リベンジ・ウェディング
水無月やぎ
第1話 過去形のセーラー服
「ただいま」
「お邪魔します」
「おかえり、
義母が優介だけを呼んで出迎える。嫁の
義母の無視に慣れきった響香は玄関を上がり、洗面で手を洗ったら、居間ではなく隣の六畳程度の和室に入る。襖は開いていて、右手に仏壇があった。
響香は仏壇の前に正座し、鈴を鳴らして目を瞑り、手を合わせる。少しして目を開け、遺影を眺めていると、背後から靴下が畳を擦る音がした。
「いつも娘を気にかけてくれてありがとう……とでも、言うと思ってる? そんなことしたって、あんたの株が上がるわけでもないのに」
「……
「私にとって、あなたは家族じゃない。優花もあなたの家族なんかじゃない」
「……出過ぎたことを申しました」
「仏前で時間潰してる暇があるなら、さっさと仕事したらどうなの」
「申し訳ございません。ただいま取り掛かります」
義実家に帰省する度に響香は優花の仏前に手を合わせ、そこに義母が入ってきて、同じような会話を交わす。
何度も何度も同じことを話して飽きないのかと響香は時に思うが、こうやって娘がいないことのストレスを発散しているのだろう、と捉えることにしていた。
優花の死を悼む行為は、決して嫁としてのポイントを稼ぐために行っているわけではない。ただただ、せっかく義実家に来たのだから、優花の顔が見たいと思っているだけだ。
しかし義母には、響香の行為が全て癪に障るのだろう。「あんたに娘の代わりは務まらないし、優介に見合う女じゃない」とピシャリと言われたことがある。
和室を後にした響香は義母の後を追って居間へ向かい、持参した手土産とお茶を出す。お茶を頂く時間はもらえるが、その間の会話の主役は専ら義母と優介で、義父と響香は空気だ。小一時間して、義父が軽く咳払いをしたら、夕食の合図。
響香は席を立ち、義母と共に夕食の準備を始める。手伝えば目障りだと言われるが、座っていると怠け者だと二人きりの時に散々言われる。座って地獄の時間を過ごすよりは、少しでも歩き回る方がましだった。
そうして夕食や酒の肴が出来上がり、食卓を囲む段になる。義父や優介の見えない所で嫌味を言われ、足を踏まれ、服の袖口をわざと汚され、響香の分だけ少ないご飯を盛られる。
優介に愚痴りたくもなるが、彼は両親を心から大事に思っている。娘を亡くした親を支えられるのは、残された自分しかいないと思っているようだった。だから義母からの嫁いびりには、響香は黙って耐えるしかない。
夕食が終わる頃にはひどく疲弊していて、響香の頭から優花の存在は消えていたのだった。
◇◇◇
「響香」
「なあに?」
「結婚前に、話しておきたいことがあるんだ」
「どうしたの優介、そんな改まって」
「実は……俺、妹がいたんだ」
「ん……いたって、過去形……? ってことは……」
「十七で亡くなった。別に嘘ついてたわけじゃないんだけど、きょうだいはいないって俺言ってたじゃん? でも響香と家族になるなら、ちゃんと話しておこうと思って。もし騙されてたとか思ったなら、ごめん」
「えっ、ううん、そんなこと……そっか、それは辛かったよね……話してくれてありがとう」
「あぁ。俺も、妹が死んだって聞いた時はもう、頭が真っ白になったんだ。あれから十年以上経つけど、最近になってやっと、少しずつ死を受け入れられるようになってきたんだ。響香も、うちに来る時には、手を合わせてやってくれないかな」
「分かった。優介のお嫁さんとして恥ずかしくないように、ちゃんと挨拶するね」
「響香……ありがとう」
夫・優介の妹、優花が十七歳で死んだ原因は
遺書もなく、自室でただ、セーラー服を着た身体がゆらゆらと揺れていたのだという。家族の誰も、彼女の異変に気づくことはできなかったと優介は言っていた。
優介より二つ年下の優花は、家族みんなから愛されていた。何でも、義父が娘を強く望んでいたらしい。
実際に優花が生まれると、義父はその直後からたくさん甘やかしたそうだ。プレゼントから服、靴、習い事。優花が欲しがったものややりたがったことは、片っ端から叶えさせた。息子の優介を叱責することは何度かあっても、優花に対して声を荒げることは、ただの一度もなかった。
それゆえ、優花が死んでいるのを最初に発見した義父は、膝から崩れ落ちた。何かに取り憑かれたようにして、自分も後追いしようとするのを、優介と義母が必死に止めた。ふと我に返って泣きじゃくった義父は、優花の亡骸をいつまでも抱いていた。
それから義父は、優花が生まれる前の気難しい男に戻り、笑顔を見せなくなった。
義母も優花を大変可愛がり、過保護状態だったらしい。それだけ大事な娘を自殺で亡くした所に、赤の他人である嫁がやってきたとなれば、確かに義母は響香が気に入らないのかもしれない。だからといって、いびりを許す理由にはならないが。
「シスコンじゃないけど、俺から見ても優花は可愛いやつだったんだ。いつも明るくて、はつらつとしててさ。死ぬ直前までニコニコしてた。だから本当に、分からないんだ……優花が何に悩んで、苦しんでいたのか」
初めて優介の実家に行った日、彼は響香にアルバムを見せながら言った。響香が黙って写真を見つめていると、ハッとした優介が慌てたように響香を見た。
「ごめん。こんな重い話」
「いいの。私がアルバム見せてって言ったんだし」
写真の中で満面の笑みを見せる優花は、響香の妹と同じセーラー服を着ていた。
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