第3話 セブンスソード
なにかを、忘れている気がする。
それがなにか、それは分からない。けれどふと思うんだ。胸に突っかかる思いがある。忘れてはいけない重要なことがあるのにそれを思い出せない。そんな違和感があって、気のせいだと忘れようとするんだけどしばらく経ってまた気づく。その度に焦燥感が胸をざわつかせ走りたくなる。忘れてしまった大切なものを探しに行くために。
だけど、それがいったいなんなのか。
俺は、まだ見つけていない。
「おーい」
よくわからない。これはいったいなんなんだろうか。単なる物忘れっていう感じじゃないんだ。いつもスッキリしないもやもやがあるというのは気分のいいものじゃない。
「おい、聖治。なにボケっとしてんだよ」
他の人にもこういうことってあるんだろうか。実害があるわけでもないし聞いたことはなかったんだが。いつか機会があるときに聞いてみようか。
「おい見ろ相棒! UFOだ! UFOがガンデムと戦ってる!」
まあ、それはさておき、そろそろ隣人のからみが無視できないほどうるさくなってきたぞ。
「なあ、のどが渇いたからそこの自販機でファソタおごってくれよ、グレープ味。……返事がないってことはイエスってことか? イエスでいいんだよな? じゃポケットにある財布を拝借(はいしゃく)して」
「イエスじゃないわ!」
ポケットに伸ばす隣人の手をすんでのところではたき落とす。
「まったく、勝手に話を進めるな。なんで俺がお前にファソタおごらなきゃいけないんだ」
返事をしなかったからってめちゃくちゃだぞ。そいつをジッと見てやるが当の本人は悪びれた様子もなく笑っている。
こいつは皆(みな)森(もり)星(せい)都(と)。俺と同じ湊(みなと)高校に通うクラスメートで高校二年生だ。学生寮で暮らしているという共通点があり今日もうこうして一緒に登校している。
くせっ毛のある銀髪をしており悪い笑顔が似合うムードメーカー。単におもしろいこと好きなんだが軽口で場をひっかき回すものだからそんな印象がある。本人曰くナイスガイということだが俺の知る限り彼女ができたことはない。……まあ、それは俺もなんだけど。
「いや、お前が俺を無視する方が悪い。いいか? 俺は寂しいと死んじゃうんだぞ? ほんとなんだぞ? よってお前は殺人未遂の現行犯だ。俺にファソタをおごる義務がある」
どうしよう、なんて反応するのが正解なんだ?
「…………」
「ぐはあああ! 死ぬぅう!」
「ああ、そうか。ごめんごめん」
「死ぬぅ~」
「はいはい」
星都は大げさな動きで体をくねらせていた。
「星都君は朝から元気なんだな~」
そこで別の声が聞こえてきた。俺の隣で一緒に歩いている。
「元気が有り余りすぎだ。献血でもして社会に貢献すべきだな」
「ははは。まったくなんだな~」
間延びした声が俺たちの会話に加わった。
彼は織田(おだ)力也(りきや)。クラスメイトで彼も学生寮の一員だ。俺と星都も身長は170くらいでそこそこある方だが力也は180センチ以上の長身だ。短く切った黒髪で大柄な体格をしているが性格は優しくゆるやかな言動なため怖い印象はまったくない。むしろこんなにも体が大きいのに臆病なくらいだ。熊というよりでかいハムスターに見える時がある。
俺は力也から星都に向き直った。
「なあ星都、お前献血でもして干からびてこいよ」
「辛辣ぅうう!」
星都が青空に吠えている。
「お前、たまにえぐいこと言うよな」
「いや、ただで死ぬくらいなら有効活用かなって」
「誰かぁあ! 助けてぇええ! サイコパスだぁあ!」
「ちょ、冗談だわ!」
星都が大声で言うので通学路を歩く他の生徒が見つめてくる。星都を抑えようとするが走り出し俺も慌てて追いかける。くそ、笑いながら走りやがって!
そんな俺たちを見て力也は困ったように笑っていた。
テレビを点ければニュース番組で様々なことを伝えている。どこかの町で交通事故が起きたとか為替がどうだとか。
けれど自分が気になったのは今日の天気予報だけだった。
西暦2019年、6月。今日も何気ない一日が始まっていった。
教室に入るなり自分の席に着く。カバンから教科書類を机に入れていく。そんな朝の準備をしていると星都が近づいてきた。なにやら急いでいるようで俺の机に両手を叩きつけた。
「なあ聞いたかよ」
「お前が寂しいと死んじゃう豆腐メンタルってことか?」
「ゲエー。ちげえよ、転校生だよ転校生」
「転校生?」
星都はやられたような顔をしてからすぐに俺に向き直った。
そんなのはいつものやりとりなのでいいんだが、転校生か。教室に入った時からなにやら騒がしいと思っていたがみんなそれを話していたんだな。
「なんでも今日来るらしいぜ。佐々木が職員室でブルマンと話してるのを見たんだってさ」
ブルマンというのは担任教師の青山先生のことだ。ブルーマウンテンでブルマン。
「へえー。なんていうか、珍しいな」
転校生なんて学期の始めが普通だと思うんだが。今は六月だ。なかなか珍しい時期だと思う。
「それでよぉ……」
すると星都は両腕を曲げ顔を近づけてきた。
「んだよ、近いぞ」
「これは佐々木が言ってたんだけどよ、その子、めっちゃくちゃかわいいらしいぜ?」
星都はまるでアイドルに会えるかのように興奮している。
「かわいい、ってことは女の子か」
そう言うとバシっと背中を叩かれた。
「あったりまえだろ、かわいい男に興味なんてないんだよ。てか男だったらわざわざ話しかけねえよ」
「お前なあ」
なんとなく、その転校生が男でなくてよかった。もしそうならその子が不憫だ。
「どうする? 今からようこそって垂れ幕でも作っとくか?」
「お前のその行動力はどこから来るんだ……」
なんだよそれ、どこのテーマパークだよ。
「なあ聖治、どうする?」
「なにが?」
呆れた顔で聞き返す。
「んだよ、ぶりっ子ぶるなよ。いったいどんな子なんだろうな?」
「そうだなー」
んー、珍しい時期に来る噂の美少女転校生か。言われてみれば気になる、かな?
そうこうしているうちに予鈴がなりホームルームの時間にある。転校生の話題で盛り上がっていたみんなが一斉に自分の席に向かっていく。
みんなが席に着くのと同じくらいのタイミングで扉が開かれた。
「みんなー、席に着けー」
男性教師であるブルマンが入るなり大声でみんなに呼びかける。
「えー、今日はみんなに新しいクラスメイトの紹介があるぞ」
噂はほんとうだったのか。みんなも口をそろえておーと言っている。
「それじゃあ入ってきて」
ブルマンの声に合わせ扉が開く。みんなの視線が集中する。俺もどんな子かそれとなく見てしまう。
「失礼します」
女の子の声が聞こえる。落ち着いた声と共に入室する。
ついに噂の転校生の全容(ぜんよう)が明かされた。
なるほど。可愛い。彼女を見て内心で声を上げてしまう。
さらさらとした色素の薄い桃色の髪、柔らかでやや明るい髪が歩調に合わせ揺れている。体つきはスレンダーで背筋よく歩く姿はそれだけでモデルのようだ。
彼女が教壇の前に立つ。正面がこちらに向く。その瞳は愛くるしい形をしておりうっすらと浮かべた笑みは本当に可愛い。
確かに。噂に違わぬ美少女だ。
俺だけでなく男子のほぼ全員が彼女に瞳を奪われている。
ブルマンが黒板に彼女の名前を書き込んでいく。そこには沙城香織(さじょうかおり)と書かれていた。
「それじゃあ沙城さん、みんなに自己紹介してくれるかな」
「はい」
先生に促され彼女、沙城香織さんが今一度背筋を正す。
「沙城香織です。今日からここの生徒となります。よろしくお願いします」
明るく、ハキハキとした声が教室に広がった。
そう言うと彼女は小さくお辞儀をする。それでみんなからも拍手を送り彼女はほっとしたように顔を上げる。これから一緒に過ごすことになるみんなを見渡している。
そこで、俺と目が合った。
「!?」
彼女の表情が驚いたように歪む。
え?
あれ、驚いている? でもどうしてだろう。以前、どこかで会ったことでもあっただろうか。
彼女はずっと俺を見つめている。俺は左右を確認する。それから後ろにも振り返るが誰でもない。やっぱり俺を見つめている。
ただならない雰囲気にみんなも何事かざわざわしている。けれどいったいなんなのかなんて俺にも分からない。
しばらくすると彼女はちょっと嬉しそうに笑い俺から視線を切った。
「それじゃみんな、沙城さんと仲良くしてやれよ」
いつもと違うホームルームは彼女の華々しい登場と謎を残して終わっていった。
それから一限目が始まるまでの僅かな間、転校生である沙城さんの周りにはすでに女子たちが芸能人に群がるマスコミのように囲っていた。あれこれと質問を受けている。たいした人気ぶりだ。
「おい」
と、そんな様子を机に座りながら遠目に見ている俺にも声がかけられる。
誰だか分かる。案の定振り返ればそこには星都がいた。
「がっかりだ。がっっっかりだよ聖治!」
「なにがだよ……」
脈絡(みゃくらく)もなく落胆するなよ、俺がなにをしたというんだ。
「どういうことなんだ」
「お前がどういうことなんだ」
こいつは今不審な行動をしているという自覚があるのか?
「どうもこうもない! さっきのあれはなんなんだよ!」
星都は大声で言う。なんか必死だ。
さっきのあれというのは転校生が俺の顔を見て驚いていたことか? 星都は転校生にずいぶん期待していたからな、もしかしたら妬いているのかもしれん。そうでなくてもあんなのは誰だって気になる。俺だってそうだ。
「知らないよ。俺だってどういうことか聞きたいくらいだ」
「知らないわけないだろ、ユニバーサルスタジオでミッキーに出会ったような驚きようだったんだぞ? んだよ、顔か? けっきょく顔なのか!?」
「それこそ知るか」
なんだか勝手にボルテージを燃やしている。頼むから俺のところまで延焼しないでくれよ?
「俺お前のことちょっと嫌いになったぜ」
「なんでだよ!」
言いがかりだろ、それにしてもひどいぞ。
「ったく、不公平だよなー」
星都はそうぼやきつつ自分の席に戻っていった。その都度俺を睨むように振り返ってきたのが心外だが。
とはいえ星都が去ったあとで俺はもう一度彼女のことを見てみた。
沙城香織。今も女子たちに囲まれ話をしている時期はずれの転校生。どうして俺を見て驚いていたのか、けっきょくその真相を聞くことはできなかった。
今日も一日が終わっていく。帰るか。机の中身を鞄にしまい立ち上がる。
「あの!」
「え?」
そこで声をかけられた。
その声は、沙城さんだった。
「えっと」
彼女は一人で立っている。今までいた取り巻きはいない。いったいどうしたんだろうと彼女の背後を見てみるとなんだかこちらを見ながらひそひそと話している。きっと俺と話をするために断ってきたみたいだ。
でもどうして?
「なにかな?」
いきなり話しかけられてちょっと緊張する。近くで見て改めて思うが沙城さんは可愛い。そんな子から話しかけられれば俺だって少しは嬉しい気持ちになったりする、というのを否定はしない。
「あ、あの、その」
彼女は両手を前で振ったり目が泳いだりと忙しく動いている。照れてるのかな? それから俺を見るとおずおずと言い出した。
「二人で話がしたい、と思うんだけど……」
その言葉に顔を左右に動かし辺りを見渡す。彼女と俺が話をしているのは教室中のみんなに見られている。それが二人きりで話をしたいと彼女から誘われたもんだからみんながさらにひそひそと話している。
「う、うん。俺はべつにいいけど」
周りが気になるけどだからといって断るのはあれだよな。
俺は沙城さんと一緒に階段の踊り場へと来ていた。たまに人が通るがここでいいだろう。俺は沙城さんと向かい合う。
「…………」
こうして間近で、しかも向かい合って見てみて思う。
なんというか、本当にかわいい子だな。目は大きいしそれに雰囲気っていうのかな、美人だからって棘があるとか下品な感じはぜんぜんしない。品があって、ほんとうに可愛らしい。
「あの」
「う、うん」
変なことを考えていたから声が上ずってしまう。
彼女はなんだか緊張しているようだ。両手の指を絡ませ目は下を向いている。でも表情はなんだか嬉しそうで、そう見えるのは俺の期待し過ぎだろうか。
それで彼女は顔を上げると俺をまっすぐに見つめてきた。
「久しぶり、だね?」
「え?」
あれ、どうして。俺たち会うの初めてだよな?
最初俺を見て驚いた時から不思議だったけど、もしかして知り合いなのか?
「え、聖治君、だよね?」
名前まで知ってる。単なる人違いじゃない。
「どうして俺の名前を?」
「え!?」
「え?」
名前を知っていることに驚いたわけだが、なぜだか彼女まで驚いている。
「あ、ごめん。もしかして俺たち会ったことあったかな?」
俺に覚えはないがそうとしか考えられない。でも彼女ほど目立った容姿をしている女の子がいたら忘れないと思うんだけどな。
「…………」
「あの、沙城さん?」
沙城さんは固まったままなにも言わなかった。表情が驚いたまま石になったみたいだ。
「ご、ごめん! ショックだった?」
沙城さんはよほどショックだったみたいで目を大きくしている。まさかそんな反応をするなんて。悪気があったわけじゃないんだがその、申し訳ない気持ちになる。
「そんな……、覚えてないの? 私のこと?」
「うーん……」
そう言われても。本当に申し訳ないんだが俺の記憶データに該当する人物はいない。
「その、ごめん……」
素直に頭を下げる。せっかくむこうは覚えてくれているのに俺が思い出せないなんて。
「そんな……」
沙城さんは俺から一歩二歩と下がっていく。その後顔を下に向けていた。かなり気まずいな、どうしよう。
こんな事態になって俺も困り果てるのだが。でもまさか、沙城さんが俺のことを知っているなんて思わないよな? だってそうだろ? 噂の美少女転校生が俺の知り合いだって? どこの漫画だよ、小さいころ公園で遊んで子供の約束で婚約してたとか? その約束を今でも守ろうとしてるとか? やばいな、漫画の量を減らすか。
「あの、沙城さん? 覚えてなくてほんっとごめん。よければ教えてくれないかな? そうすれば俺も思い出せるかもしれないし」
これでほんとに子供のころ遊んだことがあって、なんて展開なら間違いなく俺はラブコメ漫画の主人公なんだけどな。
「聖治君!」
「うお!」
いきなり近づいてきたかと思うと俺を見上げてくる。
「嘘だよね!? 聖治君が私のこと忘れるなんて! 私だよ、沙城香織。聖治君の恋人でずっと愛し合おうって誓い合った仲じゃん! どんな時も一緒に乗り越えてきたしずっとそばにいたのに! 君を忘れたこと一瞬たりともないんだよおおお!」
「そんなこと言われても!」
すげーグイグイくるんだけど!
「思い出してよおお! ほんとに分からないの? 一緒に頑張ったじゃん、同じもの食べたりお話だってたくさんしたし。歩くときは車道側をいつも歩いてくれて待ち合わせはいつも先にいて私の愚痴を延々聞いてくれたし聖治君だって私のこと好きだって何度も言ってくれたもん!」
「ほんとかそれ、捏造入ってるだろ」
「ほんとだもおおおおん!」
分かったから大声出すなよ。あとほんとだろうなそれ。
「聖治君の写真何枚も持ってる。友達と話してるところとか一人で夕日を見てるところとか百枚近く撮ったもん。まあ、付き合う前から盗撮してたからそれだけあるっていうのもあるけどね」
は?
「…………」
沙城さんが俺から離れる。
「ごめん、今のは全部嘘。全部忘れて」
「あー、そうした方が良さそうだな」
大丈夫かこの子? 俺もしかしてとんでもない子に絡まれてる?
彼女は俺から距離を取ってからは顎に手を当てぼそぼそと喋っている。
「跳躍の影響かな? それか騎士団の工作? まさか裏切り者が? 二本のロストスパーダって、それのせいで」
「あのー、沙城さん?」
彼女の言っていることはあまり聞き取れない。なんの話をしているんだろうか。
沙城さんはなにか考えているようだが俺を見ると慎重に話し出した。
「聖治くん、その」
「うん」
「信じられないと思うけど、まずは私の話を聞いてほしいの」
信じる以前にもう話を聞くのが怖いんだけど。
「分かった。まずは話を聞かせてもらうよ」
とはいえこう言うしかないだろう。さっきのは気の迷いから出た妄言だと切り捨てるしかない。
「ほんと?」
「少なくとも、頭ごなしに否定したりなんてしないよ」
そう言うと彼女は意を決したようだ。
「聖治君は、スパーダって聞いて、思い出すことはある?」
「スパーダ?」
いや。なんだろうな、車か? それか楽器かな? 駄目だ、全然察しがつかない。
沙城さんは強い眼差しで詰め寄ってくる。
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