治を補佐する立場に。メルは……どこかの家の嫁に行くか、婿をとってクインと同じく俺を補佐してくれるだろう。
「ふ……」
「? どうかした、兄さん?」
「いや……」
ディグマイヤー家の将来は安泰だな。父上と母上ももうじき王都からお帰りになる。またいろいろ土産話を聞かせてもらえるだろう。
■
いつもと変わらぬ日々を過ごして約10日後。父上と母上が王都よりお帰りになられた。俺たちは久しぶりに、共に食事をとりながら話をしていた。
「そうか。とにかく変わりない様でなによりだった」
「ええ。父上が留守の間は叔父上がよく面倒を見てくれましたから」
久しぶりの家族団らんの時間だ。メルもはしゃいでいるし、クインも嬉しそうだ。
俺も父上が、王都で当主としての務めを果たしてきたと思うと、誇らしい気持ちになる。
そうして食事が終わってしばらく。俺は一人、父上に部屋へ呼ばれた。
「父上。ヴェルトです」
「入れ」
許可をもらい、父の部屋へと入る。父は難しい顔で机に座っていた。
「父上。この様な時間にどういった要件でしょうか」
「……お前たちには幾人かの家庭教師を付けているが。どうだ、彼らは。役に立っているか」
「はい。父上が見込んで私たちの教育係に付けてくれた者たちです。当然でしょう」
俺の言葉を聞き、父上は小さく息を吐く。
「お前はあまり勉学に集中していないと聞いたのだが」
「おや、そうなのですか? 次期ディグマイヤー家当主として、相応しい教育は受けていると自負しているのですが」
「……まぁ良い。お前を呼んだのは、この様な話をするためではないのだ」
そう言うと父は杯に手を伸ばし、喉を潤す。
「王国法では長男が家を継ぐ。誰がどう言おうと、ディグマイヤー家の次の当主はお前だ」
「はい」
それは分かっている。跡目争いは国力を削ぐ事に繋がりかねないからな。王国はそうしたリスクを防ぐために法を定めたのだ。
「お前ももうすぐ12になる。そろそろ我が国と我が領地の現状について話しておこうと思ってな」
父上の表情が変わる。これから話される内容は、俺に当主としての自覚を促すためのものだろう。
「現在、我が国はゼルダンシア帝国と睨み合っているのは知っているな?」
「はい。ですが峡谷に建設されているアードラス要塞は、これまで帝国の侵攻を何度も食い止めてきました」
ゼルダンシア帝国は大陸の大部分を支配する大帝国だ。しかし地政学的に我が領を抜くのは難しく、これまで何度も侵攻に失敗してきた。
「今、王国貴族はゼルダンシア帝国と親交を図るべしという者たちと、断固戦うべしという者たちで分かれている」
「なんと……!」
父上は王都であった貴族会議の内容を教えてくれた。ゼルダンシア帝国と直接面しているのは我が領だが、他領の中には帝国に降った王国と面している領地もある。
年々そうした方面から、帝国からかけられる圧力は強くなっており、ルングーザ王国も帝国との友好路線に舵をきるべきでは、という声があがりつつあるとの事だった。
「父上はどちらなのです?」
「徹底抗戦派に決まっておるだろう。むしろそうした派閥をまとめあげている立場だぞ」
「おお……。さすがです」
友好路線派は王女を嫁がせ、帝国との共存を考えているとの事だった。しかしこれに大きく不快感を出したのが他ならぬ父だ。
我が領は過去、何度か帝国と戦ってきたため、元々帝国と友好関係を結ぼうという気はない。さらにその王女は、先代王よりディグマイヤー家に輿入れさせると内々で話が進んでいたらしい。
「え……。という事は……」
「第四王女ではあるが。元々お前の将来の妻として迎える予定をしていたのだ」
だがこれに待ったをかけたのが、友好路線派だ。その筆頭が、隣領の領主でもあるローブレイト家当主だった。
さらに先王の跡を継いだ今の陛下も、ローブレイト家当主に強く物言いしないのだとか。そうした王族の煮え切らない態度もあり、父は貴族会議の途中で抗議の意味を込めて自領に帰ってきたのだった。
「一度隙を見せれば、帝国は骨まで食いつくしてくる。でなくては、これほど短期間で大陸の支配域を拡大できるはずがない。どいつもこいつもひよりよって……!」
父がここまで感情を露わにしているところは、これまで見た事がない。それだけ我慢しかねるという事なのだろう。
「ヴェルトよ。お前の普段の態度も今は大目に見るが。帝国に対して友好であろうなどとは考えるなよ」
「は、はい。もちろんです」
……家庭教師の事だよな。誰が告げ口したのか、余計な事を……!
父上はそれからしばらく屋敷に滞在していた。しかしある日。それは本当に突然の事だった。
ディグマイヤー領はローブレイト領からの侵攻を受けたのだ。しかもローブレイト家は王家から兵を起こす大義名分を得ていた。ざっくり述べるとこの様な感じになる。
『ディグマイヤー家当主の罪状は以下の通りである。一つ、王国貴族の義務である貴族会議の放棄。二つ、民に不当な重税を課し、蔑ろにした事。三つ、国庫に納める税を誤魔化し、不当に利益を得ていた事。四つ、ゼルダンシア帝国と内通し、アードラス要塞を明け渡そうとしている事。以上の事からローブレイト家当主は王に代わって、ディグマイヤー家当主を捕えるために侵攻を開始する』
これが王家とローブレイト領主が掲げた大義名分だ。当然父上は烈火のごとく怒り、兵を挙げてローブレイト領と争う構えを見せた。
怒りに支配された父上には、誤解を解くため話合いの席につくという選択肢がなかったのだ。何人か自分に呼応する貴族もいると踏んでの事だったのだろう。
しかし王家がバックについたローブレイト家に味方する貴族はいても、ディグマイヤー家に味方する貴族は誰もいなかった。
「おのれ……! アードラス要塞に多くの領軍を割いたこのタイミングを狙ってきたか……! 王家も王家だ、まさかここまでローブレイト家に侵食されていたとは……!」
友好路線派になった陛下、そしてローブレイト家。二人にとってディグマイヤー家は邪魔でしかなかった。
ここで徹底抗戦派のトップである父上を潰し、帝国への恭順姿勢を見せるつもりなのだろう。
父は精強な領軍と共に出陣した。だがその10日後。領都の前にはローブレイト家の旗を掲げた軍が迫ってきたのだ。軍は何の通告もなく、すぐさま領都を蹂躙し始めた。
「ヴァルトハルト様! 馬車を用意しています、お逃げください……!」
「アラン、ローグル……! しかし母上やクインたちは……!」
「ご家族の方々はとっくに領都を出ています! ここに残っているのはヴェルトハルト様だけです!」
俺はディグマイヤー家の跡取りだ。父上が留守の間、この屋敷を守る義務がある。弟たちは早めに領都を出ていた様だが、俺は最後まで残るつもりだった。
「……アラン。ローブレイト家の軍がここまで迫っているという事は、父上は……」
「ヴェルトハルト様。さぁ、お早く」
「く……!」
アラン、ローグルと共に馬車に乗り、直ぐに領都を出る。向かうはアードラス要塞。だが馬車の行く先が分かっていたのか、すでに兵が伏せられていた。
「あの馬車だ! ここを走る豪華な馬車に乗っている者など、一人しかいない!」
「必ずここで止めろ!」
多くの武装した兵士たちが、馬に乗って追いかけてくる。ここにきて俺は生まれて初めて、死というものを意識し始めていた。震える俺の肩に、アランはやさしく手を置く。
「アラン……?」
「……怖いのは当然です。私も戦場に立つ時はいつも怖いですから。ですが。大恩あるご当主様の子であるヴェルトハルト様は、私がこの身に変えてもお守りいたします」
そう言うとアランは馬車の扉を開ける。
「ヴェルトハルト様。痛いでしょうが、飛び降りてください。そして森に身を隠すのです。追っ手は私が引き付けましょう」
「しかし……!」
「……御免!」
アランはシーツで俺の身を幾重にも巻くと、抱きかかえて外へと放り出す。馬車は速度が出ていた事もあり、俺は大きく地に転がった。シーツが緩衝材の役割を多少果たしたとはいえ、全身に激痛が走る。
「ぐ……!」
俺にこの様な怪我を負わせて。本来ならアランは処刑だ。
だがアランの行動の理由が分かっている俺は、痛みをこらえて森へと分け入る。しばらく身を隠していたが、すぐ側を多くの馬が通り過ぎていった。
「……行ったか」
アランが上手く引き付けてくれているのだろう。だがここからどこに向かえばいいか分からない。
森の奥に入るのも気味悪かったので、俺は森からは出ないものの街道近くを歩き続けた。しかし数時間後。遠目に多くの兵士たちが、馬を降りて森に入ってくるところを確認する。
「馬車には目当てのガキが乗っていなかった! だが馬車に乗っていたじじいは途中で森に降ろしたと吐いた! 探せ! ガキの足だ、そう遠くにはいないはずだ!」
……! じじい。おそらくはローグルの事だろう。きっとアランは最後まで抵抗し、ローグルは捕まった後に拷問されたに違いない。
俺は何度も転びながら、森の中を必死になって走り続ける。
「はぁ、はぁ……!」
「まだこの辺りにいるはずだ! 探せ!」
「絶対に逃がすなよ!」
遠方から聞こえる殺気立った声に、俺はびくりと肩を震わせる。捕まったら殺されるかもしれない。いやだ。死にたくない。ここまで逃がしてくれたみんなのためにも。ここで死ぬ訳にはいかない。
「おのれ……! ローブレイト……そして王家め……!」
裏切り者どもめ……! 長く王家のために働いてきたディグマイヤー家に対し、この仕打ちとは……!
「いたぞ!」
「!」
見つかった!? ヒュンッと音が鳴ったかと思うと、直ぐ側にあった木に矢が突き刺さる。
「な……!」
いやだ、いやだ、いやだ!! 死にたくない!
俺はわき目も振らず、とにかく走り続けた。そして前方だけに集中していたため、身に付けていた首飾りが僅かに輝いていた事に、まったく気づいていなかった。
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