第9話 呪いの令嬢

「いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 狂ったような悲鳴をあげるベスレ。しかし、恐怖によってではない。目の前の凄惨な光景が理解不能であったから、あるいは理解したくなかったが故の拒絶反応だ。

 今、混沌とした思考がベスレの頭の奥で渦巻いていた。。

 

 どうして。

 どうして……?

 私の部屋で……?

 私が……?

 これは何……?

 これは誰……?

 何が……?

 全部……?


 そのうち、叫び声すら、もう口から出ることは無くなった。

 血と肉とその他色々が飛び散った部屋に、僅かに違う種類のものが加わってもそれほど彩りは変わらない。ほんの少し、酸っぱい臭いが増えただけ。スルアはこんな時でも凄いな、ちゃんと窓の外に顔を出すまで堪えてたんだもの。でも、彼女みたいにしっかりした元兵士でもあんな風に嘔吐することがあるんだ……。


 ベスレは奇妙な落ち着きを取り戻しつつあった。それはもう諦めと言っていい放心状態に陥ったからかもしれない。

 逆にスルアの方は気が動転していた。

 

 お嬢様が、お嬢様が……!それに、私までが……!?

 

 今まで自分が気づいていなかったのは何故か。エパテヴィーロを惨殺している途中の記憶も曖昧。もしかしたらこれまでの事件も自分が関与していたのか。部屋の隅で蠢いている七体の異形は一体何なのか。

 

 スルアが窓際で項垂れているとベスレが後ろからそっと抱き着いてくる。

「お嬢様……」

 僅かに落ち着きを取り戻すスルア。

「ごめんなさいスルア。私の専属になったりしなければ、こんな恐ろしいことに巻き込まれることにはならなかったのに」

 ベスレの口調はなにかを悟ったような様子であった。

 か弱き令嬢の謝罪の言葉にスルアは己を奮い立たせる。

「いいえお嬢様。私は今でも、あなたの傍にお仕え出来てよかったと思っております。……必ず最期までお供いたします」

「……ありがとう……スルア」

 二人のやり取りが終わるのを待っていたかのように、七人の異形が動き始めた。七人はエパテヴィーロのバラバラ死体と飛び散った内臓を持てるだけ持ってどこかへと移動し始めた。

「……行きましょうスルア」

「は、はい」

 ベスレとスルアは異形の後ろをついて行くことにした。

 まだ暗い朝方。都市の中央にある広い大通りを歩く。ところどころには衛兵が立っており、早朝から働きに出る市民がちらほら歩いてもいる。

 それなのに、ベスレ達を気にかけるものはいない。バラバラ死体を抱えた七人の異形にすら驚く様子もない。

「いつから……こうなっていたのかしら」

 ベスレはもう笑ってしまっていた。涙を浮かべ、困ったような表情で。

「お嬢様……」 

 スルアにも全くわからなかった。誰か、誰か知っている人がいたら教えてほしい。せめて、死ぬ前に。そんな風に思っていた。


 二人はチェスティングの森へとやってきた。もう淵留めを過ぎて深奥領域まで入っている。

 以前は、もう少し奥まで淵留めの範囲だったはず。そこまで考えて、なぜ自分がそれを知っているのか不思議に思うスルア。

 私はこの森に来たことがある?

 一方ベスレの方も同じことを考えていたが、彼女はもっと確信的だった。

「そう……よね。だってここは……」

 七人の異形が立ち止まり、それぞれが持っていた肉や臓物を地面に置いた。そしてそれぞれ跪くようにしゃがみ込む。

「ザックが、眠っているのだもの」

 

 ベスレの眼前。跪いている異形達のさらに前方に黒く大きな樹が生えている。彼女はかすかに震えながらも妖しげな樹木に近づいて触れた。

 異様な質感の樹皮は、濡れ羽色と涅色が混ざりあったような黒色で、蝋のような滑らかな手触りだ。熱を加えれば融けだしてしまいそうでもある。

 枝は殆ど無く、葉に関しては皆無だ。周囲の他の樹木よりも背が高い黒樹はかろうじて上部に枝のようなものがあるようだが、そもそもこの怪物じみた妖樹に光合成などの必要はあまりないのだろう。先ほどから黒い触手のような根が地面から出てきてエパテヴィーロの残骸から栄養を吸収している。

 実はこの黒き妖樹は他の植物からも栄養を吸っている。周りをよく見れば、近くの樹木が少しずつ朽ちているのがわかるはずだ。

 黒き妖樹は血液やら体液やらの水分を完全に吸収しきると、根の触手で地面を耕し、肉片となった物を肥料の如く埋めた。

「ザック……これで最後よね……」

 ベスレは妖樹を『ザック』と呼んだ。黒い蝋で濡れたような樹の肌を、優しく撫でる。触れているだけで、自らの生命力が奪われていくとわかった。それだけでなく、引き換えに心の中へどす黒い感情のような呪力のようなものが流れ込んでくるの感じる。しかしベスレは離れようとせず、むしろ破滅的な刺激に心地良さすら覚えていた程。

「お嬢様ッ!!!」

 茫然と立ち尽くしていたスルアが異変を感じ、ベスレを無理やり引き剝がした。


「お嬢様こんな物にどうして……!」

「あなたは覚えていないのね……。人によって差があるのかしら?私も、ついさっきまで忘れていたのだけど……」

「申し訳ありません……。記憶や、認識がまでがおかしくなってしまったみたいで」

「いいのよ。きっと、そういう呪いなんだわ」

「……どうするおつもりなのです?」

「ザックと約束したの。私が四人を殺すって。そしたら私は助けてくれるって……でも」

 再びザックの肌に触れるベスレ。その姿は愛おしいものに身を委ねるようにも見えた。

「そんなの虫が良すぎるわ……。どの道、私はもう幸せにはなれない。どこへも行けない。忘れることもできないわ。だったら、罪を償わなきゃ……」

「それならば、私もあなたと共に……。お嬢様がダメだと言ってもご一緒します」

「本当に頑固者ねあなた。ありがとうスルア。私とっても嬉しい」


 二人一緒に黒く禍々しい妖樹へと触れる。ところが、先ほどまでの命を搾取される感覚が全く無い。

「ザック……?」

 妖樹はその後、ベスレとスルアから生命力奪ったりすることはなかった。かと言って、全てを許したわけでもない。


 妖樹は、奪わないかわりに、事にしたのだ。

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