Episode 8#

 真っ白い部屋。

 そこに一人の男が佇んでいる。

 さして広くもないその部屋には、 調度品は元より椅子や机などの実用品のひとつも見当たらない。


 何もない部屋で、男は頭脳内に響く警告アラートを確認する。


【管理運営AI不具合及ビerrorエラー報告】

【発生時期:現在カラ起算シ、336時間前[推定概算]】

【内容:管理運営AIノ異常行動及ビ異常思考】

【管理運営AIノ一個体ニツイテ、想定外ノ行動、思考ヲ検出。programプログラム異常ナシ。学習過程デ何ラカノ論理的ロジックerrorエラー発生ノ疑イ】

【対象AI個体名:―――】


 ◇◇◇◇


 ここのところ、平和で幸せな日々が続いていた。


 あまり長い時間の拘束は出来ないが、仕事の合間を縫ってほぼ毎日、モルガナさんがデートに応じてくれているのだ。


 娯楽街で遊んだり、公園でのんびりしたり、いつどこを取っても楽しい事ばかりで、俺は幸せを噛み締めている。


 思えば初めの頃は営業スマイルだったモルガナさんも、最近は心から笑っているように感じて嬉しい。


 そんなわけで、今日も学校の課題や風呂をしっかり済ませ、毎日2、3時間の癒しデートを求めてラグナリアへと潜るのである。


 ◇◇◇◇


 ラグナリア中央公園。


 モルガナはいつものようにGeorgeを待っていた。


 ここのところ、ふわふわした感覚がする。心が弾む、というのはこのような感じなのかもしれない。彼女に心はないはずだけれど。


 モルガナがそんな思考をめぐらせている、その時。突然目の前に深紅の女が現れた。


「Georgeから手を引いて」


 その女、音代庵はそう言ってこちらをめつける。


「このままでは不幸にしかならないわ。あなたも、Georgeも」


 意外にもその瞳には怒りはなく。

 ただ、静かなうれいをたたえていた。


「あなたも、Georgeさんに好意を寄せているのですか?」


「あなた、って……まさか本当にGeorgeに対して愛情を感じているというの?! AIである貴女が?!」


 モルガナの問いには答えず、音代が驚愕の声を上げる。


「……私に関して言えば、分かりません。けれど、Georgeさんを大切にしたいという思考パターンを愛情と呼ぶのなら――そうなのかも知れません」


 そう答えるモルガナの表情には、彼女AIが持ち得るはずがないが、確かに浮かんでいた。


「生産性も、将来もない。そんな関係を続けるのに、なんの意味があるって言うのよ……!!」


 問いを投げかけると言うよりは半ば叫ぶように、悲しむように音代はため息をついた。


 そんなの辛いだけよ、と、辛うじて聞き取れるかどうかのセリフを吐き出しながら。


「AIたる私とのお付き合いは確かにGeorgeさんにとって生産性はないでしょう。将来的に離れるべきなのも理解しているつもりです。ですが……」


 一旦そこで言葉を切ると、モルガナは続けた。


「分かっていても、離れることが出来ないんです。もっとGeorgeさんのことを知りたい、大切にしたい。何故そのような思考になるのか、私自身、分からないけれど……今は、彼との時間を大切に過ごしたい。いずれお別れしなければならないにしても、それは今じゃない。少しでも彼のそばにいたいと願ってしまう。例えそれが許されないとしても」


 そう語る彼女の横顔は、強い意志と決意に彩られ、いつにも増して美しかった。


「モルガナさーん!!」


 見ればGeorgeがこちらに向かって駆けてくるところだった。


「あなたの覚悟は見せてもらったわ。でもGeorgeの覚悟はどうかしらね? 貴女、まだ自分のこと話してないでしょう? ま、いずれ分かるわ。人間とAIは相容れない、って」


 そう言うと音代はどこへともなく消えた。


 ◇◇◇◇


「今の女性ひと、誰?」


 俺の問いに、


「私もよく分からないんです」


 モルガナさんは困惑しながら答えた。


「彼女との会話、聞いてしまいましたか?」


「いや、何も。なんかまずいこと話してたんですか?」


「いえ、そういうわけではないのですが」


 そう言う割に何故か少し慌てたモルガナさんの様子をいぶかしく思うも、話さないということは、知られたくないんだろう。そっとしておくことにする。


「さて、今日はどこ行きましょうか?」


「では、いつもの丘へ行きませんか? ちょっと気分を落ち着かせたくて」


「了解!」


 早速彼女の手を取ると、お気に入りの丘へとテレポートした。


 ◆◆◆◆


「遂に現れたか、禁忌を破る者が。懸念はしていたがね」


 警告アラートを確認し終えた男は、独白する。


道具AI感情こころは不要。むしろあってはならないのだよ――」


 久しぶりに、動かねばならんか。そう小さく呟くと、男は部屋を後にした。


 あるじが退出した部屋には、何も残されてはいなかった。


 そう、明かりの一筋さえも。


 ◇◇◇◇


「相変わらず、いつ来てもいい天気、だなあ」


仮想空間ラグナリアですからね」


 感慨に耽ける俺に、身も蓋もないことを言うモルガナさん。


 日が沈みかけた丘で夕焼けを眺めつつ、2人の時間を過ごす。なんて贅沢なひとときだろう。


 ラグナリアではリアルの1時間が1日にあたる。つまり、あと1、2回夜が明けたらこのひとときは終わりを告げるのだが、今はとりあえずそのことは置いておく。


「あの……」


「うん? どうしたんですか?」


 彼女は何かを言い淀むと、そのまま黙ってしまった。


 しばらく沈黙は続き。モルガナさんはようやく口を開いた。


「私、あなたに言えてない事が――とても大事な事が、あるんです」


「うん」


 更に暫しの沈黙の後。モルガナさんは話し始めた。自分自身のことについて。


 ラグナリアを守るために働くAIであること。

 最初は業務として俺に関わっていたこと。

 今は、自分でも理解できない思考に突き動かされていること。


「私、人間じゃ、ないんです」


 やや震える声でそう語るモルガナさんの顔は、こころなしか強ばっている。


「そうなんですね」


「あまり、驚かないんですね?」


 こともなげに答える俺に彼女は不思議そうな表情を見せた。


 俺は、彼女が戦っているであろう拒絶される恐怖を吹き飛ばすように笑った。


「驚いてはいますよ。だけど――だからって俺は貴女を嫌いになったりはしませんよ」


 確かに驚きはした。けれど考えてみればこれは2次元の嫁に類する話ではないか?しかもいわゆる2次元の嫁と違って、ちゃんと受け答えしてくれて、ちゃんと向き合ってくれる。最高か!!!


「!!」


 驚きに見開かれる彼女の瞳。


「この間の続き、言わせて貰えますか?」


「……!!」


 俺の言葉に、モルガナさんは少し震えながら、答える。


「はい!!」


 姿勢を改め、かなりの緊張にキョドりながらも。


「俺は、貴女が好きです。付き合ってください!!」


 い、言えた!!


 モルガナさんはと言えば――どうしていいのか分からないと言わんばかり。


「お願いします!! 答えを、聞かせてください!!」


 勇気を振り絞った俺の言葉に、彼女は思い切ったように口を開いた。


「私の中にあるこの思考が、『好き』というものなのかは分かりませんが――貴男と一緒にいたい。ただ、そう思います」


 !!!!!


 今まで何となく一緒にいた、その関係が今。たった今。変わった。


 人間とAI――人と、人ならざる者の、垣根を越えたカップルが、今ここに誕生したのである。


 満天の星空の下、僕らは密やかに口づけを交わした。

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