第20話 水いらずの仮初夫婦

「旦那様、お仕事がお忙しかったのではないですか? お食事を旦那様のお部屋に運んでもらうこともできましたのに」


「ああ、別に仕事をしていたわけではなく、着替えたり道に迷っ……いや、せっかくアルヴィラを一緒に摘んだから、夕食くらい共にしたいな……と……」


 いつものことだけど、うろたえてモゴモゴの旦那様。何の話題なら普通にお話してくれるだろう。運ばれてきた食事を口にしながら、私は旦那様の顔を見つめて考えた。

 食事を共にするのも初めてだから、旦那様がどういう会話を好むのかも見当がつかない。当たり障りのない話題を振ってみる?


「王都に『アルヴィラ』という名前の食堂があるんです」

「……ああ、知っている」

「えっ! 旦那様、『アルヴィラ』をご存じなのですか?」

「ここに来る前は王都で生活していたし、『アルヴィラ』にも行ったことがある」


 驚いた。

 旦那様があの食堂にいらっしゃってたなんて。


「……だから、君の姿も見かけたことがある」

「…………」

「菫色の髪が印象的だったし……その……一生懸命働く姿はとても可愛い……いや、仕事のデキる店員だなと」


 旦那様は顔を真っ赤にしながらナイフとフォークを取って、急に勢いよく食べ始めた。伯爵令嬢の私が、王都の食堂で給仕の仕事をしていた。それを知っていた旦那様。



「もしかして、私のことを『愛するつもりはない』と仰ったのは、それが原因でしょうか? 伯爵家の娘と結婚したはずが、食堂で働いている娘が来るなんてと驚かれたのでは?」

「それは違う!」



 急に立ち上がったので椅子が後ろに倒れ、ナイフとフォークが床に落ちた。大きな音に驚いたウォルターが駆け付け、何事かと慌てている。

 旦那様はハッとして、椅子を元にもどして咳払いをした。


 少しの沈黙の後、旦那様が口を開く。



「リゼット、誤解を与えるようなことを言ってすまなかった。あの夜に言った言葉で、君を傷つけたと思う。詳しくは言えないが、でも決して君が悪いわけではない。どちらかと言うと俺の都合だ。だから、傷つかないで欲しい……こんなことを言える立場じゃないのは分かっているが」


「旦那様……こちらこそしつこく聞いてしまい申し訳ありません。私に言えないご事情があるのは分かりました。そうだ、せっかくの夕食ですから何か楽しいお話をしましょう! 私、アルヴィラを食べてみようかと思うのですが」


「い……いきなり? 君が?! ちょっと待て、今日は俺が試しに食べよう。俺が食べて明日まで何ともなければ、次は君が明日の夕食に食べてみればいい」


「……旦那様、もしかして明日も夕食をご一緒してもよいのですか?」



 私の言葉に驚いた旦那様が、目をまんまるにしてこちらを見た。自分で明日の夕食の話をしたんじゃないですか。何を今さら驚いているのですか。



「……君さえよければ、明日も夕食を共にしよう」

「ありがとうございます。さあ、旦那様。アルヴィラを召し上がって下さい。私ちゃんと見てますから」


 旦那様はアルヴィラの花を手に取り、花びらを一枚ちぎった。しばらくそれを見つめたあと、私の顔を見ながら恐る恐るアルヴィラを口に入れる。



「……いかがですか?」

「うん……味は、ない」



 怪訝な顔をしてモグモグしている旦那様を見て、私はお腹が痛くなるほど笑ってしまった。


 翌朝、旦那様に異変が起こってしまうことも知らずに。


 

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